毎日がちょっとぼうけん

日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

「日本から孫の頭の写真が」No.2918

2019-05-06 16:32:31 | 自分事情

日本の春の風物詩、と言えないこともないかな(笑)。

孫の頭にタンポポの綿ぼうしがくっついている写真が送られてきました。

きっと後ろのお姉ちゃんが妹の傍で綿ぼうしを吹いたのでしょう。

(まだ手に持っている)

写真のためにわざわざ腰を曲げて、

頭をカメラに向けている妹の真面目な態度が

何とも可笑しいです。

頭にキラキラ輝く飾りのようにも見えないこともありませんね。

関西ももう半袖かあ、こちらでも半袖の学生たちがちらほら見られます

さあ、5連休は終わった!

学期後半、7月まで駆け抜けます。

 

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「暖冬だから暖房要らず、とはいえ」No.2821

2019-02-03 00:02:31 | 自分事情

確かに今年は暖冬で、

帰阪以来エアコンも一度もつけず、セラミックファンヒーターも

カバーをかけたままです。

しかし、さすがに夜は冷えます。

早く布団に入って寝たら問題ないのに、なぜか夜型の生活……。

(そうだ、10年ぐらい前にあれ買ってあったわ!)

    ↓      ↓      ↓

買った時はこのモコモコ感に我慢できず、実用的ではないと断定して

押入れに放り込んであったのです。

あの時は、まだまだ生活に対する姿勢が甘かったですわ。

いや~、捨てなくてヨカッタ!

シロクマ君みたいな衣装の中でも

さらに室内履きとレッグウォーマーを履けば

大阪では十分に足元ぽかぽかで役に立ちますよ~。

年金生活の同志たち、これで冬の寒さを乗り越えましょう!

(北海道から東北の同志たちは別の手段が必要ですね。

どうもスミマセン)

ちなみに、これもメイドイン・チャイナです。



 

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「日脚伸ぶ 知床の味 おすそ分け」No.2817

2019-01-29 12:09:44 | 自分事情

じゃーん!知床の鮨漬け(飯寿司)ですよ~ん

知床(ウトロ)在住の姉から、また

塩マス・塩鮭、手作りコロッケ、鮭フライ、イクラ、筋子など

懐かしいオホーツクの味がた~くさん送られてきました。

ありがたや、ありがたや

鮨漬けは全部自分で食べたかったんですけど(笑)、

娘や息子にもおすそ分けしてあげました。

わさび醤油で食べると、めっちゃ美味しいんですよ~♪


↓昨日は何十年来の先輩・友人と、

昨年末オープンしたばかりの息子の店へ行き、歓談。

古いお店を譲り受けて、

まだ自分であれこれ改装している状態の多国籍料理店&パブですが、

何とか食べていけるように祈るばかりです。

 

 

 

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「私は少し短気になりましたが……」No.2750

2018-11-20 23:47:52 | 自分事情

↑キャンパスを散歩する子の服が次第にモコモコになってきました。

この写真では定かではありませんが、

実は伝統的な中国の幼い子のズボンは冬でも尻割れズボンなのです。

(冷えないのかなあ)といつも心配になります

 

実はつい数時間前までプリプリ怒って、

(今学期でこの大学ともおさらばだ!)と本気で思っていたのです。

原因は夕方見たメールでした。

その中に来学期の授業科目の打診があり、

2年生対象に「日本語スピーチ」を新設するので担当して欲しい旨あったので、

私は担当が6科目で納まるように配慮してくれるならO.K.と返事しました。

すると、その後「御協力に感謝いたします」と

丁寧にお返事が来たまではよかったのですがその中に、

「『日本語スピーチ』は1年生も合同でやってください」

と書かれてあるじゃありませんか。

おい!1年生はまだ

「昨日、勉強します」「明日も勉強しました」

のレベルなんだよ!!

その1年生に「日本語スピーチ」とか、どこまでお気楽なの?!

しかも、2年生と1年生では語彙も文法も聴解も格段の違いがあるのに

そんな2学年を一緒くたに面倒見ろって、複式学級かよ!

私が何でもハイハイと言うこと聞くと思ったら大間違いなんだよ~~~!!!

