「風に立つライオン」は、元はさだまさしの曲で、医師としてケニアに派遣され現地医療に従事していた柴田紘一郎のエピソードにインスピレーションを受けて制作されたものである。沢知恵のヴァージョンは、2000年発売の『いいうたいろいろ2』というカヴァー曲集に収められている。
三年の間あちらこちらを廻り
その感動を君と分けたいと思ったことが沢山ありました
ビクトリア湖の朝焼け 百万羽のフラミンゴが
一斉に翔び発つ時 暗くなる空や
歌は、主人公が日本にいる恋人宛ての手紙の形式を取り、ケニア各地で目にした絶景について筆を尽くしている。
この偉大な自然のなかで病いと向かい合えば
神様について ヒトについて 考えるものですね (中略)
昨年出版された本に『こぎつねのとくべつなクリスマス』(ポリー・フェイバー作、リチャード・ジョーンズ絵、ひびのさほ訳)という絵本がある。真冬の雪深い中こぎつねがサンタクロースの家に迷い込むところから話は始まる。家主のおじいさんはこぎつねを抱き上げ、たっぷりご飯をあげると先に休んでしまう。余程の疲れと見え何日も眠った後おじいさんは目を覚ます。外はもう春。こぎつねはすっかりおじいさんの家に居着いて遊び回っていたが、おじいさんはコツコツとおもちゃ作りに励む。
去年のクリスマスは国境近くの村で過ごしました
こんな処にもサンタクロースはやって来ます 去年は僕でした
私は2020年秋から、『信徒の友』「日毎の糧」欄に掲載の教会宛てにN教会のトラクトとFEBC番組表を送り始めた。私は昔からポストカードを買うのが趣味だったので、同封の手紙も便箋ではなく市販のポストカードを利用していた。そうして買い足していったポストカードブックに、写真と聖句を合わせたカードもあった。それで、私も聖句ポストカードを自作してみるか?という気持ちが芽生えたのである。
『こぎつねのとくべつなクリスマス』では、また冬が巡ってきたとき空から雪と共に沢山の手紙が降ってくる。それはサンタクロースのおじいさん宛てに子ども達が書いた手紙だった。手紙を一枚一枚丁寧に読んだサンタクロースは、作り溜めていたおもちゃをそれぞれ誰にあげるか決めていったと書いてある。私はこれを読んで心が浮き立った。
私がポストカードを自作するのは楽しみもあるが、手紙の文面を都度イチから書き起こすのは非常に骨が折れたので省力化の意味もあったのだ。「日毎の糧」掲載の教会の紹介文/祈りの課題を見て、各教会にどのカードを送るか選んでいる。
聖句を添えたカードを心掛けてきたのは、説教をしたいからではない。自分の内の言葉が(特に祝福の言葉が)乏しいのが分かっているから、聖句に気持ちを代弁させているのである。ポストカード作成は、励ましの言葉のストック作りと思っている。
辛くないと言えば嘘になるけれど しあわせです (中略)
『信徒の友』「日毎の糧」欄の教会に宛てての封書発送は、私事などで中断もあったが、今も少しずつ続けている。季節ごとの可憐な花が撮れたり、日々の黙想で「この聖句すてき!」と思った時にメモっておいて、後で聖句ポストカードを作成している。
僕は「現在(いま)」を生きる事に思い上がりたくないのです
空を切り裂いて落下する滝のように
僕はよどみない生命(いのち)を生きたい
キリマンジャロの白い雪 それを支える紺碧の空
僕は風に向かって立つライオンでありたい
そのポストカードが、当初の企図を越えて今の所属教会でも重用していただけているのは、望外の喜びである。
三年の間あちらこちらを廻り
その感動を君と分けたいと思ったことが沢山ありました
ビクトリア湖の朝焼け 百万羽のフラミンゴが
一斉に翔び発つ時 暗くなる空や
歌は、主人公が日本にいる恋人宛ての手紙の形式を取り、ケニア各地で目にした絶景について筆を尽くしている。
この偉大な自然のなかで病いと向かい合えば
神様について ヒトについて 考えるものですね (中略)
昨年出版された本に『こぎつねのとくべつなクリスマス』(ポリー・フェイバー作、リチャード・ジョーンズ絵、ひびのさほ訳)という絵本がある。真冬の雪深い中こぎつねがサンタクロースの家に迷い込むところから話は始まる。家主のおじいさんはこぎつねを抱き上げ、たっぷりご飯をあげると先に休んでしまう。余程の疲れと見え何日も眠った後おじいさんは目を覚ます。外はもう春。こぎつねはすっかりおじいさんの家に居着いて遊び回っていたが、おじいさんはコツコツとおもちゃ作りに励む。
去年のクリスマスは国境近くの村で過ごしました
こんな処にもサンタクロースはやって来ます 去年は僕でした
私は2020年秋から、『信徒の友』「日毎の糧」欄に掲載の教会宛てにN教会のトラクトとFEBC番組表を送り始めた。私は昔からポストカードを買うのが趣味だったので、同封の手紙も便箋ではなく市販のポストカードを利用していた。そうして買い足していったポストカードブックに、写真と聖句を合わせたカードもあった。それで、私も聖句ポストカードを自作してみるか?という気持ちが芽生えたのである。
『こぎつねのとくべつなクリスマス』では、また冬が巡ってきたとき空から雪と共に沢山の手紙が降ってくる。それはサンタクロースのおじいさん宛てに子ども達が書いた手紙だった。手紙を一枚一枚丁寧に読んだサンタクロースは、作り溜めていたおもちゃをそれぞれ誰にあげるか決めていったと書いてある。私はこれを読んで心が浮き立った。
私がポストカードを自作するのは楽しみもあるが、手紙の文面を都度イチから書き起こすのは非常に骨が折れたので省力化の意味もあったのだ。「日毎の糧」掲載の教会の紹介文/祈りの課題を見て、各教会にどのカードを送るか選んでいる。
聖句を添えたカードを心掛けてきたのは、説教をしたいからではない。自分の内の言葉が(特に祝福の言葉が)乏しいのが分かっているから、聖句に気持ちを代弁させているのである。ポストカード作成は、励ましの言葉のストック作りと思っている。
辛くないと言えば嘘になるけれど しあわせです (中略)
『信徒の友』「日毎の糧」欄の教会に宛てての封書発送は、私事などで中断もあったが、今も少しずつ続けている。季節ごとの可憐な花が撮れたり、日々の黙想で「この聖句すてき!」と思った時にメモっておいて、後で聖句ポストカードを作成している。
僕は「現在(いま)」を生きる事に思い上がりたくないのです
空を切り裂いて落下する滝のように
僕はよどみない生命(いのち)を生きたい
キリマンジャロの白い雪 それを支える紺碧の空
僕は風に向かって立つライオンでありたい
そのポストカードが、当初の企図を越えて今の所属教会でも重用していただけているのは、望外の喜びである。