毎日がちょっとぼうけん

日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

「95歳の寂聴さんの言葉」No.2059

2017-09-23 07:31:14 | 日本語

私も一人の女性として山尾しおりさんに何か言ってあげたく、

心の中で煩悶していました。

今朝、瀬戸内寂聴さんの文(下に掲載)を読み、

さすが長老、これ以上の言葉はないなと、

私の心までふわっと包まれた気がしました。

一年の大方を中国で過ごしているので国会中継を見る機会のない私は、

「山尾ファン」と言うわけでもなかったのですが、

家族でもない政界や世間が彼女の「不倫」を攻撃するのは

理不尽で不当であると思っていたのです。

「不倫も恋の一種、雷のように天から降ってくるもので避けられない」

人生の前半がそれで成り立っていたような瀬戸内寂聴さんの言葉は、

他人の揶揄をも意味の無いものに透明化する清清しい強さと、

心のままに生きようとする女性たちに対する徹底した優しさを感じます。

寂聴さん、ありがとうございます。

そして、山尾しおりさん、人生はこれからです!

一人の人間として誠実に生きていきましょう。

 

山尾さん、孤独の出発に自信を 恋は理性の外、人生は続く

(寂聴 残された日々:27)2017年9月14日05時00分 朝日新聞デジタル

           

寂聴さんがつくった土仏=徳島市の徳島県立文学書道館、岡田匠撮影

 何気(なにげ)なくつけたテレビの画面いっぱいに、端正な美貌(びぼう)の女性が、涙のたまった両目をしっかりと見開き、正面を向いてしきりに言葉を発している。その表情がまれに見る美しさだったのと、しゃべる言葉がしっかりしているのに驚かされ、テレビから目が離せなくなってしまった。

  当時、民進党の山尾志桜里議員の正面を向いた顔が、ずっと映され、必死に涙をこらえた泣き顔の美しさに、思わずこちらも膝(ひざ)を正していた。はっきりした口調で語りつづける声や言葉は、乱れることなく、今にも崩れそうな表情より頼もしく、しっかりしていた。

  発売されたばかりの週刊文春に、9歳下の弁護士との交際を不倫と発表され、問題になっていた。両方の家庭に配偶者と子供がいた。

  ログイン前の続き週刊文春の記事は写真入りで、ほとんど連日逢(あ)い、男のマンションや、ホテルで、朝方まで過ごしたことが詳細に発表されていた。結局、その事件で党に混乱と迷惑をかけたので、その責任をとっておわびに離党するという意見だった。

  とにかく頭のいい人だという印象が強かった。ホテルに2人で入ったことがあったのも、男は1人帰り、泊まったのは自分1人で男女の関係はないと言いわけしていた。そんなことは神のみぞ知るで、誰も当人の言いわけなど信じる者はいない。

     *

  95歳の私が、今頃思いだしても噴飯ものだが、今から60年昔、私の35歳の時、東京・野方に下宿していて、ある日、野方の駅から電車で新宿まで出かけた。乗客の少ない電車の中で、座るなり目に入る天井からの吊(つ)り広告に目をやったら「ある奇妙な女流作家の生活と意見」という文字が目に飛びこんできた。

  ――誰のことだろう、気の毒に、何が書かれたのか――。私は好奇心を抱いて、新宿に電車が着くなり、売っている週刊誌の中から、名も通っていないその新しい週刊誌を買って、歩きながら開いてみた。いきなり、私の顔がページいっぱい大きく写されていたではないか。

  あきれて記事を読んでみると、会ったこともない見知らぬライターが私の小説の端々をつぎあわせ、勝手な妄想を加えて、不倫の生活だとこと細かく報じてあるのだった。相手の実名も書いてある。私はあきれかえり、すぐさま公衆電話で、その会社に電話をし、キイキイ声で編集長を呼びだし、一度のインタビューもなく、いい加減なことを書くなと、どなりつけた。

  相手はそんなことに慣れているらしく、インギン無礼に言葉をにごすだけで、結局どなりつづける私の方が疲れ切って、声も出なくなってしまった。その会社は半年もしないうちにつぶれてしまった。

  その気持ちのよかったこと!

     *

  不倫も恋の一種である。恋は理性の外のもので、突然、雷のように天から降ってくる。雷を避けることはできない。当たったものが宿命である。

  山尾さんはまだまだ若い。これからの人生をきっと新しく切り開いて見事な花を咲かせるだろう。それを95の私は、もう見られないのが残念。

  ◆作家で僧侶の瀬戸内寂聴さんによるエッセーです。原則、毎月第2木曜日に掲載します。http://digital.asahi.com/articles/DA3S13131677.html?rm=324 朝日新聞デジタル

 

 

 

 

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「宮澤賢治と雨ニモマケズと戦争…その1」No.1971

2017-06-13 23:29:58 | 日本語

3年生は2学期、「日本文学選読」と「日本語視聴説」を担当しています。

あと2週間の授業に何をしようかとネットの青空文庫で名前を見ていたら、

(教科書はありますが、半分は教科書以外で自分勝手に選んで教えているのです)

おお、うっかり宮澤賢治を忘れていた!