と、激高し、ただちに

「そういうとんでもない授業は私には無理です。

誰か他の先生がなさってください」

とお断りメールを送りました。

ま、すぐその話は撤回してくれたのでよかったんですけど、

その後、ふと、

(あれ、先週も何かで激高して夜も眠れなかったことあったな)

と思い出しました。

しかし、何をそんなに怒っていたのかしばらく考えないと

怒りのトピックが思い出せない情けなさ。

ようやく1時間後に蘇ったのは、

フェイスブックのわけの分からない人からのメッセージでした

歳を取ると気が短くなると言われますが、

同時に忘れっぽくもなるのでしっかりバランスが取れているのですね。

我ながらパーフェクトな歳の重ね方です。

 

 

 

 

 

 

 

 

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「酷い風邪、おたんこナースに助けられ」No.2748

2018-11-18 22:51:49 | 自分事情

    

携帯にこのような大気の重度汚染警報発令やら解除が通達される

季節が、またやってきました。

気温もどんどん下がっています。

そういうわけで風邪を引いてしまいましたが、

今回の風邪ほど喉が痛かったことはいまだかつてありません。

もともとアレルギー性鼻炎なので、

風邪と言ったらまず第一に鼻水・鼻詰まりなんですが、

今度の風邪は喉も炎症を起こし、

(そうか、喉が痛いとはこういう状態なのか)とつくづく分かりました。

昨夜はさらに耳の中まで痛くなってきて、

全身一気に20歳老け込んだような感じでしたが、

そのとき脳裏をかすめたのが

『おたんこナース』の似鳥ゆきえ看護師でした。

彼女は(いや、漫画の主人公ですけどね)、

好きになった男性がひどい風邪で倒れた時、

お湯を沸かして部屋中湿度を保ち、

とにかく温かくして汗をかかせ、寮にも帰らず一晩看病したのでした。

私は似鳥さんがいないので自分で、

ヨロヨロと電気鍋を取り出してお湯を入れ、

昨夜からベッドの傍でもうもうと湯気を発散させていたら……、

あらなんと、今朝起きたらだいぶマシになっているじゃありませんか。

湿度は大切だわ。

丸一日で20L以上の水を鍋に投入しています。

部屋は全体ジメジメとして、じゃない、しっとりとして

とても身体(特に皮膚・粘膜)にいい感じです。

まだ味覚は戻っていませんが、ちゃんと食事もしました。

昨日の残りのカレー餃子です。

美味しいも何もさっぱり分かりませんけどね。

明日は月曜日、また一週間がんばらないと!

〈ふろく〉

 

 

 まだあるんですけど、疲れたのでこの辺で。

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「Gratitude・感謝・さようなら」No.2238

2018-04-15 02:19:31 | 自分事情

義兄の訃報が届きましたが、

北海道まで飛んで行けず、

山東省で手を合わせお永別れします。


・・・・・・ありがとうございました。

Gratitude

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「帰省途中:山東省菏澤→河南省鄭州で一泊」No.2165

2018-01-14 21:46:47 | 自分事情

今日は午後1時半に菏澤の宿舎に李先生が車で迎えに来てくださり、

バスターミナルまでスイスイと20分で。

バスのチケットを自分で買うのも慣れてきました。

午後3時45分、

菏澤の長距離バスターミナルから河南省鄭州に向かいました。

到着は4時間後と予定表に書いてあるのですが、

実際はいつも3時間ちょっとで着いてしまいます。

今日も午後7時には鄭州国際空港に到着しました。

順調です。

今日のバスの運転手さんは今まで出会ったどの運転手さんよりも親切で、

バスのトランクにスーツケースを入れるのは、

いつも乗客が自分でしていたのに、

「私が入れるから、荷物をここに置いたらどんどんバスに乗ってくださいよ」

みたいなことを言うので、

(はじめ言っていることが全然分からなかったので

2回も3回も聞いてようやく大意が理解できました)

