水の門

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歌集『カインの祈り』

澤本佳歩歌集『カインの祈り』
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一首鑑賞(67):三井喜子「主に告ぐる夜のひととき楽し」

2019年06月08日 10時52分09秒 | 一首鑑賞
身にありし一日の思ひ悉(ことごと)く主に告ぐる夜のひととき楽し
三井喜子『ラザロの如く』


 掲出歌を見るや「ああ、この感覚わかるなぁ」と頷いた。そして、祈りとは本来こういうものなのだと改めて思った。
 先月の教会全体研修会では、今年度の主題「祈り」について学んだ。左近豊の『信仰生活の手引き:祈り』という本をテキストに牧師先生が講話をなさった。その中で旧約の数多ある祈りを繙いていったが、その中の一つが詩編88編だった。左近師の本ではこの作者を「神との接点を求めながらも、神からの応答を引き出すことのできない苦難にある詩人」と呼んでいる。88編は「愛する者も友も あなたはわたしから遠ざけてしまわれました。今、わたしに親しいのは暗闇だけです」で結ばれており、詩人は救いのない状況に追い込まれているように見える。だが左近師は、答えがないからといって詩人が沈黙に陥らず神に訴え続けていることに注目する。N教会の牧師先生もこの詩編に対し「祈れること自体に救いがある」とコメントされた。

  悲しみの涙涸れたる老われのヨブ記読みつつ涙し流る
  飽食のわれ罪深き思ひして術なくしじにエレミヤ書読む


 三井は、友の子どもの死に際して、あるいは貧困の格差を前になす術のない自分が憤ろしく、聖書に立ち向かっている。引用の二首以外にも、折に触れ聖書に拠り所を求める真摯さに打たれる。

  人間の弱さすべなし聖言葉(みことば)にまた縋りゆく罪人われは

 このような三井や詩編88編の作者の姿を見て、人は悲壮感漂う熱狂主義と思うのであろうか。私はそうは思わない。掲出歌に一つの鍵が見出せるような気がする。色々あった一日の終わりに、心にある葛藤やわだかまり、人を許せない気持ちなど全て取り繕うことなく全能の神様に打ち明ける時間は、そう、楽しいのだ。私は持病の関係で入眠の服薬と就寝の時間が早めなので夜にこうした時間は取れないが、代わりに朝、大体四時頃に起き出してキッチンで神様に打ち明けるつもりで、前日のことをノート(黙想日記)に書き出し、聖書を読む。四時と言うと人に驚かれるのだが、私としては朝のこの時間が一日のうちで一番楽しく、紅茶やコーヒーを淹れ、プルーンやアーモンドを摘みつつ、テンションの高い時はうろうろしながらもこの時間を満喫している。こうして神様と時間を過ごして一日をスタートするから、自信をもって暮らしていけるのだとつくづく感じる。本来の私は、不安でどうしようもない人間なのだから。
 かつて所属した結社にこのような信仰の先達がいたことに私は心強く、自分もそのように神に支えられて生きていけたらと思うのである。
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