水の門

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歌集『カインの祈り』

澤本佳歩歌集『カインの祈り』
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一首鑑賞(33):永田紅「病気は誰のせいでもないよ」

2016年08月11日 18時15分49秒 | 一首鑑賞
病めば人は何故と心を追いつめる 病気は誰のせいでもないよ
永田紅『ぼんやりしているうちに』


 永田は大学の研究室で細胞生物学の研究をしている。この第三歌集に収められた歌が紡ぎだされていった期間は、永田にとって人生の一大転機であったようだ。まず目の手術を受け、それが少し落ち着いたかと思う頃、心臓の手術を受ける羽目になったらしい。

  風景が見えくるまでに回復す 季節がないようだった去年は
  たんたんと木が生えていて銀鼠(ぎんねず)の樹皮の光が見えてくること

  拳ほどの大きさという 親指をいれて握りし手をあててみる
  電子音すなわち私の脈なりと気づくまでには数時間経つ


 あとがきで永田は「人間の精神というもの、生死ということを、折にふれ思った時期でもあった。それらを考えるための言葉の一助となる、生命科学を専攻したことはよい選択だったと思う」と振り返っている。
 歌集中にはこんな歌も収められている。

  体内の物質の量がこれほどに心を制御するものなのか

 術後の経過で自分の身の内より立ち上がってくる精神の揺らぎに戸惑いを隠せない様子が見て取れる。研究者としての日々に戻りながらも、こうした動揺はふとした時に表に現れる。

  瞑るとき、瞠るとき目は無防備にこころ晒しぬ白衣のうちより

 その上で掲出歌を見てみたい。
 ヨハネによる福音書9章に、イエスが生まれつきの盲人を癒す話が出てくる。「ラビ、この人が生まれつき目が見えないのは、だれが罪を犯したからですか。本人ですか。それとも、両親ですか」と問う弟子達にイエスは「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである」とお答えになり、病気を癒された。
 病気を患って、自分を深く問い詰めてしまうケースは少なくない。事によると永田自身もそのような心境に陥ったのだろうか。しかし病状から徐々に回復して、周りの病む人達の話を見聞きし、また研究者として人の生死に関わる仕事に就きつつ、永田は首掲の一首を産み落とした。《病気は誰のせいでもないよ》——独り言のようでもあり、友人に話しかけているようでもある。あるいは先のイエスの御言葉も、そんなざっくばらんな言葉であったかもしれないと、私は密かに思う。
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