「O.K.謝謝」とお任せしてバスに乗り込み、

途中、トイレ休憩時にも「トイレはあっちですよ」と外国人の私には

特別に案内してくれたり、

空港に着いて荷物を受け取った時には「再見!」と言ってくれたり、

とても気持ちよくお別れしました。

5,6分乗ったタクシーも一年前の時のようにぼったくられず、

着いたホテル「鄭州盛昌源国際酒店」でも

入り口前の階段で巨大スーツケースを持ち上げようとしたら、

ポーターさんが飛んで来て運び入れてくれ、

部屋まで丁寧に案内してくれましたし、

フロントのスタッフは学校を卒業したばかりのような初々しい女性が、

片言の英語で応対してくれ全く問題なく部屋に通されました。

 つまり今日は、あらゆることが順調に推移しましたよ~

 いつもは宿舎を早朝5時半頃に出るので、

(さあ、遠くまで移動だぞ!)と強行スケジュール感に溢れているのですが、

 今日は、普通に起きて部屋の片付けや出かける準備がゆっくりできたので、

とても楽でした。

部屋は一ヶ月空けると、どこも彼処もうっすらと埃が溜まっています。

今日は徹底的にカバーをしました。

ベッドの布団もこれこのように。

 台所の調味料は一箇所に集めて袋を被せました。

この台所は冷蔵庫より寒いので、質的劣化は少ないと思います。

二重窓の内側もきっちり埃だらけになるので、何でも被せました。

心配なのは下のサツマイモです。

写真を撮り忘れましたが、大きな水桶に水を入れ、そこに入れてきました。

生きていてくれますように・・・・・・。 

 

 さて、菏澤の長距離バスターミナルの光景です。

この列は菏澤市に属する県に行く乗客です。

今日は全く混んでいません。

 こういう伝統的雰囲気のバスターミナルは大都市ではもはや見かけなくなってきました。

 

空港近くのホテルまでタクシーで11元(200円足らず)。

正式のタクシー乗り場から乗るとこうなるのですが、

途中で声を掛けてくるドライバーは「100元で行ってあげるよ」と、

外国人だと思ってふざけた金額を吹っかけてきます。

ところで、中国のタクシーは必ず下のように、

乗客とドライバーの間に柵を設けています。

ドライバーを保護するためでしょう。

 

 

ふう、やれやれ、今日もベッドで足を伸ばして寝られるわい。

では皆さん、お休みなさ~い

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「どんどん几帳面になる」No.2138

2017-12-18 23:51:40 | 自分事情

先々週から今までかかって、試験問題がほぼできました。

あと2科目は1年会話と4年のビジネス会話なので、自由裁量です。

最終授業時に口頭試験(1年は自己紹介と質疑応答、4年は大学最後のスピーチ)と

軽めのペーパー試験をすることにしたので、ま、問題ないです(笑)。


自分で自分に「12月3週までに仕上げるんだ、わかったな」と言い聞かせ、

急かし、焦らせ、こぎ着けたのが下のものです。


実は、まだいつまでに作れという期限は大学から通達がありません。

中国では何でも間際に突然言われるので、

(例:「試験問題作成は明後日が締め切りです。」とか)

自分がしっかりしないと、後々、心臓に悪いということが

身にしみて分かってきたため、

このように用意周到な(笑)準備をするようになりました。

若い頃は、本当にギリギリにならないと

始められない人間だったのです(テストも一夜漬けばかりでした)。

 

それにしても、

こんなに多くの科目を担当しているのは日本人教師だけです。

中国人の先生方は、時間数は多いけれど受け持つ科目は少ないので、

試験問題作成は、ものすごくのんびりしています。

つまり、私は各学年を網羅して、

毎週1回しかない科目を6科目担当していますが、

中国人教師は、1・2年か3・4年に分かれ、

例えば1・2年の先生は、

1年の日本語精読か2年の日本語精読だけを

毎日、月曜日から金曜日まで担当するといったやり方です。

もちろん、中国人教師の中にはそれだけでなく、

他学部の日本語科目をも担当している先生もいて、

「あの学生たちは3年間教えても、ひとつも日本語が話せない」

と愚痴をこぼしたりしています。


こちらでは春節がお正月なので、元旦はただ一日休むだけですが、

まだカレーライスとはどんな食べ物か分からない一年生たちに

腕を振るう時にしようと思っています。

 




 

 

 

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「子どものころポケットの中にはいつも」No.2130

2017-12-09 23:57:11 | 自分事情

      