ということで、今日の文学の時間に

「雨ニモマケズ」と賢治のザックリ紹介をしました。

☝この写真、実は子どもの頃は好きじゃなかったんです。

畑に立つ洒落男という感じで。

私は農民の子だったので、農民がどれだけビンボーな格好をしているか

常日頃から傍で見て育っていて、

(賢治はなんか嘘こき男だな)とか、

(金持ちの道楽息子でねえか)とか、思えてね。

私は何度も言うように、

子どもの頃、自他ともに認めるひねくれ者でした。

「知床半島のひねくれ者」……、

なんか自然に包まれている環境にそぐわない存在でした。

実は「雨ニモマケズ」にも、納得できませんでした。

(自分をそんなに勘定に入れなくて、本当にいいんだべか)とかね。

どうも、やりにくい子だったですね。

〈()内は当時、北海道で自分が使っていた言葉です。一部東北弁と重なります〉

しかし、子ども心に、

「一日に玄米四合と 味噌と 少しの野菜を食べ」の生活の質素さとか、

「野原の松の林の陰の」の、「の」のリズムとか、

「東に~あれば」「西に~あれば」

「南に~あれば」「北に~あれば」の繰り返し、

そういうところが気に入っていました。

そして、最後に

「そういうものに 私はなりたい」

ときっぱり言うのもかっこいいなと思いました。

どういう人になりたいかは別にして、です。

 

私が宮澤賢治の童話にじわじわ親しみを持ち始めたのは、

30歳を過ぎてからだったような、

自分に子どもができてからだったような気がします。

(つづく)

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「さっき、2ヶ月間の苦闘が終わった」No.1958

2017-05-31 22:53:00 | 日本語

今夜11時59分までが締め切りの

「中国人の日本語作文コンクール」、

夜8時ごろ、全作品まとめて日本僑報社に送りました。

今年は、大阪から桶蝶着物教室の講師団をお招きしてのイベントがあったり、

突然に校内スピーチコンテスト開催が決まったりで、

5月はのんびり作文なんか書いていられる状態ではありませんでした。

それでも、2年12人・3年19人しかいない日本語学科で、

2年は32篇、3年は18篇、合計50篇の作文を書き上げることができました。

テーマが3種類あるので、二年生の多くは一人3篇の作文を書いたのです。

一作1500字~1600字以内なので、

特に、二年生は内容はともかく、よくやったと思います。

学生の作文を紹介したいのはやまやまですが、

曲がりなりにも応募作品なので、

入選審査の結果、落選したらただちにこのブログで紹介いたします。

だいたいみんな落ちるんですけどね💦

下は、キャンパス内の一角でいつも沈思黙考の庄子さま。

ときどき、布団を頭からかぶされているときもありますが、

細かいことに拘っていらっしゃらないご様子です。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「何となく日本語学科に入学した人たち(´∀`*)」No.1832

2016-12-24 17:36:51 | 日本語

 高校生の時から独学で日本語を学んでいた人もいれば、

周囲の情報に影響されて、何となく、または、つい、日本語学科に入学した人もいます。

下の二人は「何となく・つい」派です。

そんな彼女たちにとって、

大学で出会う日本人(つまり日本語教師)や「日本概況」の授業が

どれほど重要な意味を持つか、作文を読んで私自身、改めて感じました。

私は決して日本を代表する者ではありませんが、

彼女たちの多くにとっては初めて出会う日本人なのです。

居住まいを正さないとね(笑)。

日本人全員がこんなひどい奴かと思われないように。

(ただ、私の添削の細かさは日本の学校で働いていたときからの癖なんですけど)。

そして、最後には彼女たち自身が〈何かを掴みたい〉と願う向上心・向学心が、

日本語学習を続けるにはどうしても必要なのです。

新しい世界の扉を開け、その扉から外の世界に羽ばたいて欲しい。

純真な中国の子どもたちに心から願うことです。

 

「わたしと日本語」――えん・しょうれい――

大学に入ったばかりの時、担任の李海鵬先生は私達に
「どうして日本語を選んだんですか?」
とお聞きになりました。 その時、皆は、いろいろ答えていましたよね。「 日本のアニメが好きだから」とか「日本の音楽が素晴らしい」、「日本の小説がおもしろい」と答えた人もいました。私の家では誰も日本のドラマやアニメを見ていなかったので、日本語に触れる機会がありませんでした。
 高校の同窓会の時、友達にも質問をされたことがあります。 
「どうして日本語を勉強するの。 閻さんは日本語なんか何も知らないのに。 」 実は日本語もそうですが、むしろそれ以上に、日本の本当の姿を知らなかった、という方が正しいと思います。 

 小学生の時、歴史の授業で、先生が中日の歴史問題を教えてくれました。その時、私は(日本は悪い国なの?日本人はとても怖いんだろうか?)そんなことをよく考えて、日本に対する感情はとても複雑でした。

 でも、その後、もっと別の日本の情報を知りました。例えば、北京オリンピックの時、試合後、日本の観客は何のゴミも残さなかったと聞いて、私は本当に驚きました。(日本人はすごいなあ。それで、日本の国はとても綺麗なのか)と思いました。他にもいろいろなことを見たり聞いたりするうちに、私は何となく日本に憧れるようになりました。

 大学の日本語学科に入って初めて本物の日本人に会いました。「ブルは」先生(註:「ブルーはーと」、つまり私のことです)です。私はみんなも大好きな「ブルは」先生から、たくさんの日本人の優秀な資質を感じました。例えば、先生が宿題を批評し訂正するコメントは私達の宿題より真面目です。私は魯迅が書いた「藤野先生」を思い出しました。そんな真面目な匠の精神、本当に敬服しております。

(日本文化を伝える媒体としての日本語、 日本を理解するためには絶対必要な日本語、そんな日本語を勉強しよう)と私は大学に入ってから、改めて決意しました。  日本語の勉強は簡単ではありません。 単語や文法の記憶、会話の暗誦など、難しい点もいっぱいです。 しかし、少しずつ分かってくると、達成感があります。 音楽、和服、テレビドラマなどの日本文化にもおもしろいものがあり、興味深く勉強するにつれて、日本語もだんだん上達してきました。 

