水の門

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歌集『カインの祈り』

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一首鑑賞(68):松本千恵乃「生産性という言葉」

2019年08月24日 17時04分30秒 | 一首鑑賞
人間に生産性という言葉向けられており紺色の空
松本千恵乃(『NHK短歌』2019年7月21日放送分、特選二席)


 放送で選者の大辻隆弘氏は、企業の物差しを人間にまで当てはめる社会のあり方に抗議する作者の批評眼の鋭さに注目し、結句「紺色の空」は現代社会の寒々しさを捉えたものと評していた。言うまでもなく、相模原障害者施設殺傷事件や、LGBTをめぐる某国会議員の雑誌での発言に関する問題を踏まえた作である。ただこれらの事件は、渦中の両氏の認識に留まらない社会の深層を炙り出したものとして記憶されるべきだろう。
 少し前の聖書通読の感想で、私はかつて母教会のある信徒に「神様はあなたを救って損したと思っているよ」と言われたことを告白した。今なら「それはおかしい。神様のお考えではない」と反駁できる。けれど受洗して日が浅かった私には、自分が己の救いしか眼中にない偏狭な精神の持ち主だという後ろめたさもどこかにあったし、教友らと伝道に日々忙殺されていた中では、そのわだかまりを無意識に押し込めて生活する他なかった。あまりにも慌ただしく年月が過ぎて、かの信徒の言葉も朧げに記憶の底に沈んでいたのだが、年初に山本芳久著『トマス・アクィナス〜理性と神秘』を読んで、その言葉が蘇ってきて数日苦しんだ。神様の無償の愛が説かれる教会で、このように成果主義的に人間を判断してしまう事態が生じるとは悲しい現実である。
 様々な葛藤があっても私が母教会に愛着を持ち、抜き差しならぬ事情で山梨に連れてこられてからもその執着が薄れなかったのは、母教会が人間的な誤りを含みながらも、それを上回る大きな愛で私を愛してくれたからだ。一つ忘れられない出来事がある。社会人一年目の秋のある週末、私は教会の学び会のリーダーのご実家を訪ねた。「星を見に行こう」と彼は学び会メンバーに持ちかけ、連れ立って出かけた。私はその土曜は出勤だったため、後から特急あずさに乗って小諸へ行った。その頃の私は、手厳しい先輩社員に仕えようと必死に努めていた。しかし彼女は非常に冷酷で、私は小諸の駅に迎えに来てくれたリーダーの車に乗り込んでからも号泣してしまい、皆が星を見るために車外へ出ても車を降りようとしなかった。見かねたある姉妹に「◯◯、ほら!」と腕を引っ張られ、連れ出された場所に膝をつき、眼前に展けた光景に息を飲んだ。空から零れ落ちそうなほどの無数の星々に私は放心していた。そこにリーダーがすーっと車を寄せて来た。しばらく沈黙があった。この時の私の心境をクリスチャンでない方にお伝えするのは難しい。満天の星を前にして私の頭には次の聖句が浮かんでいた。

 主は彼を外に連れ出して言われた。「天を仰いで、星を数えることができるなら、数えてみるがよい。」そして言われた。「あなたの子孫はこのようになる。」アブラムは主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。(創世記15章5〜6節)

 私は当時、教会に貢献できていたとは言い難い。すぐに精神的に落ち込んで人からのケアを必要とし、信仰のない方を神様の元へ導くなどおよそできない人間だった。しかし神様は私に星空を通じて、大きなヴィジョンを示してくださった。それがどのように結実するかは漠としたものではあったが——。

 彼は希望するすべもなかったときに、なおも望みを抱いて、信じ、「あなたの子孫はこのようになる」と言われていたとおりに、多くの民の父となりました。そのころ彼は、およそ百歳になっていて、既に自分の体が衰えており、そして妻サラの体も子を宿せないと知りながらも、その信仰が弱まりはしませんでした。彼は不信仰に陥って神の約束を疑うようなことはなく、むしろ信仰によって強められ、神を賛美しました。 神は約束したことを実現させる力も、お持ちの方だと、確信していたのです。(ローマの信徒への手紙4章18〜21節)

 現在の私は、精神障害を抱え、薄給である。乳がんのホルモン治療のため謂わば「強制閉経」させられており、未婚で子どももいない。社会的に見れば《生産性》からは程遠い人間なのかもしれない。でも私には、下記の御言葉が真実をもって迫ってくる。

 喜び歌え、不妊の女、子を産まなかった女よ。歓声をあげ、喜び歌え 産みの苦しみをしたことのない女よ。夫に捨てられた女の子供らは 夫ある女の子供らよりも数多くなると 主は言われる。(イザヤ書54章1節)

 神様は、私に自らを誇れない形で豊かな霊的実りを与えてくださった。そう思えることは何と幸いであろうか!
コメント (3)
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