 私は北海道知床半島の根元の、

 斜里町と小清水町の境目辺りで最も奥に入った厚生開拓村で生まれました。

 戦後、中国山東省から何とか引き揚げてきた両親が

 自治体の優遇措置か何かで手に入れた土地だったと思います。

 土地とは言っても、私の記憶にあるのは

 山を燃やす「火入れ」です。

 山火事にならないように

 あらかじめ防火帯エリアは木を切り、草を刈り取っておき、

 それから、畑地用の場所に火を入れ、ボウボウと燃やすものです。

 火の粉が空に舞い上がり、

 同じ開拓者のおじさん・おばさんたちが動き回り、

 私の顔が火に照らされて熱かったことを覚えています。

 火入れ後の有様は焼け野原そのものでした。

 馬を鞭で打ちながら、

 あちこち焼け残った切り株を引き抜いていた父母の姿も、

 はっきりと記憶に残っています。

 何歳頃だったか、まだ小学校にあがる前でしたが、

 相当強烈な印象だったのでしょう。

 父も母も貧弱で痩せていました。

 今、振り返ってみると

 二人とも全力で頑張っていたことが分かります。

 その時、私はまるで馬鹿だったので思い至りませんでした


    

   3人の姉兄が小学校に行っている間、

   私には興味深いことが山盛りあって

   退屈している暇はありませんでした。

   父母が「東の山」か「西の山」に畑仕事に出かけている間、

   私は一人で家の近くの山に入り(周りは全て山でした)、

   足の裏が葉っぱの堆積でフワフワするのを感じながら、

   木の芽を観察し、

   何か分からないものを拾い、草の葉っぱをちぎり、

   カケスに罠をしかけ、エゾリスのしっぽをつかみ損ね、

   枯れ枝を集めて家を作り(次に行くと壊れていた)……。

   どれほど多忙な日々だったか、

   分かっていただけたでしょうか(笑)。

   その頃、ポケットにはいつも

   山から持って帰ったものがありました。

   木の実、きれいな石、草の葉っぱ……。

   今でもその頃の癖が残っていて、

   路上で草に結ばれた実や種を見かけると、

   つい採取してしまいます。

   


 


 


 

 

 

 

 

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「関空の長い夜:JALスタッフの苦労に同情」No.2035

2017-08-26 22:09:54 | 自分事情

へろへろ~。

午後1時過ぎに何とか菏澤の宿舎にたどり着きました~。

私の乗る飛行機はだいたい遅れます。

昨夜もまたそうでした。

関空を25日夕方7時半発のはずが、

実際に飛び立ったのは翌日26日の午前1時50分でしたよ。

上海からの便に乗って、折り返し上海に行くはずが、

定刻の午後7時半になっても

まだ飛行機は上海を出発していないとのことで、

関空で長い夜を過ごすことになりました。

初めのうちは何時に飛ぶか皆目検討がつかない状態で、

乗客の中には、スタッフに厳しく説明責任を問う人もいました。

昨日の関空ー鄭州の路線は

上海航空と中国東方航空の二社乗り入れでしたが、

遅延による乗客への対応には、

なんとJALのスタッフが当たっていたのが驚きでした。

「どうして他社のお手伝いをしているんですか?」

と聞くと、外部受注とかで、

他社の緊急事態に出動することになっているのだとか

とにかく上海浦東空港は、定刻に飛び立たない空港として有名です。

少し前まで私は(PM2.5で視界が悪いからかな)と想像していましたが、

「いや、今は上海の空気はよくなりましたよ。

主な原因はあまりにも多くの発着便があるため、

収拾がつかなくなっているのです。」

と上海出身で奈良で教育関係の仕事をされている方が

説明してくれました。

しょっちゅう遅延するたびに乗客への対応のため

出動するJAL職員の心中やいかに・・・・・・。

遅くなると次第に態度が硬化する乗客も現れました。

乗客も予定が立たなくてイライラしますが、

飛行機が飛ぶまで、ずっと対応し続けなければならない航空会社スタッフも

大変ストレスフルな仕事をしていることがしみじみ分かりました。

「上海は悪天候なんかじゃない。雨も降っていないし強風も吹いていない。

どうしてウソをつくんだ!」

と強い口調でスタッフを問い詰め、

上海航空の責任者に電話する乗客。

スタッフが、

「何度もご説明しておりますように、

現在は悪天候でなくてもその前が天気が悪くて、

その影響で次々と発着便が遅延し続けているのです。

ご迷惑をおかけしますが、どうかご理解ください。

私は決してウソをついていません。」

と、必死の顔で応対する姿を見て、

私は心から気の毒に思いました。

ところで上の写真の机の足、ちょっと気になりませんか。

私はまん前に座っていたので、

机が倒れて上の配給食が落ちないか心配でした。

配給されたのはパウンドケーキ2つと水でした。

水はありがたかったですが、夜中にケーキは食べる気になれず、

菏澤までずっと持ってきました。

 

