順位とか成績とかお金とかの「数字」に多くの人が依存し過ぎている(あるいは数字に“酔っている”ように見える)のって、煎じ詰めれば「見えないものは信じられない」というマインドに行き着く感じがするなぁ。
まぁ数字はね、目安にはなる。進捗度とか達成度とかを確認する際に他者と共有できる基準としてね(あるいは、本当に物凄く価格が上がったとかいう物差しにはなる)。でも、優れたスポーツ選手がどんどん成績を伸ばしているのに対して、数字ばかりを取り沙汰して熱狂しているマスコミの報道などを見聞きすると、(あぁこの人達は欺かれてるなぁ……)と私なんかは思っちゃう。
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母教会は、凄くスタッツ(統計数値)を気にする教会だった。極論すると「礼拝出席者数が増えて、洗礼者数が右肩上がりに増えればいい」みたいな。一人の人が神様を信じるようになって、どれだけ内面や暮らしが潤されるようになったか、は二の次みたいな。
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<新共同訳 サムエル記下24章1〜17節>
主の怒りが再びイスラエルに対して燃え上がった。主は、「イスラエルとユダの人口を数えよ」とダビデを誘われた。王は直属の軍の司令官ヨアブに命じた。「ダンからベエル・シェバに及ぶイスラエルの全部族の間を巡って民の数を調べよ。民の数を知りたい。」ヨアブは王に言った。「あなたの神、主がこの民を百倍にも増やしてくださいますように。主君、王御自身がそれを直接目にされますように。主君、王はなぜ、 このようなことを望まれるのですか。」しかし、ヨアブと軍の長たちに対する王の命令は厳しかったので、ヨアブと軍の長たちはダビデの前を辞し、イスラエルの民を数えるために出発した。彼らはヨルダン川を渡って、アロエルとガドの谷間の町から始め、更にヤゼルを目指し、ギレアドに入って、ヘト人の地カデシュに至り、ダン・ヤアンからシドンに回った。彼らはティルスの要塞に入り、ヒビ人、カナン人の町をことごとく巡ってユダのネゲブの、ベエル・シェバに至った。彼らは九か月と二十日をかけて全国を巡った後、エルサレムに帰還した。ヨアブは調べた民の数を王に報告した。剣を取りうる戦士はイスラエルに八十万、ユダに五十万であった。民を数えたことはダビデの心に呵責となった。ダビデは主に言った。「わたしは重い罪を犯しました。主よ、どうか僕の悪をお見逃しください。大変愚かなことをしました。」ダビデが朝起きると、神の言葉がダビデの預言者であり先見者であるガドに臨んでいた。 「行ってダビデに告げよ。主はこう言われる。『わたしはあなたに三つの事を示す。その一つを選ぶがよい。わたしはそれを実行する』と。」ガドはダビデのもとに来て告げた。「七年間の飢饉があなたの国を襲うことか、あなたが三か月間敵に追われて逃げることか、三日間あなたの国に疫病が起こることか。よく考えて、わたしを遣わされた方にどうお答えすべきか、決めてください。」ダビデはガドに言った。「大変な苦しみだ。主の御手にかかって倒れよう。主の慈悲は大きい。人間の手にはかかりたくない。」主は、その朝から定められた日数の間、イスラエルに疫病をもたらされた。ダンからベエル・シェバまでの民のうち七万人が死んだ。御使いはその手をエルサレムに伸ばして、これを滅ぼそうとしたが、主はこの災いを思い返され、民を滅ぼそうとする御使いに言われた。「もう十分だ。その手を下ろせ。」主の御使いはエブス人アラウナの麦打ち場の傍らにいた。ダビデは、御使いが民を打つのを見て、主に言った。「御覧ください、罪を犯したのはわたしです。わたしが悪かったのです。この羊の群れが何をしたのでしょうか。どうか御手がわたしとわたしの父の家に下りますように。」
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数字を注視するのって、現実主義で理性的なことに感じられるのかもしれないけど、安心感の拠り所が無いから数字に頼っている、という弱さの現れでもあるんじゃないかと私は思う。
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大谷選手が凄いのは、別に数字で金字塔を打ち立てたからではない、と私は思うけどなぁ。勿論、あれだけストイックに努力を続け、チームの皆さんのことも気遣って、成果を上げていくことは凄いよ。でも、数字はあくまで「ついてくる」ものでしかなくて、それを血眼になって追っかけてるんじゃないと思うよ。(少し前のニュースで、大谷選手が「数字のことは考えてない。気持ちで打ってる」って言ってたという話が紹介されてたけど、あれは本当だと思う。)それを数字ばかり取り上げてフィーバーするのって、私達の発想が貧困なことをあらわしてるよな、という気がする。
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<新改訳第三版 ローマ人への手紙14章17節>
なぜなら、神の国は飲み食いのことではなく、義と平和と聖霊による喜びだからです。
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ちょっと飛んで「飲み食い」についての聖句だけど、飲食も安直に飛びつきやすい(目に見える)快楽の一つである(それさえ満たしときゃオッケー!みたいな)。
まぁ有り難いことに我が家では、一応、食に困ったことは無かったけど、食卓につくことは辛いものがあった。兄弟の諍いの場であり、親が子どもに感謝を強要する場であったから。だから飲食してても、心が寒いなんて日常だった。
私は、教会の愛餐会が、「義と平和と聖霊による喜び」の場になることを望んでいる。
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