ゲート前第2テントはゲート側の平らな歩道から追い払われて、
道路を隔てた向かい側に移動していた。地面が傾斜していて、
座っているだけで前方に滑っていきそうになるのを、足で踏ん張って耐える。
毎日座り込んでいたら、必ずや足腰が痛くなるだろう、
24時間テントに泊まり込んでいる人たちはどれほど疲労しているだろう、
そんなことが頭を過ぎる。
若者も多いが、年配者も負けず劣らず多いのだ。
27日の午前、辺野古の島袋文子さん(85歳)が杖をついて到着すると、
すかさず山城ヒロジさんがみんなに知らせ、
座り込む人々から拍手が起きた。
島袋さんは、昨年11月20日、
ダンプの侵入を止めるためにサイドミラーにつかまったところ、
機動隊員に排除されて転倒し、怪我を負わされた。
なぜ85歳のオバアがこんな目に遭わなければならないのだろう。
普天間基地を返すという話が辺野古基地建設へとすり替えられた時、
はじめの反対運動の核になったのが辺野古とその周辺住民であり、
その中でもゆるぎない存在がお年寄りたちだった。
今、そのオジイ、オバアの多くが鬼籍に入ったか、
家族関係など様々な事情で離脱し、沈黙するようになっているが、
それは決して単純に基地建設賛成派に回ったことを意味しないという。
そんな中で、18年間、初心を貫き通している、
稀な存在が島袋文子さんだ。
戦争中、糸満の激戦地を大やけどを負いながら生き延びた体験が
絶対に揺るがない反戦平和の信念となっている。
機動隊員や米軍基地の警備員にも、
「あんたたちのために言っているんだ。
戦争になったらあんたたちはみんな死ぬんだよ」
と呼びかける反戦平和の生ける魂だ。
(参考:三上智恵の沖縄撮影日記
http://www.magazine9.jp/article/mikami/14063/)
そんな島袋さんに、私が、まいあがってしどろもどろで、
「写、写真を、私のブ、ブログに載せさせ、させられ・・…」
とモゴモゴお願いすると、ニッコリ笑って、本当に快く応じてくださった。
なんと包容力のある微笑み!
「安倍首相にいいたい。
あの血が混じった泥水を飲めるか。
沖縄に基地を押し付けるのではなく、
沖縄の基地を全部、東京のど真ん中にもって行け。」
(島袋文子)
↓島袋文子さん関連記事↓
東京新聞 http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2015032802000138.html
連帯・共同21 http://rentai21.com/?p=1467