水の門

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歌集『カインの祈り』

澤本佳歩歌集『カインの祈り』
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#通読 2018年1月分まとめ

2018年01月31日 09時13分40秒 | 黙想・聖書通読・礼拝聖句
◆1月1日
新改訳ヨブ33:13-14「なぜ、あなたは神と言い争うのか。自分のことばに神がいちいち答えてくださらないといって。神はある方法で語られ、また、ほかの方法で語られるが、人はそれに気づかない」。刺さる。昨日の礼拝でも二点程小さな気づきが。それを思い出せるかは祈りにかかっている

◆1月3日
バプテスマのヨハネの言葉(NIVマタイ3:8)「Produce fruit in keeping with repentance」に目が留まる。実を結ぶのは、悔い改めの連続のうちに起こるのだな。

◆1月4日
マタイ4:19、ペトロとアンデレを召し出したイエスの言葉「人間をとる漁師にしよう」は、NIVでは“I will send you out to fish for people.” 〈send you out〉に注目した。従うよう呼びかけた時から、既に主は彼らを送り出すというはっきりしたご意志をお持ちだったのだな。

◆1月7日
ヨブ40-41章。ベヘモット(河馬)とレビヤタン(わに)の頑強さ・精巧さを、神は微に入り細に入り説いている。今までは、ご自分の創造がいかに素晴らしいか主が力説していると捉えていた。だが今回、一つ一つの被造物に対して語り尽くせぬほど神は愛情をお持ちなのだ、と目を開かれた。

◆1月11日
マタイ9章。中風の人に「あなたの罪は赦される」と仰るイエスに内心「神を冒涜している」と思った律法学者。それを見抜いた主の「なぜ、心の中で悪いことを考えているのか」はNIVでは“Why do you entertain evil thoughts in your hearts?” 悪意を抱くとは、それを弄んでいる様なものか

◆1月12日
新改訳詩篇4:1「私が呼ぶとき、答えてください。私の義なる神。あなたは、私の苦しみのときにゆとりを与えてくださいました」。苦しみの原因そのものが取り除かれにくい場合は、少なくない。そんな時、ゆとりを与えてください、という祈りは現実的で唱え易い。憶えておきたいフレーズ。

◆1月13日
詩編6:4「わたしの魂は恐れおののいています。主よ、いつまでなのでしょう」の二文目、NIV(6:3)では〈How long, Lord, how long?〉となっている。まるで幼子が親に甘えるかのようだ。〈この苦しみはいつまでなの?ねぇ、いつまで?〉——そんな率直さで祈っていいんだな。

◆1月15日
マタイ11:15「耳のある者は聞きなさい」、NIVでは〈Whoever has ears, let them hear. 〉耳を持つ者は誰でも、その耳が聞くよう心を開きなさい、という意味か。主の御教えに心を寄せる者だけでなく、全ての人にイエスは呼びかけているのだな。

◆1月16日
マタイ12:43-45。汚れた霊が元いた人のところに戻ってみると綺麗に片づいていたので、他の悪い諸霊を連れてきて住み着く話。最近ふとした折に、昔憶えた占いの記憶が呼び覚まされた。暫く記憶をなぞってから、これは罪だ!と愕然。祈りで必死に追い出したが、私の心は空家だったのか?

◆1月17日
マタイ13章、種蒔きの譬え。石だらけの所に落ちた種は、土が浅いのですぐ芽を出したが、日が昇ると根がないため枯れた。発芽の様をNIVはsprang up quicklyと表記、弾け飛ぶ程の勢いが明らか。聖句への反応がゆっくりでも、心に根を下ろしている最中かも。己も人も拙速に裁かぬよう自戒

◆1月21日
新改訳詩篇17:8,10「私を、ひとみのように見守り、御翼の陰に私をかくまってください。…彼らは、鈍い心を堅く閉ざし、その口をもって高慢に語ります。」一般就労では性的な目に晒されることは少なかった。今の作業所では割とその手のトラブルが。瞳のように守って、は切実な願い。

◆1月23日
口語訳詩篇19:14「わが岩、わがあがないぬしなる主よ、どうか、わたしの口の言葉と、心の思いが あなたの前に喜ばれますように」。〈心の思い〉はNIVでは〈meditation of my heart〉。私の日々の黙想が主に喜ばれていますように、と心から願う。

◆1月26日
詩編22:10「わたしを母の胎から取り出し その乳房にゆだねてくださったのはあなたです」。後半はNIVで〈you made me trust in you, even at my mother’s breast〉(母の胸にいても貴方は私を貴方に信頼するようにされた)。神がお与えになった親を信頼する心を幼児に育むのも神なんだな

◆1月28日
新改訳詩篇25:6〜7「主よ。あなたのあわれみと恵みを覚えていてください。それらはとこしえからあったのですから。私の若い時の罪やそむきを覚えていないでください」。人に対してこんなご都合主義な懇願をしたらキレられそうだ。だが、主の誠実さを信じるこの祈りを神は顧みたんだな。

◆1月29日
詩編27:6「わたしは主の幕屋でいけにえをささげ、歓声をあげ 主に向かって賛美の歌をうたう」。後半はNIVでは〈I will sing and make music to the Lord.〉ただ歌うのでなく、主に対して音楽を作るのだ、と。塩谷達也氏の下記サイトはそんな実に溢れている。 https://morningsongs.tokyo
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