水の門

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歌集『カインの祈り』

澤本佳歩歌集『カインの祈り』
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#通読+α 2021年8月分まとめ

2021年08月31日 12時40分58秒 | 黙想・聖書通読・礼拝聖句
◆8月1日
<新改訳第三版 詩篇97:4>
主のいなずまは世界を照らし、地は見て、おののく。
(8月1日礼拝 交読詩篇より)
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少し前に作業所で、私が過去に最も怖かった雷の話をしていた。
[以下その話]
   *  *  *
私は大学3年の夏休みに(後の母教会となる教会の信徒と)聖書の勉強をした。聖書の学びも終盤に入り、「罪」についての学びになっていた。聖書の言う「罪」が世の中で言う罪よりも範囲が広く、心の中の思いなども「罪」になるのか……と学びつつ、私はただ(罪、私も沢山あるんだな……)くらいの感覚で通過しようとしていた。

[注]賛否両論あろうが、母教会では前半の学びは平信徒に任せてる。ただし、聖書の教え方についてはみっちり仕込まれる

ある日、牧師夫妻の留守中のお宅で(許可を得て)聖書の学びの大詰めをしてた。その日は激しく雨が降っていた。予定より少し遅れて教会スタッフ(女性)が到着して加わった。私にそれまで教えてくれてた大学生は私の理解が進んでるものと信じてた。でもそのスタッフが私と少し話してみて「貴方は、罪が、わかっていない!!」とズバッと仰った。その瞬間、ダーーーンッ!!と大きな雷が落ちた。友達も、そのスタッフも唖然としていた。 牧師宅で飼われてた兎はそれまで走り回ってたのに、落雷後、固まってしまってただ後脚を(ヅ…ヅ…ヅ…)と床に打ちつけていた。私はもう(神様怖い!!神様怒ってる……!)とビビりまくり。
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以来、私は雷が怖くなった。まぁでも今はそのスタッフには感謝してる。

◆8月11日
この前の日曜は礼拝へ行ったが、実は怖気づいていた。私より年配の方が殆どの教会員に向けて(熟慮したとはいえ)説教がましい文章を載せたトラクトを発行したから。
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<新共同訳 コリント⑵10:1>
さて、あなたがたの間で面と向かっては弱腰だが、離れていると強硬な態度に出る、と思われている、このわたしパウロが、キリストの優しさと心の広さとをもって、あなたがたに願います。
<同⑵10:9>
わたしは手紙であなたがたを脅していると思われたくない。
<同⑵10:10>
わたしのことを、「手紙は重々しく力強いが、実際に会ってみると弱々しい人で、話もつまらない」と言う者たちがいるからです。
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まさに私はこんな者。一ヶ月の礼拝欠席の間に見慣れぬ方がいらしてて(しかも新来会者でなく)、礼拝前にトラクトを凝視してるのを見て私はソワソワ。でも、御言葉を語るのは牧師の専売特許じゃないと、どうしても言いたかった。聖書のことを全く話さない交わりなんて、その辺の仲良しクラブと何も変わらないよ。

◆8月21日
<新改訳第三版 列王記⑴8:59>
私が主の御前で願ったことばが、昼も夜も、私たちの神、主のみそば近くにあって、日常のことにおいても、しもべの言い分や、御民イスラエルの言い分を正しく聞き入れてくださいますように。
(*しもべ→これを祈ってる本人(ソロモン)の謙遜の自称)
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こんなこと書いてあったんだなぁ、と。たんたか短歌とか聴いてたりすると、「祈り」って敷居高いもの、尊い言葉を連ねることと世間では捉えられてるのかなぁと思うことがある(まぁ下手するとクリスチャンですらそう感じていて祈りが重荷となってる人もいるから、無理もないけど)。「日常のことにおいても」って本当そう。瑣末なことやエグいこと、結構祈ってる(お手洗いで踏ん張りつつ「出ますように!」とか、作業所から帰る際「駐車場隣接宅の女性から声かけられませんように」とか)。皆に呆れられるだろうけど、背に腹はかえられない。神の前でカッコつけても仕方ないよね、と
コメント
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