出発時刻が分かった段階ですぐにメモを張り出したのも

日本ならではの対応です。

既に11時半過ぎでしたが。

 電光掲示板も書き換えられ、みんなホッとしました。

でも、1:20と書いてあっても、搭乗したのがそれくらいで、

さらに30分、機内で過ごしたのです。

 

上海浦東空港には午前3時40分(現地時間)に着き、

そこから鄭州行きに乗り換えるのも、

スタッフが先導してくれてたいへんスムーズにいきました。

朝、7時過ぎに鄭州空港に着き、

ここからさらに長距離バスに乗って菏澤に行くために

巨大なスーツケースと、

キャスターが1つ壊れているため異常に重いキャリーバッグを引きずって

空港内を歩いていると、

ああ、ここはもう中国なんだなあ、としみじみ思える店がありました。

鴨の頭、豆乳、煎餅・・・・・・。

中国では、朝からこういうものを

しっかり食べたり飲んだりしている人も多いのです。

 

 

菏澤行きは10:40発だったので、持参した文庫本のうち

「神の子どもたちはみな踊る」(村上春樹)を

待合室で全部読んでしまいました。

以前、村上春樹の社会的スピーチは、

(あれ?この人どっか違和感あるぞ。ちょっと何人か分からない感じ~)

と思ったのですが、

この短編集は「ぼく自身の中の非ぼく」とか「身体に石を入れた人」、

「中身のない人間」「からだが空っぽ」などのキーワードが、

違和感というのではなく、心が引っ張られて落ち着かないので、

もう一度ちゃんと読もうと思いました。

 

ところで、下のバス時刻表に見える開封、許昌、洛陽などの地名は、

聞いたことありますよね。

中国の歴史の中心舞台になった場所が

こんなに近くにあるのを見るたびに

私はちょっとワクワクします。

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「花シューマイと孫」No.2030

2017-08-16 18:26:38 | 自分事情

中国にいるとき、フェイスブック友達の英子さんの料理写真で、

(これなら3歳の孫娘と一緒にできるかも!)と思うのがあり、

レシピを教えていただいたのが『花シューマイ』。

夏休みも後半に突入した先日に、ようやっとこさ実現しました

しかし、これができるまでには紆余曲折があったのです。

まず、娘の家に行って「さあ、作ろう!」と言っているうちに、

あら?妹(孫娘2)と一緒に寝てしまいましたよ。

一時間以上待っても起きないので、

しかたなく一人で作っていたら、髪の毛ボサボサで起きて寄ってきて、

「あれ、ちさちゃん(自分のこと)、お手伝いするんじゃなかったっけ」と

すぐ一緒に作り始めました。

料理が好きみたいです。

 

 冬休み(2月)には、

餃子の皮の縁に水をつける仕事しかできなかった彼女が、

今回はちゃんと具を皮に包んだり、トウモロコシを2粒ずつ飾ったり

できるようになっているのを発見し、ホクホク。

下は、まだ寝ぼけ眼で働く孫娘です。

 

 次第に調子づいてきました。

こういう猫の手も借りたい作業では、3歳でも十分助けになります。

実は、英子さんが下さったレシピには、

ワンタンの皮をザクザク切って具にまぶすと書いてあったのですが、

孫娘が餃子の時のように包み始めたので、

(ま、いっか)とそのまま進行しました。

ニンジンがないのでケチャップで色をつけました。

グリーンピースも省略です(超ズサン)。

 

そうこうしているうちに、孫娘2も起きました。

 お姉ちゃんが大好きなので寄って来ます。 

 しかし、お姉ちゃんは妹を台所に入れまいとして、

身体を張って進入を阻止します。

修羅場・・・・・・

きっと、毎日こうなのでしょう。

 

 

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「ハーモニカをもらった!」No.2026

2017-08-12 00:57:47 | 自分事情

息子がブルースハープという種類のハーモニカをくれました。

うわ~い!中国に持っていこうっと。

とても小さいので、

昔子どものとき吹いたものとは吹き方も違うようです。

YOU TUBEで教えてくれる青年の熱気を聞いているだけでも

面白いので、シェアしてみました。

『繰り返し、繰り返し、自分で、自分で。

口で言っても伝わりにくい、だから自分で、

練習してください、とにかくがんばってみてください』

と、早口でまくし立てられました。

一曲でもマスターしたいなあ、ワクワク

ハーモニカの基本奏法3つ!!

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「旅行疲れで眠い中、黒田清さん追悼のつどいに」No.2017

2017-07-30 01:11:38 | 自分事情

 

25日夜に帰阪して以来、毎日、眠くて眠くてブログを書く前に寝ていました。

何しろ10日もの間、睡眠時間4~5時間でやり繰りしていたのですから、

しわ寄せが来ないはずがありません。

今日(と言うかもう昨日になってしまいましたが)、

新聞うずみ火主催の「黒田さんを追悼し、平和を考える集い2017」に行って、

意欲満々に一番前の真ん中に陣取ったまではいいのですが、なんと、

松崎菊也さん・石倉直樹(ちょっき)さん(「ザ・ニュースペーパー」の結成メンバー)

のコントを聞いても、

面白い、眠い、しかし面白い、だが眠い、の相克が続いて実に大変でした

しかし、「24日衆院予算委員会の閉会中審査におけるアベ首相と野党のやり取り」という

ホットな話題のコントではすっかり目も覚めて、

「李下に冠を正さず・・・デンデンでごじゃましゅ」(首相:松崎)、

「『こんな人たち』の声をお聞きなさい!ほら、聞こえるでしょう」(野党:石倉)

に応えて、会場から湧いた

「アベ、辞めろ!」コールに当然私も和した次第です


帰宅途中、梅田のパン屋さんで懐かしいクリームパン(菏澤にはない)やらを

山盛り買って家に戻り、

パンと中国茶という取り合わせでお腹いっぱい食べて、後はまた昏々と寝ました。

夜中の今、ようやく、ついに、活力がこの身に戻ったのを感じています。

というわけで、滞りがちでしたブログ更新ですが、

次回から覚醒してまた書き始めますので、宜しくお願いしま~す

⇧石倉ちょっきさんの作品(右端は黒田清さん、左端は永六輔さん)


 

 

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「あ、今日はアベ首相の日だ」No.1908

2017-04-01 16:07:56 | 自分事情

キャンパスの一角。2日前の放課後です。

散歩の人は服装から見て職員の家族でしょうか。

エイプリル⁼フールの今日ですが、

近年は「毎日がエイプリル⁼フール」のアベ首相のおかげで、

嘘とホントがごちゃごちゃになって困っています。

 

今日も今日とて、午後2時過ぎに2年生の韋彤さんから、

「先生、今日午後は清明節の代講があるんですけど。先生の聴解の授業が…。」

と電話があった時も、

(ま~たまた、それには引っかかりませんよーだ)と、

真面目な応対をしていなかったんですが、

じ、実は、本当でした……。

2年生は私が教室に来るのを十数分じっと待った後、

確認のため電話をくれたんでした(;^_^A

いやね、この大学では祝日の後に代講があるのが今までの常だったんですよ~。

今回も、明日から3日間:4月2日(日)、3日(月)、4日(火)と

清明節休暇があって、

私の月曜日の授業の代講は、ただ「土曜日だ」と

日本語学科の主任からメールで連絡があったので、

私は当然、来週の土曜日だと思い込んでいたのです。

 

結局、再来週の月曜日の正規の授業時にオーバータイムを取ることにして

学生たちに納得してもらいました。

今学期初めての4連休なのでいつになく、

(午後のお茶は何にしようかな)などと、

心からリラックス・ゆったり体制に入っていたのに、

今さら焦って髪の毛ボサボサのまま教室に走りたくないですよ。

2年生も、「もう帰ってもいいよ」と聞いて明るい声で通話を終えました。

いや、ヨカッタな。結果的に。あははは~💦(^;)

 

・・・と、笑っていられないのが日本の状況です。

昨日3月31日で、原発事故自主避難者に対する支援が打ち切られ、

避難解除区域から避難している方々が頼みとしている住宅無償提供が

今日4月1日から受けられなくなったそうですね。

これからさらに、避難解除区域は増えるでしょう。

しかし、解除されたからと言って、住めもしないところに帰ることは

できません。

こんな人でなし政策を推進しているのがアベ内閣、

この人でなしアベ内閣のやりたい放題を横行させているのは、

現政権を支持している人たちです。

ということは、

現政権の支持者たちも人でなしだということでしょうか。

だってね、

放射能事故からの避難者たちに対する虐めが

日本のあちこちで起きていると聞いて、

私はつくづく日本人の性根の悪さを感じざるを得ないんですよ。

(そりゃ、いい人もた~くさんいるけどさー)。


芥川龍之介は小説『鼻』(1916年発表)の中で、

日本人の心の中にある〈傍観者の利己主義〉についてこう述べています。

――だれでも他人の不幸に同情しない者はない。ところが、その人がその不幸をどうにかして切り抜けることができると、こんどはこっちでなんとなく物足りないような心持ちがする。少し誇張して言えば、もう一度、その人を同じ不幸に陥れて見たいような気にさえなる。そうしていつの間にか、消極的ではあるが、ある敵意をその人に対して抱くようなことになる。――

これ、原発被災者に虐めをする日本人よりまだましですよね。

芥川の生きた明治末期‐大正‐昭和初期の日本人は、

「他人の不幸に同情しない者はな」かったようです。

しかし、時代が平成の世になって、

芥川が断じた時代よりさらに人心は荒廃し、

「その人が不幸を切り抜けることができて」もいないのに、

不幸な状況にある被災者の子を恐喝する他の子ども、

同じく学校の階段から付き落とす子ども、

たばこの煙を吹きかけ、「はやく福島に帰れ!」という親…e.t.c.


ネトウヨ業界人の攻撃性と、

原発事故からの避難者への虐めが私には重なって見えます。

そもそも、ヘンに劣等感持ったり、急に上から目線になったり、

自分と他者を対等に関係づけることができない人が

日本には多すぎる気がするんですが、

世知辛い世相の現代にあっては、

相手が自分より上(強者)だと思えば尻尾を振って揉み手をしてすり寄り、

下(弱者)だとか思ったとたんに、上から目線で馬鹿にし、

下に見た存在が毅然として頑張っていたりすると、

腹が立ったり、憎しみを覚えてしまったりするんじゃないかなと、

思える今日この頃です。

 

〈付録〉民の声新聞 国と東電を訴えた「福島原発被害東京訴訟」の第21回口頭弁論2回目の原告本人尋問(2017/1/11)

(前略)40代の母親は、原発事故で新体操の指導者という道を絶たれた。いわき市の友人からは「いつ帰って来るの?」というメールばかりが届き、すっかり疎遠になった。

子どもは転校した都内の公立小学校で、何度も階段から突き落とされる〝いじめ〟に遭った。

「福島から来た子は白血病で死んじゃうらしいな」というクラスメートの言葉に、担任の教諭は注意するどころか「そうね、中学生くらいになると死んじゃうかもね」と〝悪ノリ〟した。

階段から突き落とされる時、わが子は「どうせ死ぬなら今死んでも一緒だろ」と言われたという。

「避難者なんだから貧乏だろ」とも。

法廷で母親は言った。「心を傷つけられ過ぎて果たして修復できるのだろうか」。

被曝リスクから逃れたい一心での避難で、なぜそんな仕打ちを受けないといけないのか。


【原発事故で引き裂かれた家族】

「私も泣きたい」、「ママだってつらいんだよ」

 30代の母親は、原発事故による母子避難で夫や両親と離ればなれになった。

夫や互いの両親に支えてもらいながらの子育てから一転。

都内で1人、生後10カ月の幼子と向き合った日々。もはや爆発寸前だった。

避難先は都営住宅の9階。

「ここから落ちちゃったら終われるのかな」。

ベランダでそんな発想が頭をよぎった事もあった。

原発事故が無ければ、夢だった美容室を開業しているはずだった。

物件も決め、契約直前だった。

原発事故前の日記には、夢の開業に向けてワクワクする想いが綴られていた。

だがコツコツ貯めた開業資金は、避難先での生活費に消えて行った。

そんな「喪失感」とも闘っていた。

 住み慣れたいわき市を離れる時、迷いが無かったわけでは無い。

背中を押してくれたのは母親だった。

「子どもを守れるのは親しかいない。あなたは行きなさい」。

ずっと一緒にいるのが当たり前だった親を〝捨てて〟の避難。

車中で泣きながら夫の手を握りしめた。

「私たちは間違った事をしているのかな」。

後に、子どもの尿検査で放射性セシウムが検出されなかった時には「思わず涙が出た」と夫にメールを送った。

医師からも「早く避難した事がこういう結果に結びついたんだよ」と言葉をかけられた。

しかし、自身の甲状腺から6ミリの結節が見つかった。B判定。

子どもの尿からも後に放射性セシウム137が微量ながら検出された。

原発事故による健康への影響は本当に無いのか。不安は消えない。

 やはり30代の夫は、出し続けていた転勤願いがようやく通り、昨秋から名古屋市に単身赴任中。

子どもが卒園式を終えたら、妻や子どもとようやく一緒に暮らせる。

「離れていてつらかった。初めて子どもが立ったとか初めて『パパおかえり』と言ってくれたとか、そういうものを経験できなかった。すごく悔しい」。

しかし、被告代理人弁護士の問いに、こうきっぱりと答えた。

「子どもを守るために避難させたので、自分が寂しいとか会いたいからという理由で戻って欲しいと言うつもりは無かった」。

工場での勤務を終えて、3時間かけて会いに行った。

夜勤明けでも寝ないで車を走らせた。

妻の髪をなで、子どもと遊んだ。

自分の前では〝いい子〟のわが子は、父が見えなくなった後で泣いていた。

「あと何回寝たら来てくれるの?」と尋ねられて、何と答えて良いか分からなかった。

 同訴訟で、母子避難させた父親の出廷はただ1人。

硬派な父親が唯一、下を向いて涙をこらえたのが愛する妻の話だった。

「自分はそばにいてやれなかった。あんまり愚痴を言わない妻が『つらい』、『もう嫌だ』、『ベランダから飛び降りる』と電話で…」。

傍聴席からすすり泣く声が聞こえた。夫妻の想いは被告代理人弁護士の胸に届いただろうか。
(後略) 16時38分、閉廷した。次回期日は3月1日10時。

――――――http://taminokoeshimbun.blog.fc2.com/blog-entry-102.html



 

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「 ラ・カンパネラ:今日はYundi Liの演奏で」No.1906

2017-03-30 21:51:07 | 自分事情

一昨日28日、高浜原発3号機、4号機運転差し止めの大津地裁判決を覆す大阪高裁の判決、

今日30日、伊方原発3号機運転差し止めの申し立てを広島地裁が却下する判決、

「住民の命よりただ今の金儲け」にまい進する企業と、

それにべったり張り付いている政権への

裁判所による「忖度」が甚だしいことになっています。

三権分立が憲法に明記されているにも関わらず、

この間の司法の行政へのすり寄りには目も当てられません。

 

広島の友達から、「もう絶望だ」というメールが届きました。

いつもへこたれない私も、

余りの連続パンチを食らわせられて、一瞬膝折れる感じがしました。

そういう時には、あちこちのブログを見ることにしています。

何人もの人が原発再稼働を良しとする裁判所の判決に

反対の意を表し、落胆されている様子がありました。

しかし、誰も絶望だなんて書いていません。

今さら絶望など言っても無意味な言葉なんですよね。


そして、必ず、東から太陽が昇ってくるのだから、

太陽を迎えに行かんとね。

 

というわけで今日は、

ちょっと疲れたあなたと私のためにひと時の清涼剤を。

なんかね~、ここ何年か、自分の力が弱まったと感じたとき

「ラ・カンパネラ」が聞きたくなるんですよ~。

優しいフジコ・ヘミングさんのも好きなんですが、

今日は重慶出身のユンディ・リさんの、

これまた繊細で透明感溢れる演奏を一緒に聞きませんか。

La Campanella by Yundi Li

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