水の門

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歌集『カインの祈り』

澤本佳歩歌集『カインの祈り』
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一首鑑賞(88):美好ゆか「進めない日は進まない」

2022年06月11日 08時31分35秒 | 一首鑑賞
進めない日は進まない ぶらんこを後ろに漕げば空が近づく
美好ゆか(2022年5月6日のTwitterより)


 いきなり私事で始める非礼を詫びつつ筆を執る。以前から私は体力に自信のある方ではなかったが、ここ三年ほどはとみに身体の衰えを実感するようになった。そんな私に、美好の一首はとても慕わしい。あぁそれで良いのだな、と安心させられるのだ。美好が真摯な信仰を抱いているのはTwitterの呟きの端々から明らかだが、掲出歌では聖書的な語句をあえて使わず、主への信頼の気持ちを現代の日常的なものに置き換えて表しており、信仰のない方にも届く射程を備えた一首になっていると思う。
 出エジプト記は、飢饉のためにエジプトに移住していたイスラエルの民がファラオの圧政から逃れるためにエジプトを脱出し、約束のカナンの地へ向かった歩みの初期の頃を綴った書である。出エジプト記40章34〜38節に、「雲は臨在の幕屋を覆い、主の栄光が幕屋に満ちた。モーセは臨在の幕屋に入ることができなかった。雲がその上にとどまり、主の栄光が幕屋に満ちていたからである。雲が幕屋を離れて昇ると、イスラエルの人々は出発した。旅路にあるときはいつもそうした。雲が離れて昇らないときは、離れて昇る日まで、彼らは出発しなかった。旅路にあるときはいつも、昼は主の雲が幕屋の上にあり、夜は雲の中に火が現れて、イスラエルの家のすべての人に見えたからである」とある。
 私の日常は、週の半分において作業所への通所をし、残りの半分は身の回りの雑務をする他は、短歌作りや読書、執筆、ポストカード作成、手紙書きなどを行なっている。作業所へ通所しない所謂オフの日は、溜まった疲労感と共に、やらなければいけないこと及びやりたいことの数々に圧倒されて、頭の中ではぐるぐる思い巡らしてはいるものの傍目には横になっているようにしか見えないことも多いと思う。現在の母は以前ほど干渉しなくなってきたが、日々寝込んでいるだけに見える私に「情けない!」「呆れた!」を連発していて、ただでも疲れているのにそれに追い討ちで過重をかけてくるようなところがあった。
 「怠けている」という人からのジャッジに怯えて自己証明のために行動に走っても、ただそういう自分への誇りになるだけである。見下しへの抗いが動機だと内面に怒りが蓄積されるように思う。時には有言実行になれないことが出てきてもある程度致し方ない。それよりも、自分の非は非と認め、軌道修正していくことの方がより重要な気がする。
 旧約に散見される「雲の柱」に纏わる聖句は、若い頃はよく解らない感じがしていた。いつの間にか私も性急に成果を求める結果偏重なマインドセットが醸成されてきていたのかもしれない。でも最近は、人にはどう見えようと主と共に歩むことの大切さを噛み締めながら暮らしている。モーセやイスラエルの民と歩まれた主をいつも覚えて生活していけますようにと裡に祈りつつ、次の御言葉を心に留めたい。

人間の心は自分の道を計画する。主が一歩一歩を備えてくださる。(箴言 16章9節)
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