水の門

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歌集『カインの祈り』

澤本佳歩歌集『カインの祈り』
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一首鑑賞(71):冨樫由美子「宗教は答えではなく」

2020年02月01日 14時25分30秒 | 一首鑑賞
「宗教は答えではなく問いかけです」と諭されており こたえがほしい
冨樫由美子『草の栞』


 冨樫は小学生の時分から教会に通っていたという。とすれば多感な年頃を教会と、ひいては神様と過ごしてきたわけである。何か躓くことがあると独りよがりに解決するのでなく、牧師や教会学校の教師にその都度答えを求めていたのならば、信仰の萌芽が見られるものと年配のクリスチャンの中には歓迎する向きもあっただろう。
 私の場合は、高校受験に失敗して滑り止めのキリスト教主義高校に進学した。私が試験本番に弱いことを案じた母の強力な説得に呑まれ、指定校推薦を取ることに渋々承知した私は、高2から某通信教育の小論文の講座を受講し始めた。私は性格としてはガリ勉のような姿勢を持っていたものの読書は苦手だったし、大学進学も独りで生計を立てていくためのステップとしてしか認識していなかったので、小論文の勉強は非常に辛いものだった。何とか大学で学び始めても、社会問題の闇の深さに一層絶望的な気持ちになり、サークル活動に明け暮れているのが実情だった。大学3年の時に体を壊しサークル活動の継続が難しくなった頃に、後の母教会のクリスチャンに学食で声をかけられ、聖書を勉強し受洗するに至った。
 母教会は聖書の学びに熱心で、聖句の一つ一つを自らの生活に当てはめて読むのを推奨していた。いかにもアメリカが発祥の教会らしくプラグマティズムが徹底されており、聖書を読み啓発されたことへの反応としてアクションを提示するのに長けていた。高校時代に指定校推薦を取るための打算でいやいや通っていた教団の教会の、優等生的な雰囲気に馴染まなかった私でも心惹かれたのは、母教会のそのような特質に拠るところが大きかったと思う。しかし、私が発病して山梨に移された後に、母教会のカリスマ的な指導者の権威が失墜すると、教会を離れる人達が続出したと聞く。この母教会の成り行きから、目に見えない神様を信じながら目に見える答えを欲してしまう人間の弱さを否応なしに感じる。
 それゆえ、「宗教は答えではなく問いかけです」と人を諭せるのは相当の信仰者なのでは、と私などは思ってしまう。それとも、それがキリスト教会の正統的な信仰なのだろうか。おそらく発言者は牧師だったに違いない。割と最近フォローし始めたTwitterのフォロワーさんで牧師夫人の方の過日のツイートで、聖書研究会において聖句の解釈をたびたび問う方に牧師はYesもNoも言わず、複数の解釈を説明したりして更に考えさせることを投げ掛け、短絡的に聖書を読まないよう促している、と打ち明けていらした。
 私達は簡単に答えが欲しくなる。それで人に安直に答えを求め、上手くいかなくなるとその人に責任を帰してしまいがちである。だが、ここで私は責任転嫁を戒めたいのではない。むしろ、祈りによる問いかけをいつも待っていらっしゃる神様の広い愛に、私達の目が開かれるよう願って、この稿を閉じたい。
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