キラキラ

毎日の生活を写真と共に綴っていきます。

私の骨折日記・その3

2014-09-15 07:12:17 | Weblog
私の骨折は『外果骨折』でした。

最初の手術の時にプレートで固定しましたので

抜釘手術はそれを除去するものです。








(こんなプレートで外果骨折部を支えていました。

 先生に「プレートいただけますか?」とお願いしたら

 快く OK が出ました。)






術後大変痛みました。

「痛い、痛い。」

と呻いていましたので、主人がベッドサイドで

「代われるものなら、代わってやりたい。」

と言ってくれたのが、印象的でした、。

とてもうれしかったです。







こんなこともありました。

最初 緊急で阪堺病院で診てもらった時、

車から病院の車いすまでは主人が負ぶってくれました。

大変重くて、立ち上がりにくかったようです。









(何かあるとすぐに飛んでいく労災病院)







そこで、石川啄木の短歌

『たはむれに母を背負いて

 そのあまり軽きに泣きて

 三歩あゆまず』

 をもじって

 『妻背負い あまり重きに 三歩進まず』

 と作ったことを二男に話すと大笑いしていましたぁ~。







(緊急で診ていただいた阪堺病院)






主人が親身に接してくれて、泣けそうになった時が

3回ほどありました。

伊丹空港まで迎えに来てくれた時

阪堺病院で車いすまで負んぶしてくれた時

寒風の中、北花田の『S病院』を探して、その前で車を止めてくれた時





感謝の気持ちでいっぱいになりました。





2月27日に手術して、3月3日に退院予定だったのですが


少し延びて3月6日の午前に目出度く退院しました。

(3日間、朝昼晩と3回抗生物質の入った点滴を。)








(リハビリで通った馬場記念病院)






その後は、少々痛むことはありましたが

まあ普通の回復の経過を辿ったように思います。







(バルーンの先生も怪我をされて入院中とか。10日には

 弁天町のバルーン教室へ。ネコバスの前の部分のパーツで~す。)







労災の『N先生』『看護師さん』『主人』に支えられて

歩けるようになりました。


~ 皆さん、ありがとうございました ~ の世界です

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする