現在は緊急事態宣言下ということもあって、何処へも
出かけるもことなく読書三昧といったところでしょうか?
ゴッホが大好きな私は、以前から気になっていた
ゴッホ 「医師ガシェの肖像」の流転 を読み終えようと。

(ゴッホのとらえ方を変えられた書籍でした。
ガシェの肖像は、2バージョンあります。)
なかなかの長編で読み応えもあったけれど、読み終えるのが
少し しんどかったで~す。(全500ぺージあって。)

(オリーブの木・ゴッホ )

(夜のカフェテラス・ゴッホ)

(麦畑 ゴッホ)
まず、ヘェ~と思ったのは
◆ ゴッホは言われているほど、孤独でも貧しくもなかった
という新説。(優秀な画商・弟テオの援助のもと、ポスト印象派の中心に
いて、それなりの知名度もあり、仲間もいた。)
※〔貧乏で時代に評価されなかった狂気の天才〕というゴッホ神話が
一般的ですが。(以前、読んだ「ゴッホ、星への旅」 も そんなとらえ方
だったような。)
◆ 病気と創作活動は別だった、ということ。
◆ ゴッホの生涯を描いた本「炎の生涯ファン・ゴッホ物語」や
映画「炎の人 ゴッホ」であまりにもその生涯が有名になり
一般には少し誤解があると・・・。

(ガシェと関係の深いシュテーデル美術館)
「医師ガシェの肖像」は、100年間で13人(1組織あり)が所有者と
なりました。
そして、その1枚の絵画の歴史を何人もの関係者に取材して、丁寧に
仕上げた一冊です。
後書きでは、これは単なる一枚の絵画の歴史を追ったもの
ではなく、立派な中世・近代絵画の美術史であると絶賛!!
有名な画家も何人も登場するので、その都度ネット検索して
その絵をパソコンの画面で鑑賞して(笑)

(アイリスのある黄色い花瓶・ゴッホ アイリスも何枚もあって。)

(くつ・ゴッホ 力強いけれど、何となく悲しみが漂っているような。
ゴッホの生涯と一緒に鑑賞するから?)

(糸杉のある麦畑・ゴッホ)
「医師ガシェの肖像」 は
オランダ→フランス→オランダ→デンマーク→ドイツ→アメリカ→日本
と流転し、ナチの退廃芸術として略奪されたこともあります。
その過程で、絵の価格もどんどん上がり、日本人の斉藤了英氏(旧大昭和製紙)は
124億円で購入し、世間をアッと言わせました。(1990年)
また、記者会見で彼は
「わたしは、身のまわりの人間たちに、わたしが死んだら
『あの絵』を棺桶に入れて、燃やすように言っているんだ。」
と話したらしい。

(ゴッホの寝室・ゴッホ)
それを聞いた外国の人々は
「彼は、人類の財産を私物化している」と、批判的だった。
斉藤氏は、6年間「医師ガシェの肖像」を所有し、1996年に
体調を崩し亡くなりました。
その後 「ガシェ」は密かにサザンビーズに売却
された ということです。
現在は、個人所有になっていると言われていますが、はっきりしたことは
分かっていません。
読んでいる途中では、マネ、モネ、ドガ、カミーユ、ピサロ、セザンヌ
ピカソ、ゴーガン、スーラ、マティス、ロートレック、ムンク などの画家が登場!!

(小椅子のマドンナ・ラファエロ)

(ホロフェルネスの首を持つユディト クラーナハ)

(優雅なイケメン肖像画家・ヴァン・ダイク)

(ムーランド・ラ・ギャレットの舞踏会 ルノワール)

(バーで練習する踊り子 ドガ)

(ディヴァン・ジャポネ ロートレック)
中でも、ロートレックは印象的でした。
彼は、裕福な貴族の家に生まれました。でも、足に障害を持ち
身長が伸びず、Cafe・クラブなどに通い詰めでデカダンな生活を送り
37才でなくなりました。「小さき男」「偉大なる芸術家」と
形容されています。
(ムンクも恵まれた環境では育っていません。芸術家の人生も
それなりに大変なんだぁ~。と改めて思って・・・。
芸術家の人生だからこそ、大変だとも!?!)

(村の大通り ハインリヒ・カンパンドンク)

(シカゴ美術館)

(青い馬 マルク)

(静物画 マティス)

(女の顔 ピカソ)

(ヴィディプスクの冬の夜 シャガール)

(赤いケープのキーズ男 ゴッホの親友?! ゴーガン〈=ゴーギャン〉)
ゴッホは、生前「僕は、一世紀後に亡霊のように現れる肖像画を
描きたい。」 と言っています。
ガシェの歴史は、その狙いを達成したことになるのでしょうね。

(ひまわり7点 ゴッホ)
上のひまわりの1点は戦後 日本(兵庫県)で焼失し、また、1点は損保美術館で鑑賞
できるらしい。

(ドービニーの庭 ゴッホ)
これは、広島美術館が所有しています。広島なら、日帰りで行くことが
できます。コロナ禍が終息したら是非鑑賞したいなぁ~。
(今日はフォトをUPし過ぎでした。省くつもりがどんどん増えてしまって・・・。)