金素雲の波瀾に満ちた生涯については,自叙伝『天の涯に生くるとも』で読むことができます。
その中から。金素雲は、六堂(崔南善)と春園(李光洙)について、若い学生たちに、
「種痘というのがあるでしょう。病菌をわざわざ移植して、腫れ物を作った後には大きな疵跡が生じるけれども、その種痘のおかげで体全体は病気から逃れることができます。
民族を裏切ったり節操を曲げたといって、今、六堂と春園のような人が本国で非難の的になっていますが、その方々が皆さんのようにこの民族、この国を愛さなかったなどとは万が一にも思わないように。
その方々はいわば種痘の役割を果しているのです。誤てる時代の熱病の中にある全民族に代わって、腫れ物になり化膿した犠牲者たちなのです。考えてみれば申し訳なく、有難い方々だといってよいでしょう」
と語ったそうです。
(『天の涯に生くるとも』(講談社学術文庫)
六堂(崔南善)は歴史学者。早稲田大学を出,3・1独立運動では独立宣言を起草,逮捕・投獄されたが,その後総督府の文化政策に協力,満州建国大学教授になる。歴史学者としての業績にもかかわらず,「親日派」として指弾されている。
春園(李光洙)は朝鮮の作家,代表作は『無情』。独立宣言起草後,上海に亡命し,大韓民国臨時政府に参画したが,帰国後,親日に転じ,徹底的に日本に協力する。解放後,「反民族行為」によって裁かれ,朝鮮戦争時に北に渡り行方不明。近代朝鮮語の基礎を作り,朝鮮近代文学の祖ともいわれるが,最大の親日派として非難されている。
金素雲もまた,しばしば「親日派」のレッテルを貼られていたことは,自伝にある通り。この自伝の前半はもともと日本語で書かれ,後半は韓国で『逆旅記』の名で発表された自伝を訳出したもの。「逆旅」とは「旅館」のことだが,おそらく金素雲は原義にないことを承知で「世間一般の流れに逆らった旅」の意をこめて,このタイトルをつけたと,訳者は推測しています。
その中から。金素雲は、六堂(崔南善)と春園(李光洙)について、若い学生たちに、
「種痘というのがあるでしょう。病菌をわざわざ移植して、腫れ物を作った後には大きな疵跡が生じるけれども、その種痘のおかげで体全体は病気から逃れることができます。
民族を裏切ったり節操を曲げたといって、今、六堂と春園のような人が本国で非難の的になっていますが、その方々が皆さんのようにこの民族、この国を愛さなかったなどとは万が一にも思わないように。
その方々はいわば種痘の役割を果しているのです。誤てる時代の熱病の中にある全民族に代わって、腫れ物になり化膿した犠牲者たちなのです。考えてみれば申し訳なく、有難い方々だといってよいでしょう」
と語ったそうです。
(『天の涯に生くるとも』(講談社学術文庫)
六堂(崔南善)は歴史学者。早稲田大学を出,3・1独立運動では独立宣言を起草,逮捕・投獄されたが,その後総督府の文化政策に協力,満州建国大学教授になる。歴史学者としての業績にもかかわらず,「親日派」として指弾されている。
春園(李光洙)は朝鮮の作家,代表作は『無情』。独立宣言起草後,上海に亡命し,大韓民国臨時政府に参画したが,帰国後,親日に転じ,徹底的に日本に協力する。解放後,「反民族行為」によって裁かれ,朝鮮戦争時に北に渡り行方不明。近代朝鮮語の基礎を作り,朝鮮近代文学の祖ともいわれるが,最大の親日派として非難されている。
金素雲もまた,しばしば「親日派」のレッテルを貼られていたことは,自伝にある通り。この自伝の前半はもともと日本語で書かれ,後半は韓国で『逆旅記』の名で発表された自伝を訳出したもの。「逆旅」とは「旅館」のことだが,おそらく金素雲は原義にないことを承知で「世間一般の流れに逆らった旅」の意をこめて,このタイトルをつけたと,訳者は推測しています。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます