1月14日(火)にレクチュアコンサートVol.5に参加しました。
『にっぽんのうた・こころのうた』
冬・新春・早春 ~冬来たりなば春遠からじ
とパンフレットにありました。
(弁天町市民学習センターの受け付け)
サブテーマに
〈本格的なオペラの歌声と楽しい解説で楽しむ♪〉 と。
大阪市立弁天町市民学習センター・講堂
でありました。
出演は
ソプラノ 小梶 史絵
バリトン 橘 茂
ピアノ 金岡 優子
チェロ 太田道宏 (企画・構成・司会)
(ソプラノ 小梶史絵さん。久々の本格的なソプラノに聴き入っていました。)
9日(木)に学習センターへ行った時に前売り券を購入しました。
当日大変寒く、18時30分開場で19時開演の夜でしたので
チケットを買っていなかったら、きっと行かないだろうなぁ~。
と思い、振るえながら鳳駅へ向かいました。
でも、でも 帰りは行ってよかったなぁ~。という思いに変わり
寒さもへちゃらでした!!
(バリトンの橘茂さん、おやじギャグ連発で小梶さんが困っていたような・・・。)
歌のプログラムは
1部
♪ 冬景色
文部省唱歌
(それぞれの歌に解説が付きます。それが何とも言えない味があり
よかったで~す!!)
♪ たき火
作詞 巽聖歌、作曲 渡辺茂
、
(1941年(昭和16年)に、NHKのラジオ番組「幼児の時間」で詞が発表され、
戦後の1949年(昭和24年)にも、NHKのラジオ番組「うたのおばさん」で松田トシや
安西愛子が歌いました。そして、大衆に広まり、2007年(平成19年)には日本の歌百選に
選出されました。)
(チェロ 太田道宏さん、関西フィルの楽団員。)
♪ 浜千鳥
作詞 鹿島鳴秋、作曲 弘田龍太郎
(歌詞は、鹿島 鳴秋が友人の桑山太一を柏崎に訪ね、2人で浦浜から
番神海岸を散歩しているときに、鳴秋が手帳に書き記したもの。
余談ですが、千鳥足というのは千鳥の歩き方に由来しています。通常鳥の足には
後ろにも支える指があるが、千鳥の足には指3本で後ろに指が無く、よろめいた
歩き方をするため喩えられるようになりました。)
♪ ちんちん千鳥
作詞 北原白秋、作曲 近衛秀磨
(近衛秀磨は指揮者で作曲家。山田耕筰から作曲を学びをました。また、終生オーケストラ
との関係を不首尾に終わらせています。本来の指揮者としての力量を承認しないものは一人も
いなかったのですが、オーケストラ運営という面では難しいものがあったようです。そして、大変な
艶福家でもあったような・・・。)
(近衛秀麿氏、異母兄には近衛文麿(政治家、元内閣総理大臣)がいます。)
♪ もずが枯木で
作詞 サトウハチロー、作曲 徳富繁
(小学校の音楽教師だった徳富繁が昭和13年3月18日に作曲していますが、はじめは茨城県民謡として、
戦時中の暗い谷間に兄弟を戦争に奪われた怒りをこめた抵抗の歌としてうたごえの中で広まって
いきました。)
♪ おおさむこさむ
わらべうた
(『おおさむこさむ』の「寒い」、「山」、「小僧」というキーワードを見ると、NHK「みんなのうた」で
かつて放送された『北風小僧の寒太郎』がふと思い出されます。この2曲の関係性は不明ですが、もしかしたら、
『北風小僧の寒太郎』は『おおさむこさむ』のイメージを膨らませて創作された曲なのかもしれません。「小僧」を
「北風」として大胆に擬人化した発想が面白い!!)
(パンフレットの陳列棚で見つけました。)
♪ 北風小僧の寒太郎
作詞 井出隆夫、作曲 福田和禾子
(1972年にNHKの『おかあさんといっしょ』の「うたのえほん」のコーナーで担当者から
「子供向け演歌もあってもいいんでは?」と水を向けられた井出隆夫が、その当時のヒットドラマだった
『木枯し紋次郎』(フジテレビ)のパロディーのつもりと、自身が幼少時代を過ごした冬の風景を思い出し
ながら作詞し、福田和禾子が作曲しました。この曲を『おかあさんといっしょ』の番組中で最初に歌ったのは
田中星児です。)
♪ 冬の夜
作詞 下村千別、作曲 不詳
(戦後は、歌詞の中の「いくさの手柄を語る」という部分が、戦意高揚であると否定され、「過ぎし昔の思い出語る」と
改変されています。NHKの「クイントリックス」の中でも,そのような歌詞が用いられているが、そうなると
なぜ子どもたちが「拳を握って」興奮するのか、意味が不明となる、とする疑問も提示されています。
因みに歌詞は
1番
燈火ちかく衣縫ふ母は
春の遊びの楽しさ語る
居並ぶ子どもは指を折りつつ
日数かぞへて喜び勇む
囲炉裏火はとろとろ
外は吹雪
2番
囲炉裏の端に繩なふ父は
過ぎし昔の思い出語る
居並ぶ子供は ねむさを忘れて
耳を傾け こぶしを握る
囲炉裏火はとろとろ
外は吹雪)
(当日配布されたプログラムの表面)
(プログラムの裏面、全20曲は聴き応えがあります。)
♪ ペチカ
作詞 北原白秋、作曲 山田耕筰
(満州唱歌の中の1曲。満州唱歌(まんしゅうしょうか)とは、1924年(大正13年)から
太平洋戦争終戦にかけて満州で発行されていた教科書(唱歌集)『満州唱歌集』・
『満州小学唱歌集』・『ウタノホン』に収録された歌の総称。
ペチカはロシアの暖房設備。ペーチカと発音するのを好む人も。)
ここで1部が終了!!
軽妙な解説者のお話を思い出しながら、ネットで色々調べてUPしました。
なかなか面白かったです。満州唱歌や近衛秀麿さんのことなど
初めて知ったことも多かったで~す。
♪ ちんちん千鳥
作詞 北原白秋、作曲 近衛秀麿
(作曲家・指揮者の近衛秀麿は法政大学や立命館大学の校歌の作曲もしています。
近衞秀麿は終生、オーケストラとの関係を不首尾に終わらせています。本来の指揮者
としての力量を承認しないものは一人もいなかったのですが、運営はうまくいかな
かったようです。また、艶福家でもあったような・・・。)
♪ もずが枯木で
作詞 サトウハチロー、作曲 徳富繁
(小学校の音楽教師だった徳富繁が昭和13年3月18日に作っていますが、はじめは茨城県民謡として、
戦時中の暗い谷間に兄弟を戦争に奪われた怒りをこめた抵抗の歌としてうたごえの中で広まって
いきました。)
♪ おおさむこさむ
わらべうた
♪ 北風小僧の寒太郎
作詞 井出隆夫、作曲 福田和禾子
(元々は1972年にNHKの『おかあさんといっしょ』の「うたのえほん」のコーナーで
担当者から「子供向け演歌もあってもいいんでは?」と水を向けられた井出隆夫が、
その当時のヒットドラマだった『木枯し紋次郎』(フジテレビ)のパロディーのつもりで
自身が幼少時代を過ごした冬の風景を思い出しながら作詞し、福田和禾子が作曲したものです。
この曲を『おかあさんといっしょ』の番組中で最初に歌ったのは田中星児でした。)
♪ 冬の夜
作詞 下村千別、作曲 不詳
(初出は明治45年3月「尋常小学唱歌(三)」
戦後は、「いくさの手柄を語る」という部分が,戦意高揚であると否定され,
「過ぎし昔の思い出語る」と改変されている。NHKの「クイントリックス」の中でも,
そのような歌詞が用いられているが,そうなると,なぜ子どもたちが「拳を握って」
興奮するのか,意味が不明となる,とする疑問も提示されている。
因みに、その歌詞は
1番 燈火ちかく衣縫ふ母は
春の遊びの楽しさ語る
居並ぶ子どもは指を折りつつ
日数かぞへて喜び勇む
囲炉裏火はとろとろ
外は吹雪
2番 囲炉裏の端に繩なふ父は
過ぎし昔の思い出を語る
居並ぶ子供は ねむさを忘れて
耳を傾け こぶしを握る
囲炉裏火はとろとろ
外は吹雪)
♪ ペチカ
作詞 北原白秋、山田耕筰
(満州唱歌の1曲、満州唱歌(まんしゅうしょうか)とは、1924年(大正13年)から
太平洋戦争終戦にかけて満州で発行されていた教科書(唱歌集)『満州唱歌集』・
『満州小学唱歌集』・『ウタノホン』に収録された歌の総称。
(ペチカ(ペーチカと発音の方を好むことも。ロシアの暖炉兼オーブンである。
この語はペーチ (печь pech) の小形で、ロシアで普通のスタイルの暖炉を想定
しつつその全般を指す。ペチカ形式の暖房設備は、ロシア以外の近隣地域で広く見られる。
日本では、特にロシア式暖炉のことをいいます。)
ここで1部が終了。解説者のお話の内容を思い出しながら、ネットで調べた
ことをUPしました。