水の門

体内をながれるもの。ことば。音楽。飲みもの。スピリット。

歌集『カインの祈り』

澤本佳歩歌集『カインの祈り』
詳細は、こちらの記事をご覧ください。

Amazon等で購入できます。 また、HonyaClub で注文すれば、ご指定の書店で受け取ることもできます。

ご希望の方には、献本も受け付けております。詳細は、こちらの記事をご覧ください。

また、読書にご不自由のある方には【サピエ図書館】より音声データ(デイジーデータ)をご利用いただけます。詳細は、こちらの記事をご覧ください。

一首鑑賞(55):上田三四二「大方は読み大方忘る」

2018年04月07日 10時13分14秒 | 一首鑑賞
移り来し家に書棚に並べゆく大方は読み大方忘る
上田三四二『雉』


 上田は病弱な身体を押しつつ内科医として国立京都療養所や国立療養所東京病院に勤め、作歌に加えて歌論、評伝、自らの境涯を振り返っての随想など精力的に執筆活動を行い、1987年には紫綬褒章を受章している。
 その上田にして「家に書棚に並べゆく大方は読み大方忘る」と述べるのだから、当然蔵書数は桁外れだったに違いない。しかし凡庸な私としては、上田ほどの人がこう言うのを聞くと、少し安心する。そうか、生きていく上で必要なことは限られているのだなと感じるからだ。
 私は案外思い切りの良い方で、学生時代からその時分その時分で蔵書を古書店に売ってきた。約十年前に作歌を始めてしばらくは、歌集は気まぐれに時々購入する程度であったが、教会のトラクトのための一首鑑賞を取り組むようになってからは、何らかの形でキリスト教に関係する歌が載っていると聞きつけた歌集は、図書館で借りるなり、古書を購入するなり、場合によっては新品を入手するなり、意識的に読むよう心がけてきた。おかげで、たびたびの断捨離のわりには書棚が膨れ上がり、年間の読書冊数も格段に増えた。また新たに購入するにはある程度の本の処分も致し方ない。歌集以外で期待外れだった本はとうの昔に処分済み。となれば、次にお鉢が回ってくるのは、好きだった作家の小説などである。同じ本が最寄りの図書館に所蔵していれば、古本屋行きに選り出すのはそれほど苦労しない。それでもいよいよ、歌集にも手をかけざるを得ないくらいまで蔵書が増え続け、あまり思い入れのない歌集から売りに出そうと考えているところだが、記憶の中でパッとしない歌集が本当に処分に値するものかページを捲ってみなければならない手間を考えるとかなり気が滅入る。
 そうやって蔵書を絞っていっても「大方は読み大方忘る」ことには変わりない。けれど、書棚は脳の延長、仔細は忘れてもいい、必要な時に取り出せるようある程度の本の所蔵は不可欠だ、と自分に言い聞かせている。詩人の長田弘は「本を読むことが、読書なのではありません。自分の心のなかに失いたくない言葉の蓄え場所をつくりだすのが、読書です」(『読書からはじまる』)と書いているが、とにかく沢山の歌集に目を通すことに躍起になって、その中から見つけた珠玉の言葉に心の内のインデックスを付けることを忘れていはしないかと、折々に内省する。
 コヘレトの言葉12章12〜13節に、〈それらよりもなお、わが子よ、心せよ。書物はいくら記してもきりがない。学びすぎれば体が疲れる。すべてに耳を傾けて得た結論。「神を畏れ、その戒めを守れ。」これこそ、人間のすべて〉という御言葉がある。12節の口語訳は「わが子よ、これら以外の事にも心を用いよ。多くの書を作れば際限がない。多く学べばからだが疲れる」である。この聖句を通して、主は私を労わってくださると同時に、最も大切な掟へと私の目が向くよう促されていると思う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする