教会員が「子どもは希望だ」みたいなことを言う時に(そうね)と思う部分もあるが、(何か違うよなぁ……)と感じてしまうのも正直なところ。私自身が子どもを欲しいと思ったことが無いから言えるのかもしれないが、子どもを欲しがる人の魂胆に薄汚さを感じてしまう部分が結構ある。何と言うか、自分達の老後の世話をさせるために「子どもを作れ」とか「子無しは非生産的」とか言う政治家や、あるいは老いてきた自分達の生活資金を生み出してもらうために、若い世代に「産め」「働け」と言う為政者と似たものを感じてしまうというか。何か、子ども自身の幸せを純粋に願ってるようには感じられないというか、結局自分のためなんじゃん?って思っちゃうんだよね。
若い世代や子どもの人口は減ってるから、どこでも若者達を自分達のところに引き込もうと血眼になってるのが見え見えなんだよなぁ……(まぁそれは教会に限ったことではないけどね)。私としては、そういう下心の中高年を見てる若者が冷めてく気持ちも解る気がしちゃうんだよね。
↓ ↓ ↓
<新共同訳 コリントの信徒への手紙 一10章24節>
だれでも、自分の利益ではなく他人の利益を追い求めなさい。
若い世代や子どもの人口は減ってるから、どこでも若者達を自分達のところに引き込もうと血眼になってるのが見え見えなんだよなぁ……(まぁそれは教会に限ったことではないけどね)。私としては、そういう下心の中高年を見てる若者が冷めてく気持ちも解る気がしちゃうんだよね。
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<新共同訳 コリントの信徒への手紙 一10章24節>
だれでも、自分の利益ではなく他人の利益を追い求めなさい。
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