水の門

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歌集『カインの祈り』

澤本佳歩歌集『カインの祈り』
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一首鑑賞(52):根本亮子「目に見えぬ罪負うは誰」

2018年01月10日 09時37分53秒 | 一首鑑賞
流れくる葦の十字架目に見えぬ罪負うは誰橋くぐりゆく
根本亮子『葦の十字架』


 歌集を読み通すと、根本が特に信仰を持ち合わせていたわけではないことが分かる。それだけに標題となった一首は唐突にも見えなくもない。だが、老母の介護を長く続けての鬱積を吐露した次の歌からも、自らの「目に見えぬ罪」が意識にふと上ってくる瞬間があったことが窺える。

  母の病やっと癒えればわが精神(こころ)バランス崩し禁句を吐きぬ

 憶測であからさまな言い回しを限定することは少し躊躇われるが、おそらくは「散々わずらわせて…!」とか「早く逝けば良かったのに…!」とかいった類の言葉であったのだろう。口から出てしまった自分の本音に驚き、後悔に苛まれる根本の姿が浮かぶ。
 詩編19編13節にこういう祈りの言葉がある。「知らずに犯した過ち、隠れた罪から どうかわたしを清めてください。
 私が大学の卒論でお世話になった教授が、卒業前にぽつりと仰った言葉が記憶に残っている。「君ははっきりしているから。」私はそれまで人にそう言われたことはなかったし、自分で意識したこともなかった。でもそれから四半世紀が過ぎ、先生の仰ったことは本当だったなとつくづく思う。最近、20歳ばかり年下の作業所メンバーが会話の中でおどおどしていた挙動が他のメンバーの仕草に似ていたのを、あまり考えなしに身振りを交えつつ指摘してしまったのだ。似ているとされた当人は穏やかな人柄で何の抗弁もしなかった。しかし、彼の仕草は不随意のもの。帰宅後に振り返った私は、どれほど無神経な発言をしてしまったか一頻り悔いたのだった。詩編19編の祈りは時折私自身も裡に叫ぶものだが、もしかしたら根本も似たような呻きを心に抱いたかもしれない。
 根本の掲出歌は、眼前に川があり、葦がたまたま十字架のような形に組み合わさって流れていったのを詠んだと思われる。根本は、自分の気づいていない罪も負ってくれる誰かがいるのだろうかと思いを巡らす。勿論、根本も知識としてイエスが全ての人の罪を負って十字架に架かったことは知っていた筈だ。けれど、確信のないまま葦の十字架を見つめていた彼女を、イエスご自身も見つめてくださっていたと私は思う。ルカによる福音書23章に、イエスが十字架につけられる経緯が詳述されている。そして十字架に架けられたまさにその時、イエスは「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです」と言った(34節)。イエスは、彼を信じる者の目に見えぬ罪も、また信じていない人の目に見えぬ罪についても、神がお赦しくださるように執り成してくださる。その愛は計り知れない。
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