さくらばな開くを恃(たの)む身の熱くひとりの思ひ去年とことなる
母は二年前の4月に胃がんの手術をした。入院する母を市立病院に送って行った帰りにスーパーへ寄ろうとして高校の脇の道を通った時、ちょうど桜が満開で私にはグッと込み上げるものがあった。
数年前まで、うちの玄関のところに写真がいくつか飾ってあった。その内の一つが、両親が引退後の移住先を探すために方々を旅行した際に東北で撮ったという桜の写真だった。満開の桜を背に、母が帽子の鍔を手で押さえつつ溢れんばかりの笑みを湛えて写っていた。父母ともにその写真を気に入っていたようである。山梨に来てからしばらくは、私と母は隣の市の桜スポットを巡るドライヴにランチがてら出かけていたりしたが、ここ何年かは行っていない。私が今はあまり外食を好まなくなってしまったのもあるし、コロナのご時世のことも多少は影響していたと思う。
少し前に母はテレビで「八十の壁」というのを見て、深く心に感じることがあったらしい。それは、八十歳を過ぎたら好きなことだけして生きるのが健康寿命を延ばす秘訣、というような趣旨の内容だったそうだ。母は以前は八十五歳くらいまで主婦の現役で頑張る腹づもりで、免許の返納の件などを私がそれとなく訊いたりすると激しく怒って「私の好きにさせないと惚けるよ!」と決まり文句のように答えていた。母も私も気性が荒っぽい方で、一昨年の秋から昨年初頭にかけて私の精神状態が激昂していた時には母と派手な衝突を繰り返したこともあって、母はゆくゆくは老人ホームへ入らないと二人して潰れてしまうと切に感じたようでその旨公言していたが、先のテレビがきっかけで「八十になったらホームを探す」と言い出し、今から少しずつ準備を始めた。
つばらかに花をひらけるさくら木が墓域の直(すぐ)の道を覆へり
父は2011年9月に没した。母の一存で、父の葬儀は私が通っている教会の牧師先生にお越しいただいてセレモニーホールで家族葬をし、翌日の火葬にも牧師先生にお世話になった。父は浪費癖があったので、家以外の財産はほぼ遺さず亡くなり、墓なども用意できていなかった。火葬が終わるのを待つ席で、牧師先生に「教会のお墓があるC霊苑は、春は桜がとても綺麗ですよ」と言われて、母は大変心動かされるものがあったようだ。諸々の手続きを終えてから母と私はその霊苑を訪ね、安めの墓所を購入し、墓を作って父を納骨した。その後、二回ほどは私も墓参りと称しての花見に同行した。今年は4月初め、桜雨の降る肌寒い日に弟の運転で母は墓参りに行ったが、私はついて行かなかった。二、三年前に母は「私のお墓参りには来なくてもいいよ。私はお墓に入ったら毎年桜が楽しめるんだし」とサバサバと言っていた。母の人柄からすると、これは本音なのだろうし、私が運転が不得手で墓の近辺の狭い道で立ち往生してしまうことを案じての気遣いもあっての言葉でもあったろう。
十字架の死を言ひさして突きあぐる思ひを耐ふる桜咲く日に
母は今年の9月で七十八歳になる。八十歳まであと二年——。そう考えると、たとえ近場でもいいから母と花見に行っておかなくては、と思う。あとあと後悔の念をもって、桜を見ることがないように。
杉本清子『邂逅』
母は二年前の4月に胃がんの手術をした。入院する母を市立病院に送って行った帰りにスーパーへ寄ろうとして高校の脇の道を通った時、ちょうど桜が満開で私にはグッと込み上げるものがあった。
数年前まで、うちの玄関のところに写真がいくつか飾ってあった。その内の一つが、両親が引退後の移住先を探すために方々を旅行した際に東北で撮ったという桜の写真だった。満開の桜を背に、母が帽子の鍔を手で押さえつつ溢れんばかりの笑みを湛えて写っていた。父母ともにその写真を気に入っていたようである。山梨に来てからしばらくは、私と母は隣の市の桜スポットを巡るドライヴにランチがてら出かけていたりしたが、ここ何年かは行っていない。私が今はあまり外食を好まなくなってしまったのもあるし、コロナのご時世のことも多少は影響していたと思う。
少し前に母はテレビで「八十の壁」というのを見て、深く心に感じることがあったらしい。それは、八十歳を過ぎたら好きなことだけして生きるのが健康寿命を延ばす秘訣、というような趣旨の内容だったそうだ。母は以前は八十五歳くらいまで主婦の現役で頑張る腹づもりで、免許の返納の件などを私がそれとなく訊いたりすると激しく怒って「私の好きにさせないと惚けるよ!」と決まり文句のように答えていた。母も私も気性が荒っぽい方で、一昨年の秋から昨年初頭にかけて私の精神状態が激昂していた時には母と派手な衝突を繰り返したこともあって、母はゆくゆくは老人ホームへ入らないと二人して潰れてしまうと切に感じたようでその旨公言していたが、先のテレビがきっかけで「八十になったらホームを探す」と言い出し、今から少しずつ準備を始めた。
つばらかに花をひらけるさくら木が墓域の直(すぐ)の道を覆へり
父は2011年9月に没した。母の一存で、父の葬儀は私が通っている教会の牧師先生にお越しいただいてセレモニーホールで家族葬をし、翌日の火葬にも牧師先生にお世話になった。父は浪費癖があったので、家以外の財産はほぼ遺さず亡くなり、墓なども用意できていなかった。火葬が終わるのを待つ席で、牧師先生に「教会のお墓があるC霊苑は、春は桜がとても綺麗ですよ」と言われて、母は大変心動かされるものがあったようだ。諸々の手続きを終えてから母と私はその霊苑を訪ね、安めの墓所を購入し、墓を作って父を納骨した。その後、二回ほどは私も墓参りと称しての花見に同行した。今年は4月初め、桜雨の降る肌寒い日に弟の運転で母は墓参りに行ったが、私はついて行かなかった。二、三年前に母は「私のお墓参りには来なくてもいいよ。私はお墓に入ったら毎年桜が楽しめるんだし」とサバサバと言っていた。母の人柄からすると、これは本音なのだろうし、私が運転が不得手で墓の近辺の狭い道で立ち往生してしまうことを案じての気遣いもあっての言葉でもあったろう。
十字架の死を言ひさして突きあぐる思ひを耐ふる桜咲く日に
母は今年の9月で七十八歳になる。八十歳まであと二年——。そう考えると、たとえ近場でもいいから母と花見に行っておかなくては、と思う。あとあと後悔の念をもって、桜を見ることがないように。