私は、日本語を勉強してから、 新しい世界の扉を開いたような気がしています。 アジアで、中国と日本は関係が緊密な国同士です。 日本語や日本についての勉強を通じて、別の視点から自分の国、中国を理解することができます。  日本語の勉強は私の一生の貴重な財産です。大学卒業後も日系企業で仕事をしたいと思っています。 きっとその時の私は、日本語もますます上達して、私と日本語、私と日本の絆もさらに、深まっていると信じています。 

 

 「わたしと日本語」――ちょう・ねい――

私は今、菏澤学院日本語学科の学生です。……でも、これは煙台市の高校生だった自分からは全く想像もできないことなんです。

「なぜ日本語の専攻を選んだの?以前、日本のことなんかぜんぜん興味なかったでしょ。」
友達がそんな質問をしてきた時私も一緒になって、「どうして日本語を選んだんですか。」と自分に聞きたかったぐらいです。おそらく、友情にひっぱられて、こんなことになってしまったのかも知れません。

私の高校のクラスメイトの原さんはずっと日本が好きで、高校を卒業して日本へ留学するつもりでした。大学入試が終わってから、原さんは私に
「何を学んでいいか分からないって?じゃ、日本語を勉強してみたらどう。」と勧めました。
「日本語を勉強することは、ただ話したり書いたりする技能が高まるだけでなく、日本の文化をよく知ることができるんだよ。」
原さんがそう言ったとき、私の心に眠っていた日本語への興味が目を覚ましました。それで私は日本語を選択したんです。

私は菏澤学院の日本語科に入って、原さんも大阪の日本語教育学院へ行って、留学生活を始めました。
最初、私は片仮名と平仮名が難しくて、書き方もおかしく思えました。もっと日本語を学びたいという意欲も湧きません。私はQQ音声電話で原さんに連絡しました。
「日本の生活はどう、元気?」
「うん、今のところいいよ。毎日楽しいわあ。」
「勉強はどう?私は最近悩んでいるの。適当な学習方法が見つからなくて……。」
「急がないで。そのうち、必ず自分に合う方法が見つかるからね。私も日本に来たばかりの時、慣れなくて、(やっぱりここは中国ではない)って、落ち込むこともあったよ。でも、気持ちをしっかり堅持していたら、きっと、よくなるよ。」
原さんの話を聞いて、私はまたやる気が湧いてきました。自分にとって、読むだけではなくて、書くことも重要な学習方法だということも悟りました。

今、私は勉強するうちに、興味深いことがたくさん分かってきました。例えば、日本人の真面目な態度です。具体例は、私たちの先生です。先生は作文を添削するたびに、くわしく説明を書いてくれます。授業の内容はよく準備してとても豊富です。

また、日本には、第二次世界大戦後、全く何もないところからスタートして、経済を発展させてきた歴史があったこととか、寿司の種類と浴衣の着方もわかりました。日本語の勉強はだんだん楽しくなってきています。

来年、私も日本語能力試験を受けます。もちろん、通過したいです。4年間が終わる前には、N1の試験に合格して、卒業したいです。だから、今からもっと努力しなければなりません! クラスメートの皆さん、今は辛くてもくじけないで、一緒に頑張りましょう!

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「勉強でも、こんなに楽しい。それは日本語だけ…」No.1831

2016-12-23 22:38:42 | 日本語

菏澤学院日本語学科2年生全員のスピーチ原稿を読んで、

いい意味で、普段私が思っていたこととかなり温度差を感じました。

彼女たちなりに、苦労したリ、困ったりしていたんだということも分かりました。

実は普段、私はスポ根系でもないのですが、時々、彼女たちに対して、

(やる気あるんか~!)ヽ(`Д´)ノとムカムカするときがあったのです。

間違うたびに、繰り返しくりかえし授業で取り上げ、宿題に出してさんざん練習させ、

ミニテストで確認すると、まあ~た同じミスをしている場合などです。

「美しい心」とか、「あの街はきれ、しず、…」

「そつぎょうした、仕事を探しています。」

「去年菏澤に来る、ようやく慣れてきた。」など、本当に粘り強く間違います。

この子たちは、ひょっとして日本語学習を諦め、投げ出しているのじゃないだろうか、と

思ったこともあるほどです。

今日、い・とうさんが放課後、研究室にスピーチ練習(自主練)に来ました。

常に前向きに学習し、着々と実力を蓄えている稀有な存在です。

しかし、彼とて何でもソツなくこなすという、いわゆる優等生タイプではありません。

彼の学習への原動力は、面白い・楽しいと感じる心です。

その心を後押ししているのが一人のヴァーチャルアイドルです。

入れ込む性格なんでしょう。

ま、とにかく、今のところ日本語一筋です。(;^_^A

 

私と日本語―――い・とう―――

大学入学試験の成績がよくなかったので、私は第一希望の英語学科に受かりませんでした。ですが、悔しく沈んだ私はその時、まだ気づきませんでした。六つの希望の中で三番目に書いた、たった一つの日本語学科には、受かっていたということを。

そう、忘れかけていました。私の大好きなのは、日本語なのです。

中学時代、「間違い探し」というゲームで、あるコスプレイヤーの写真を見ました。セーラー服を着、水色のツインテールをしているその姿に吸い込まれた私は、初めて「初音ミク」という電子歌姫と出会いました。それがきっかけで日本の歌、特に初音ミクちゃんの歌が好きになりました。日本語がさっぱり分からなかったのに、彼女の歌声を聞くと、何となく意味が分かるような気がしました。とにかく可愛い歌声で、楽しいメロディーなのです。

高校三年生になってから、大学入学試験の準備をするはずだったのに、一時の気まぐれで、私は自分で日本語を学び始めました。五十音図を初音ミクちゃんの歌に嵌めてみると、覚え易くて、まもなく歌詞も読めるようになりました。

