なんだ、どうした?!
一昨日12月3日夜に突然、
尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領が「戒厳令」を発令したというのには心底驚いた。
日本の与党自民・公明、そしてかばん持ち維新・国民民主が
何年もかけて緊急事態条項成立・憲法改正・独裁権力強化に向けて
ジリジリじわじわ真綿で首を絞めるがごとくやってきているのも恐ろしいが、
日本人で韓国事情に疎い私だけでなく、
当の韓国国民もあまりにいきなりのことに吃驚仰天したという。
「昨夜は知らなかったが、一晩のうちに社会が一転、二転した。
国民として事態の推移を知らなかった自分が恥ずかしい。」
と、平穏な朝の市内でインタビューに応じたソウル市民もいた。
わたしが何よりも感銘を受けたのは
戒厳令を聞いた韓国市民と国会議員たちが、
尹大統領が国会封鎖をする前に国会を開いて戒厳令解除決議を挙げるため
ものすごい勢いで国会に駆けつけたことである。
「国会議員たちを応援するために、彼らの言葉を支えるために来ました。ニュースを聞いてすぐ車で1時間以上かけて駆けつけました」(キム・テヒョン、京畿道[キョンギド]水原[スウォン]市、45歳男性)
「国会議員を守るために来ました。私たち市民が出てきて私たちの力を見せてこそ、国会議員たちが私たち国民を信じて正義の道を進めるのではないでしょうか」(キム・ソヨン、ソウル市、56歳女性)
「議員たちも怖かったはずです。周囲を武装した軍人が取り囲んでいるのですから」(カンさん[仮名]、ソウル市、50代女性)
「まず国会を封鎖すると考え国会に来ました。こうやって国民が抵抗しなかったら、そして国会議員や記者が抵抗しなかったら、ここ(国会前)は既に戦車や装甲車、空挺部隊が掌握していたかもしれません。
ここに来ながら最悪の状況が起きるとも考えました。だが、それを知った上で国民たちが動きました。実際に兵士の国会進入を防いだ市民もいます」(パク・コニョン、京畿道安陽[アニャン]、55歳男性)
戒厳令を解除させられるのは唯一国会だけ。
しかし、大統領が国会封鎖をしてしまったらその手段も断たれる。
1979年全斗煥による戒厳令の時がそうだった。
そして、あの光州事件が起きた。
一昨日の戒厳令発令で、韓国国民の多くが軍隊による光州虐殺を想起したという。
ことは一刻を争い、車でソウル国会前に駆けつけた地方の人々もいる。
この二日間は韓国の民主主義が遥か深くまで国民に浸透しているのを思い出させた。
緊急事態条項が法制化されたら、
日本でも戒厳令が現実のものとなる。杞憂でもなんでもなく。
今回の隣の国の人々の行動が、
麻酔注射されているような日本国民の意識を呼び覚ましてくれたらいいんだが・・・。
【参考にしたジャーナリスト徐台教(ソ・テギョ)さんの記事】
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