水の門

体内をながれるもの。ことば。音楽。飲みもの。スピリット。

一首鑑賞(22):古谷智子と岡井隆のキャロリングの歌

2015年12月25日 13時41分58秒 | 一首鑑賞
をとこにもをんなにもあらぬ声に子ら歌ふ聖夜灯せる門を巡りて
古谷智子『神の痛みの神学のオブリガート』


 昨夜、初めてクリスマスイヴのキャロリングに参加した。イヴ礼拝には以前一度だけ出席したことがあったが、何しろ就寝前に服薬があるという身分、その時は礼拝が終わるや否やそそくさと帰路に就いていた。
 そんな消極的だった私の肩を押すきっかけになったのは、首掲の歌と共に次の一首を目にしたことだ。

  声変りしつつある故唱へぬをあはれがるころキャロルは終る/岡井隆『宮殿』

 イヴ礼拝後20分ほどお茶の時間を持ち、それから連れ立って駅へ。到着してみると、何と大人から子どもまで30人近くの顔ぶれがあった。まず「もろびとこぞりて」で元気よくキャロリングを開始。だが、曲が終わっても電車が到着しない。予定よりも電車が遅れていたようで、次の「きよしこの夜」を歌っている最中にそうアナウンスが流れてきた。「きよしこの夜」なんてよく知っている曲と思っていたが、案外アルトのパートが難しい。大所帯のこちらとあちらでだいぶ音程に開きがあるような不協和のハーモニーが響いていて、後半はちょっと歌えなかった。「あらのの果てに」を歌い始めても人影はまばら。「電車来ないねぇ」などと言っていると、私の右隣で歌っていた男の子が「電車過ぎて行っちゃったよ」と一言。そのままでは締まりが悪いため、もう一度「きよしこの夜」を賛美。一人よく通る声の歌の上手い子がいたが、教会学校の親御さんに訊くと、最近教会に来始めた子だという。普段私は教会学校の親子との接触が少ないので、なかなか新鮮だった。とりあえずその場はお開きになって、一行は近所のS病院へ向かった。私はお暇して車を置いてある駐車場へと歩き始めた。その道々、「♪主は来ませり~、主は来ませり~」と歌声が聴こえてきて何ともほのぼのとした気持ちになった。まあ、一番大きかった声の主は牧師だったが(笑)。
 話によれば、その日のキャロリングはS病院で歌い納めにしたらしいが、過去には病気療養中の信徒のお宅を訪問して歌ったこともあったそうで、それはご本人にもご家族にも心温まるひと時だったようだ。「をとこにもをんなにもあらぬ声」…(キャロリングに参加した多くの子供達はちょうどそんな年格好だったが)、病に臥せっている方にとって子らの歌声はまさに天使の声のように響いたことだろう。昨晩も、上手く歌えなかったり、色んな雑多な想いを含めながら、キャロルは終わってしまった。でも、心に何かぬくもりを残して過ぎた時間であったことは紛れもない。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 前の記事へ | トップ | 次の記事へ »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