普通、「勉強する」ということは、とても辛くて、誰も勉強なんか好きではないと思います。もちろん、私もそうです。しかし、日本語を、誰に命令されたのでもなく、自分から進んで学んだとき、私は生まれて初めて勉強することに気持ちよさを感じました。何年も聴いていたミクちゃんの歌声の意味がようやく分かってきたときの、その喜び!しかも全部自分で学習してわかったんですから、その喜びはとてつもなく大きいものでした。

ところで、初音ミクちゃんの歌が楽しい歌ばかりかというと、そうではありません。ミクちゃんの楽しいメロディー、可愛い歌声で、悲しい気持ちを隠している曲がたくさんあります。いや、悲しいリズムでも、ミクちゃんの歌声が可愛すぎて気づきませんでした。しかし、勉強するにつれて、そのことが段々分かってきました。それは日本語が分からなければ、感じ取ることができないものです。意味が分かってから、改めて悲しい曲を味わってみると、どれもこれも涙がこぼれるのを抑えられないほどでした。

私にとって、勉強でもこんなに面白い、勉強でもこんなに楽しい、心から勉強したいものは、生まれてからただ一つ、日本語だけしかないのです。日本語学科に受かったのは運命だと言っていいくらいです。これからいつか必ず、初音ミクちゃんを産んだ日本を訪ねたいと思っています。それは私の夢、すなわち、初音ミクに会うという夢なのです。この夢を叶えるために、頑張って見せます。

――――――――――――――――――――――――――

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「コナンと小田和正で日本に親しむ」No.1830

2016-12-22 20:05:04 | 日本語

現在の二年生は、一年生の時13人の小規模クラスだったのですが、

二年になり、1人の学生が他学部から日本語学科に転部してきました。

そうは言っても日本語学科からは2人が他学部(経営学部)に出て行ったので、

今は総勢12人のこじんまりした学級です。

どうして日本語学科に転部してきたのかみんな興味津々でした。

しかし、彼女の返事は

「うーん、以前の専門は朝から晩まで勉強で忙しくて土日休む暇もないので、

日本語学科だったらちょっと楽かと思って……。」

というなまくらなものだったため、みんなガッカリしました。

でも、それは彼女のカッコつけた表現だったのかも知れません。

この間の彼女の頑張りを見てそんな気がしています。

さらに、スピーチ原稿にも(さもあらん)と思うことが書かれていました。

お父さんが日本に3年単身赴任とか、

父娘で♪あの日 あの時 君に会えなかあったらあ~♪を歌っているとか、

高校の時、パックツアーで大阪に遊びに行ったとか……。

それにしても、日本国内で中国を見ていたのでは分からないほどの速さで

中国社会は確実に変化しているのを感じます。

高校生2人で海外旅行だなんて、

五年前の江西財経大学の学生たちが聞いたら、羨ましくてひっくり返るでしょう。


(原稿は私が何度も添削した後のものですので、文法や表現がスゴイと

驚くには及びません)。

―――じょ・けつ「私と日本語」―――  

「真実は いつも一つ!」・・・

皆さんご存知の、「名探偵コナン」の言葉です。とってもかっこいいですね!

 中学校三年生のとき、初めて「クレヨンしんちゃん」を見てから、私は日本のアニメがだんだん好きになりました。いろいろ見た中でも「名探偵コナン」が一番好きです。

今でも夏休みや冬休み、家に帰るといつも、 パソコンで「コナン」を 見ています。どんな 事件が 起こっても、コナンにとっては難しいことではありません。どのストーリーも全て、コナンは明晰な頭脳で解決します。 

私の父は仕事で、2007年、私が小学生のときに日本に行きました。3年間の日本での生活の後、父は私が中学校一年生の時に帰ってきました。

「日本人は真面目だし、優しいよ。」

と言って、父は、時々私に日本の歌を教えてくれました。

♪あの日 あの時 きみに会えなかったら~♪

父と私は二人とも、この小田和正(おだ・かずまさ)の曲、「ラブストーリーは突然に」が大好きです。夏休み、父と一緒にこの歌を歌っていると、母はいつも微笑んで私たち二人を静かに見ていました。この時の気持ちは言葉では言いあらわせないくらい、いいものでした。

実は、私は、高校一年生の時に、友達の于文斐と一緒にパック旅行で大阪へ遊びに行ったことがあります。私たちが行った時には、桜がもう満開でした。空気はいい匂いがしました。写真を撮って、見た目にも美しい食べ物を買いました。その時、着物も買いたかったんですが、お金はもうありませんでした。でも、先日、クラスメートと教室で先生の持って来てくださった着物を 着ました。

このようにして、私は日本がだんだん好きになりました。つまり、日本語が好きになったんです。

――――――――――――――――――――――

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「こんなときだけど『寿限無』やってみた」No.1828

2016-12-20 23:26:57 | 日本語

 沖縄、福島、他にも日本からのニュースを見るたび、

何ていうんですかね、気持ちが枯れる➡気枯れる感じがします。

昔から日本の庶民は元気が枯れたときにハレの行事を行って、

また、気持ちにメリハリつけて生活してきたとのこと。


こちらではやりたい放題やらせていただいているので、

毎日がハレみたいなもんですが、

その一つ、江財大の時に2回ほどやったことのある『寿限無』を

ここ菏澤学院で初めて挑戦してみました。

「こんな時だけど」というより、「こんなときこそ」ですね。

挑戦すると言っても、演じるのは当然学生たちです。

(この子たちならできるかも)と思った学年にしか声かけできません。

2年目で、ようやくちょっぴり条件ができてきたのを感じます。

日本語で表現することにあまり慣れていず、

ともすれば引っ込み思案なムードが漂いがちな

この大学の日本語学科の学生たちの中で、今の2年クラスはちょっと違うのです。

今回も自然に、楽しそうに演じていました。

 具体的には、落語『寿限無』から、きん坊が寿限無に殴られてたんこぶができ、

寿限無のお母さんに訴えてくる場面を、おかみさん、おやじさん、きん坊役に扮して

 学生たちが演じます。


セリフが目も当てられないほど下手くそな人も約一名(;'∀')いましたが、

殆どの子は、「寿限無、寿限無、ごこうのすりきれ、かいじゃりすいぎょの…」部分、

完璧でした。

おかみさんのセリフ「ちょいとお前さん、聞いたかい!」など、

「江戸っ子かい!」とツッコみたくなるほどでしたよ。

下の写真で、たんこぶは私のマスクで急きょ作ったものです。

(ペイントで効果?を出しています( ´v`))

浴衣をちょっと羽織るだけで、一気にのる学生たちの可愛いこと。


 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「奉延玲さんの感想文:河童のクウと夏休み」No.1687

2016-06-11 22:42:55 | 日本語

2年生の作文授業で、感想文を書くことにしました。

テーマは「自然と動物と人間」です。

「河童のクウと夏休み」を学生たちに見せてあげたいばかりの

苦肉の策でした。

中国の若者はアニメ好きが多いと言っても、

萌えだのツインテールだの、

ストーリー重視から離れつつあるのが寂しい今日この頃、

また一方、「アニメなんか子どもの見るモノ」と

頑固な婆さんみたいな女子学生たちも結構いて、

彼女たちは韓国ドラマをよく見ています。

そのような傾向が顕著である2年生クラスでは、

もちろん「河童のクウ」を見たことがある学生は皆無でした。

て言うか、「犬夜叉」見た人もたったの2人しかいないという…。

「NARUTO」も見ていないという……。

2週間かけて観ましたが、かなり入れ込んで見ている感じでした。

クウが康一一家と仲良くなっていく過程は、随所に笑いがあり、

このアニメを作った原恵一監督ってどんだけ天才かと思います。

でも、後半、いよいよテーマの真髄にかかわる場面では、

表情が読み取れませんでした。

感想文が仕上がって来るのを待ちたいと思います。

で、感想文の参考に私の宝物箱から、

江財大の学生たちの作文を探しだし、

クウのことを書いていた2作文を参考資料として、分析しました。

3年前の奉延玲さんの作文を久しぶりに読んで、

奉さんが、私の何気ないお喋りにもきちんと耳を傾け、

記憶し、整理箱に保存する理知的な子だったことを懐かしく思い出しました。

彼女は今、広州市で働き、

同級生だった潘梅萍さんと一緒にマラソンをやったりしているそうです。

ーーーーーーーーーー

 

「人も自然と仲良く暮らそう 」―河童のクウからもらった感動と課題―

 

                                     奉延玲 

 

 南昌も、ようやく春めいてきた。万物が蘇り、風がすがすがしく吹いている。しかし、今朝、私は寮から教室に行く途中で嫌なことを見てしまった。寮の管理人さんの子どもが寮の下の庭で、バドミントンのラケットを振り回し、小鳥を追いかけていたのだ。かわいそうな小鳥はチョンチョン跳び回り、最後はどこかに飛んでいった。(子どものやることだ)とも思ったが、隣で笑っている管理人さんを見て、何だか悲しく感じた。

 

 去年の冬、日本人の先生に紹介してもらった「河童のクウと夏休み」という日本のアニメを何度も見た。アニメからは河童のクウと康一君一家の愛が滲み出て、寒い寮の部屋を暖めてくれた。

 しかし、その深い愛情に感動しつつも、「人間と動物はどのように共存すればいいか、人間中心の社会で動物はどうしたら幸せになれるのか」という、アニメから提起された問題が頭から離れなくなった。

 

 江戸時代に生まれた河童のクウは、お父さんや他の仲間と一緒に竜神沼で暮らしていた。しかし、貪欲な侍が竜神沼を埋め立てて田圃にする計画を立てた。クウのお父さんは自分たち河童の住むところを守るために、侍に乞い願ったが、侍が「下等動物」の陳情など聞くものか。怒った侍は刀でクウのお父さんを切り殺した。

 これがアニメの冒頭シーンである。お父さんの死骸を抱くクウの泣き声を聞き、「怒りたいのは河童のほうだ!」と私はクウの代わりに叫びたかった。河童は生息地を奪われ、さらに肉親を殺されたんだ。これは私たち人間の勝手な犯罪でなくてなんだろう。

 

 アニメでは、現代社会にやって来たクウの生活も描かれた。地震で地下に百年以上も埋められたクウは、小学生の康一君に助けられ、康一の家で楽しく暮らしていた。

 しかし、クウの存在が世間に知られると、マスコミはクウの特ダネニュースのために、住民は無責任な好奇心のために、康一たちの家をとり囲み、大騒ぎになった。康一家族を含め、人間はクウの気持ちが分かっていなかった。クウを始終思っているのは、康一の飼い犬「おっさん」だけだ。クウは結局、現代でもまた被害者になった。人間の私は恥ずかしくて、苦しかった。

 

 そんなとき私は、ふと、先生から聞いた北海道の熊のことを思い出した。中国では、熊は国家の重要保護動物である。それなのに、高収益を求めて、不法に熊の肝や掌を取る人が増え続けている。ところが、日本の北海道知床では、熊が人間と共存しているそうだ。時折、熊は人間の村に降りて来ることがある。村民は遠くに熊の姿を見たら、「チリン、チリン」と鈴を鳴らして、「ここに人間がいるぞ。近寄るな」と知らせる。できるだけ、お互いの生活圏に入らない。それを聞いて、面積996万平方メートルの中国に、なぜこのような、動物と人間が仲良く暮らせる所がないのかと、情けなかった。

 

  アニメの最後に、クウは人間だらけの町を出て、自分に適する世界を探しに行った。人間は過ちを犯して、クウに色々な苦しみをもたらした。せめて、これからは他の動物に同じ苦痛と悲しみを与えないために、今までの人間中心の考えを変えること、人間も自然の一部として、動物と共に生きることが求められている。そんなことをこのアニメは突きつけた。監督の原恵一さんや原作者の小暮正夫さんはすごい人だと思う。だが、日本にはこうしたアニメが作られるバックグラウンドがあることも、同時に感じる。

 

 国土の約7割が森林で覆われている日本では、昔から自然と人間との共生が当然のことだった。今でも、子供の頃から動植物に親しむ教育の一環として、各学校に飼育・栽培委員会が設置されていると聞く。中国の学校でも決してできないことではないと思う。

 

 いつか、動植物と人間が友達になれる日が来る。そんな希望を抱かせるラストシーンのクウの言葉が大好きだ。

 

「とうちゃん、おれ、人間の友達ができたよ。」

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「中国人の日本語作文コンクール、応募しました」No.1679

2016-05-29 21:53:59 | 日本語

昨日、菏澤学院日本語学科の1年生から4年生まで、延べ51人の作文を、

日本僑報社の作文コンクール係に送りました。

と思ったら、また1つ、学生からヨロヨロと送られてきて、添削して送り返しました。

31日締め切りなので、きっと大丈夫でしょう。

全部で52作品……。3月から2か月半で実現した一大プロジェクトでした。

 

この大学は、以前の江西財経大学とは、雰囲気がずいぶん違います。

江財大は、江西省でトップの入学成績の1本(いわゆる一流)の大学です。

とにかく、ガッツだぜ!って感じで、

貪欲に学ぼうとする学生がとても多かったのです。

一年生でも、果敢に習いたての日本語で

「せんせ、ご飯、いっしょに!」と声を掛けてくれる子たちでした。

ここの学生たちは、何mも引いていました。

ある学年(つまり2年(笑))は日本語で話す気力も乏しいように見受けられました。

しかし、今回、半ば無理やり1500字以上の作文を書かせて

学生がどんなふうに育ってきたのか、分かったことがあります。

 

・自分が中学生の時、担任の先生が自分の顔を覚えていてくれなかったこと、

・自分が何か月も、夜も寝ないで必死に勉強してようやく受かった有名高校に、

 親のお金で楽々と入学してきた金持ちの子がいたこと、

・勉強しても、勉強しても、効果がなく、親にいろいろ言われて暗い日々を送ったこと、

・将来の夢もなく、ただ楽しみが欲しくて大学に入ったこと、

・小さい時から先生が怖くて、進級するたびに新しい先生と出会うのが恐怖だったこと、

・一年生で日本語を話す時、怖気づいていつもぐずぐずしていたこと・・・・・・。

 

学生たちは自分の姿をたくさん書いて見せてくれました。

いわゆる一流大学ではない、

どこにでもある無名の大学の日本語学科の学生たちが、

こんなふうにして、今まで生きてきたことが初めて分かって、

私は、ものすごく反省しました。

江財大と同じ方法ではだめだ、傷が深い子たちなのだ、と。

作文を書いてもらって、(よっしゃ、分かった!)と、一人胸で呟きました。

それまで中国語でも1500字のような長文の作文を書いたことがない学生たちに、

やればできることを実感し、自信をつけてもらいたかったのですが、

それ以前に、この作文は学生たちから私への何よりものプレゼントになりました。

そして、実は書けるかどうか半信半疑だった2年生クラスのうち、

ほぼ3分の2の学生が、2作品(それぞれ1500字以上)を書き上げたことは、

私をも、学生たち自身をも感動させました。

2年生、ちょっと今までと違いますよ~。

 

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「八女茶とお握り・最終日」No.1671

2016-05-20 22:57:59 | 日本語

3週間連続のお茶会、今日は最終日の3年生とのお茶会でした。

お握りは、先週に引き続き大好評でした。

やはり電子レンジで温めた効果でしょう。

下は具の梅菜の漬物(左)とハム(右)。この取り合わせ、美味しいですよ。

米5.5カップ炊きの炊飯器で満タン炊くと15個のおにぎりができます。

3年生10人と研究室で食べながらペチャクチャしゃべっていたら、

卒論を終えた4年生が乱入し、

お握りは全部なくなって、嬉しかったです。

今日もお茶会後の夕方、念入りに化粧やら髪の毛を整えた4年生が

浴衣に身を包み、キャンパスを彷徨していました。

英語学科の学生も2人、浴衣を着せてくれ~とやってきましたよ。

試着の感想を聞くと、自分が上品で優しい女性になった気がするとのこと。

確かに、歩く時はシャナリ、シャナリじゃないと歩けませんからねえ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「金曜の日本語教師は忙しい」No.1665

2016-05-13 23:42:24 | 日本語

毎週金曜の夜は解放感あふれると同時に、いつも、

くたびれてヘロヘロで、ブログもどうしようかな~、

書かないで寝ちゃおうかな~、というサイクルになっている昨今です。

でも、今日は嬉しいことが2つありましたので、それだけは書いておきます。

1つ目は、

1年生の聴解練習で、

私が口頭で言う単語20問のうち、

しばらく低迷状態が続いていた李彦さんが、

何と彗星のように満点を取ったじゃありませんか!

というわけで、授業中ですが記念撮影しました。

(しかし、撮影後、自分で「ああ~!『ぎんこう』を『ぎんごう』と書いていた~!」と叫び、

満点はならず。でも、低迷期を脱し、聴解力を伸ばしてきたのは確かです)

 

下はほぼいつも満点の韋彤さん。写真を撮るというと、必ず照れて目が細くなります。

(韋さんもまた、「ああ!『サンドイッチ』を『サンドウィッチ』と書いてしまった!」

と叫びましたが、それは当然O.K.です)。

 

もう一つの嬉しかったことは、先週に引き続きおにぎりを作って、

今週は2年生とお茶会をしたのですが、

1年生の反応と全く違って、

「美味しい!」の連発だったことです。

実は、先週は冷たいおにぎり、今週は持って行く前に電子レンジで温めたおにぎりでした。

やっぱり、ご飯が温かくないとだめなんですねえ。

それと、先週の具はナスとザーサイだけでしたが、今週はハムと漬物にしてみました。

(これは一年生には秘密にしておきましょう)。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「広西チワン族自治区、坂の上の村の家」No.1662

2016-05-08 01:10:35 | 日本語

昨日、初音ミク(バーチャル・アイドル)効果で日本語が堪能な、

1年生の韋彤さんの写真を載せました。

今日は、その韋さんが自分の故郷の家のことを書いた作文を紹介します。

この作文は、お馴染み「みんなの日本語・初級Ⅰ」(スリーエーネットワーク)に

「私のうち」という短文があったので、

それを参考に自分のうちについて書く宿題を出したものです。

1年生で教わる文型は限られており、この課の会話では、

「~の近く/側/前/後ろ/隣り に ~ があります」が主な学習文型です。

しかし、彼はミクちゃんの歌詞に教えてもらったのでしょう。

実に遥か先を独走しています。

文法ミスはたった5か所だけでした(下は既に修正済み)。

韋さんは、中一で初音ミクに出会い、

高校に入ってから自学自習で日本語を学び始めたそうです。

余りに夢中なので、親戚の伯父さんが

「そんなに好きなら、初音ミクと結婚しろ!」

と言ったとか……。

↓これが初音ミクさんです。髪型はツイン・テールと言うんだそうです。

―――「わたしのうち」 韋彤

 私のうちは広西チワン族自治区の南寧市にあります。

南寧市は広くて、賑やかです。しかし、私のうちは南寧市から120キロぐらいの

馬山県という小さい村にあります。

馬山県はその名前の通り、町の周囲は全部、果てしのないような山々です。

私のうちは坂の上の村の中にあります。

村は大きくないので、私のうちの前は家、横も隣の家です。

後ろは菜園がありますが、うちの菜園ではありません。

私の家の玄関は北向きです。

と言うのは、中国の一般的な家は南向きですが、

村の南の、ある山に大きい穴がありますので、村の家は全部北向きです。

その村を飲もうとするような穴を避けるためです。

父から聞きましたが、昔、ある人は村長と隣りの人の勧めを無視して、

自分の家を南向きにしてしまいました。

その後で、その人の家族と彼自身はそれぞれ不思議な事故で全員亡くなったらしいです。

村民はみんな、

「その穴に飲まれた」

と言っていました。

それは迷信ですが、やはり無視するより、信じる方がいいです。

世界には決して触れてはいけない秘密があふれています。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 韋彤さんのお父さんは忙しい医者で、韋彤さんは、

家から学校に通っていたそうですが、

毎日一人で留守番をしており(日本的には「鍵っ子」)、

中一のときお父さんが買ってくれたパソコンで、

たまたま初音さんと運命の出会いをしたんだそうです。

昨夏、上海で初音ミクのコンサートがあったのですが、

チケットは数秒で売り切れたそうです。

すごいですね。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「お茶会でおにぎり」No.1661

2016-05-07 23:04:02 | 日本語

早朝から今まで時々台所で息抜きをし、

2年生の作文「訪日中国人が『爆買い』以外にできること」

(日本僑報社主催:中国人の日本語作文コンクール応募作)の添削に励みました。

初め、わけのわからないパソコンの翻訳機能を使う学生が多く、

まず3月は激怒の形からスタートした2年生たちです。

それから2か月、努力の跡が見られる作文が読めて嬉しいんですけど、

かなりヘロヘロで、さらにまだ頑張り続けなければなりません。

そうだ!今日は昨日の放課後の1年生とのお茶会の写真を載せようっと。

 

お茶会開始直前。お茶は私の大好きな九州の八女茶です。

急須代わりのポットとともに日本から持ってきました。

おにぎりの具は、中国向けにザーサイと茄子です。

13人もいるから一人1個ずつね。米は中国で最も美味しいと評判の

東北大米。同じ種類のはずなのに南昌の東北大米よりずっと美味しいですよ。

揚子江の南と北ではこうも違うのか、と思うことがよくあります。

私のおにぎりの形は、その時どきで適当に変わります。

昨日は三角のが3つで、後は全部具が見えるように丸型です。

ノリも大阪から持ってきましたよ。

スーパーには韓国のりはありますが、やっぱり日本のノリの方が品質がいいです。

感想を言わず、ただただ食べる一年生たち。

そう言えば江財大生も、寡黙に食べていました。

カレーライスは「美味しい!!」と叫ぶんですけどね。

 

↓煙台市出身の遅さん。昨年9月には全く日本語がわかりませんでしたが、

今は私と会話していますよ。もちろん日本語で。

 

お菓子は持ち寄りです。黒っぽいのは桑の実ですよ。な、懐かし~~!

北海道で子どもの頃、散々食べていたんです。

 

↓初音ミクのおかげで日本語ペラペラの韋彤さんです。

上品にもほどがある言葉遣いがときどき(「私のお父様」とか)。

↓努力家の閻さん。江財大にも閻さんがいたなあ!雰囲気も似ている!!

