私も一人の女性として山尾しおりさんに何か言ってあげたく、
心の中で煩悶していました。
今朝、瀬戸内寂聴さんの文(下に掲載)を読み、
さすが長老、これ以上の言葉はないなと、
私の心までふわっと包まれた気がしました。
一年の大方を中国で過ごしているので国会中継を見る機会のない私は、
「山尾ファン」と言うわけでもなかったのですが、
家族でもない政界や世間が彼女の「不倫」を攻撃するのは
理不尽で不当であると思っていたのです。
「不倫も恋の一種、雷のように天から降ってくるもので避けられない」、
人生の前半がそれで成り立っていたような瀬戸内寂聴さんの言葉は、
他人の揶揄をも意味の無いものに透明化する清清しい強さと、
心のままに生きようとする女性たちに対する徹底した優しさを感じます。
寂聴さん、ありがとうございます。
そして、山尾しおりさん、人生はこれからです!
一人の人間として誠実に生きていきましょう。
山尾さん、孤独の出発に自信を 恋は理性の外、人生は続く
(寂聴 残された日々:27)2017年9月14日05時00分 朝日新聞デジタル
寂聴さんがつくった土仏=徳島市の徳島県立文学書道館、岡田匠撮影
何気(なにげ)なくつけたテレビの画面いっぱいに、端正な美貌(びぼう)の女性が、涙のたまった両目をしっかりと見開き、正面を向いてしきりに言葉を発している。その表情がまれに見る美しさだったのと、しゃべる言葉がしっかりしているのに驚かされ、テレビから目が離せなくなってしまった。
当時、民進党の山尾志桜里議員の正面を向いた顔が、ずっと映され、必死に涙をこらえた泣き顔の美しさに、思わずこちらも膝(ひざ)を正していた。はっきりした口調で語りつづける声や言葉は、乱れることなく、今にも崩れそうな表情より頼もしく、しっかりしていた。
発売されたばかりの週刊文春に、9歳下の弁護士との交際を不倫と発表され、問題になっていた。両方の家庭に配偶者と子供がいた。
ログイン前の続き週刊文春の記事は写真入りで、ほとんど連日逢(あ)い、男のマンションや、ホテルで、朝方まで過ごしたことが詳細に発表されていた。結局、その事件で党に混乱と迷惑をかけたので、その責任をとっておわびに離党するという意見だった。
とにかく頭のいい人だという印象が強かった。ホテルに2人で入ったことがあったのも、男は1人帰り、泊まったのは自分1人で男女の関係はないと言いわけしていた。そんなことは神のみぞ知るで、誰も当人の言いわけなど信じる者はいない。
*
95歳の私が、今頃思いだしても噴飯ものだが、今から60年昔、私の35歳の時、東京・野方に下宿していて、ある日、野方の駅から電車で新宿まで出かけた。乗客の少ない電車の中で、座るなり目に入る天井からの吊(つ)り広告に目をやったら「ある奇妙な女流作家の生活と意見」という文字が目に飛びこんできた。
――誰のことだろう、気の毒に、何が書かれたのか――。私は好奇心を抱いて、新宿に電車が着くなり、売っている週刊誌の中から、名も通っていないその新しい週刊誌を買って、歩きながら開いてみた。いきなり、私の顔がページいっぱい大きく写されていたではないか。
あきれて記事を読んでみると、会ったこともない見知らぬライターが私の小説の端々をつぎあわせ、勝手な妄想を加えて、不倫の生活だとこと細かく報じてあるのだった。相手の実名も書いてある。私はあきれかえり、すぐさま公衆電話で、その会社に電話をし、キイキイ声で編集長を呼びだし、一度のインタビューもなく、いい加減なことを書くなと、どなりつけた。
相手はそんなことに慣れているらしく、インギン無礼に言葉をにごすだけで、結局どなりつづける私の方が疲れ切って、声も出なくなってしまった。その会社は半年もしないうちにつぶれてしまった。
その気持ちのよかったこと!
*
不倫も恋の一種である。恋は理性の外のもので、突然、雷のように天から降ってくる。雷を避けることはできない。当たったものが宿命である。
山尾さんはまだまだ若い。これからの人生をきっと新しく切り開いて見事な花を咲かせるだろう。それを95の私は、もう見られないのが残念。
◆作家で僧侶の瀬戸内寂聴さんによるエッセーです。原則、毎月第2木曜日に掲載します。http://digital.asahi.com/articles/DA3S13131677.html?rm=324 朝日新聞デジタル