昨日の朝日新聞デジタルの記事で千葉の中学生の「声」を見つけた。
教育現場をランク付けすることに対して、簡潔に批判している。
そして、的を得た批判だと思う。
ここ、中国の教育は、全てランク付けし、表彰し、競わせている。
小・中・高を通じて家庭科はなく、
中学・高校で音楽、美術を履修しなかった財大生は非常に多い。
いや、芸術科目はちゃんとあるのだそうだが、
その時間は数学など「主要な科目」に充てられていた、
あるいは自習していたという。
クラブ活動もほぼないか全くないそうだ。
江財大の大学生は体育が苦手という人が多い。
体育教育に力を入れてもらっていた形跡もない。
その代りと言ってはなんだが、近視が非常に多い。
もちろん私は、人間、死ぬ気で学ぶ時期があってもいい、というか、
あった方がいいと思う。
もし、知ることへの渇望に突き動かされるということが
全くない人生を考えると、
(なんかね~、脳みそがどうなっちゃうんでしょうね~)と思う。
しかし、簡単に「北京の大学はいい。中国で○番だ」とか聞くと、
大学のランキングをもって、いいの悪いの言う単純さに閉口する。
誰がその順位を決めるんだ?神様かい。
世界の大学ランキングだっていい加減なものだ。
例えば英語で授業をしている大学の順位が高いとかさ。
学問は、ただひたすらに知りたいから学ぶことだと思う。
で、下の12歳の岩城くんの言葉、一つひとつに
「いんじゃな~い!」と頷く。
(声)点数で学校の順位は決まらない
2014年5月6日05時00分
中学生 岩城元己(千葉県 12)
先日この欄で、全国学力テストの学校別成績の公表について
賛成と反対の意見があった。
ぼくは反対意見が適切だと思った。
テストで、学校の順位は決められないからだ。
点数だけで順位を決められては困る。
それなら運動会や音楽会は必要なくなってしまう。
賛成の人は、「成績のよい人を表彰すれば勉強を頑張るよい機会になる」
というが、ぼくは、勉強は新しいことを学び、
知識を深めるのが目的だと思う。
表彰されるためではない。
高い評価を目指すあまり、まちがいをおそれてしまうかもしれない。
担任の先生は、「教室はまちがうところ」と教えてくれた。
まちがえるからこそ自分の意見ができ、学ぶ喜びが生まれる。
また、去年、実際に受けて疑問に思ったのは、
答案用紙が返ってこないことだ。
どこをどう、まちがえたのか分からない。
テストの方法も改善していってほしい。