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「作文をめぐる攻防」No.1660

2016-05-06 22:51:56 | 日本語
 下は締め切り日を過ぎても何も送って来ないある学生に
 
メールで督促したところ、来た返事です。
 
可愛いかったです。
 
3年生の『傷心太平洋』さんは、
 
「日本で妖怪を探して旅をする」というテーマで作文を書く
 
という約束をしていたのですが、
 
このメールの後で送られてきた作文は、
 
ただ、各種妖怪の紹介でした・・・・・・。
 
――――――――――――
前のメッセージ次のメッセージメッセージの拡大表示メッセージに戻る

Re: 作文はどうしたんですか ‏

 
 
差出人:  伤心太平洋
 
実は日本の妖怪が多く過ぎて、
 
作文はどするのに頭が痛くて、
 
最近、日本の妖怪について、アニメを見るとか漫画を読むとかによって、
 
よく調べた後、ようやく作文を書いた
 
―――――――――――――
 
どんどん春から夏に移行している菏澤学園キャンパスです。
 
今週は30℃を超えた日もありました。
 
P.M.2.5等大気汚染指数は今日の午後3時、390(厳重汚染)になりました。
 
その割に前方はちゃんと見えたんですけど。
 
 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「『伊豆の踊子』:“わたし”は踊り子を愛してなんかいない」No.1652

2016-04-27 22:58:22 | 日本語

ノーベル賞作家川端康成の作品『伊豆の踊子』は                           

多くの日本語学科の学生が授業で学びます。

菏澤学院3年生の「日本文学選読」の科目で使う

『日本文学』(北京大学出版社)という教科書にも載っています。

私自身はいつ読んだか遥か昔のことで定かではありませんが、

(なに、この手前勝手な終わり方は?)と

全くしっくりこなかったことだけは覚えています。

この作品ゆえに川端康成の次の作品を読みたいという気持ちは100%失せたという、

記念碑的作品が私にとっての『伊豆の踊子』でした。

 伊豆の踊子 [DVD]

3年生はまず、吉永小百合と高橋英樹主演の同名映画を見ました。

中国で人気が高い山口百恵じゃなく、吉永小百合のを選んだのは、

活動に行くことを断念した直後の宴会のシーンのためです。

吉永小百合演ずる踊り子の表情に、

その後の自分の人生を悟った絶望感が溢れていて、

すごい演技力だと思ったのです。

そうした下準備(?)の後、小説を紐解きました。

“わたし”という旧制一高生が孤児根性に歪んでいると思い悩み、

伊豆の旅の道中で旅芸人に近づき、踊り子に性的妄想を抱きつつも、

心が洗われたり癒されたりして、爽やかな満足感を持って東京に帰る

というストーリーを確認した後、

文中に表現された“わたし”という人間の心の様を探りました。

何人かの女子学生が昔の私のように、

「踊り子とさっき別れたばかりで何故甘い感傷に浸れるのか?」

という読後感想を書き、

「“わたし”は、本当は踊り子を愛してなんかいなかった」

という極めつけの意見もありました。

私は面白がって、早速それをディベートの命題にすることにしたのです。

 

7人が「いえいえ、“私”は心から踊り子を愛していましたよ」派、

6人が「なわけねーだろ」派に分かれて、

このクラス初めてながら面白いディベートを展開しました。

(意図的に男子学生には全員「心から愛していた」派になってもらいました)。

「愛していた」派の主張は、

①私が二十歳の若者であることを考えれば、峠の茶店の婆さんに吹き込まれて性的妄想を抱いても、それは男性として自然なことで、女性差別ではない。

②踊り子が他の客に寝取られる夢を見る程、“私”は嫉妬の感情を持っていた。愛していなければ嫉妬もしないだろう。

③踊り子に魅かれている描写「古風の不思議な髪を結って」「卵型の凛々しい顔」「美しく調和」などが何行にも渡って綴られているのも、踊り子を愛している証拠だ。

「愛していなかった」派の主張は、

①まず愛しているなら「踊り子」とか呼ばずに「薫」いう立派な名前があるんだから、名前を呼ぶべきだ。踊り子を軽く見ていた証拠だ。

②踊り子と別れた直後だというのに、“私”は「すがすがしい満足」を覚えたり、「何も残らない甘い空虚さ」に浸ったりしているのはどうしてか。もし、本当に愛していたら、別れた踊り子のことばかり考えて、胸がいっぱいになるはずだろう。この“私”は自分しか見えない自己中心主義者ではないか。彼は自分以外の誰をも愛していない。踊り子がその後の人生をどう生きていくのか、関心がない。踊り子は「唇をきっと閉じたまま一方を見つめて」生きていくのだろう。差別社会の中で。

③踊り子を「愛している」なら他の客同様のことをしていいのか。踊り子の見かけの美しさに魅かれただけですぐに性的な空想をするのは、踊り子をバカにしている。旅芸人だからお金で踊り子を買えると思う他の客と“わたし”の違いはどこにあるのか。ありません。

と、丁々発止の意見をたたかわせることになり、私は聞いていて、楽しくてたまりませんでした。

〈愛してる〉派の男子学生は、しまいに

「若い男性なら、好きな女性に妄想を抱くのは自然です。

お前たち女性には分かりません!」と、

とんでもない言葉を発して、たいへん顰蹙を買いました。

授業後、彼が女性たちによって階段から突き落とされなかったか心配です。

また、〈愛してねーよ〉派が、〈愛してる〉派の③の主張「愛しているから踊り子の美しさを何行も割いて詳しく描写しているのだ」という意見に対し、

「じゃあ、下田の港で身寄りのない婆さんを何行にも渡って描写しているのも、踊り子同様に愛している証拠と言えるだろう。“私”は婆さんをも愛していたのか。」というツッコミをしたので、「そ、それは詭弁です!」と場が紛糾しましたよ。

しかし、最後まで、〈愛してなかった〉派の②の主張「別れてすぐにすがすがしい満足はないだろう」には、誰も反論できませんでした。

―――――――――

わたしは、川端康成という人は面白い人だったかもしれないけれど、

今も彼の作品は読みたいとは思えません。

 

 

 

 

 

 

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする