四方田犬彦の本に『われらが他者なる韓国』(PARCO出版,1987年)があります。
著者は,文芸評論家,映画評論家として有名ですが,1979年に日本語教師として韓国に1年滞在したことがあり,これはそのときの経験を綴った本です。
韓国社会は1988年のソウル五輪を境に激変しました。同書は,それ以前の韓国を知るのに貴重です。その中に,「金素雲の思い出」という小文があります。
「君が今いるこの国は韓国語で何と発音するかな」
「テーハンミングクでしょう、先生」
「その通り、少しは勉強しているようだね。それじゃあ日本語では大韓民国を何と読むかね」
「ダイカンミンコク」
「あはは。君もやっぱり間違えた。それは違うんだよ。まあ君の時代ではもうわからなくなっているのかも知れないがね、そもそも日本語では大という漢字は二通りの発音の仕方があってタイとダイは、厳密に使い分けをするんだよ。たとえ肉体的にも物質的にもいかに小さく貧しくとも、その精神性において卓越している場合にはタイ、逆に精神において堕落していても領土や質量が巨大な場合がダイと読むわけだ。というわけで、大韓民国というアジアの一半島のちっぽけな国はね、タイカンミンコクと‘日本語では’発音しなければならないのだよ」
「……」(唖然として)
「ついでに言えば、陽の沈むところなしと聞いた大英帝国はダイエイテイコクであるし、大日本帝国もまたダイニッポンテイコクと発音してきたわけだ」
日韓を股にかけ,時代の激変にも超然としてその風格を保った金素雲。氏については,今後何回かにわけて,ご紹介するつもりです。
なお,四方田氏は,2000年に再び半年ほどソウルに滞在したときの印象記を『ソウルの風景』(岩波新書,2001年)にまとめています。(→リンク)
著者は,文芸評論家,映画評論家として有名ですが,1979年に日本語教師として韓国に1年滞在したことがあり,これはそのときの経験を綴った本です。
韓国社会は1988年のソウル五輪を境に激変しました。同書は,それ以前の韓国を知るのに貴重です。その中に,「金素雲の思い出」という小文があります。
「君が今いるこの国は韓国語で何と発音するかな」
「テーハンミングクでしょう、先生」
「その通り、少しは勉強しているようだね。それじゃあ日本語では大韓民国を何と読むかね」
「ダイカンミンコク」
「あはは。君もやっぱり間違えた。それは違うんだよ。まあ君の時代ではもうわからなくなっているのかも知れないがね、そもそも日本語では大という漢字は二通りの発音の仕方があってタイとダイは、厳密に使い分けをするんだよ。たとえ肉体的にも物質的にもいかに小さく貧しくとも、その精神性において卓越している場合にはタイ、逆に精神において堕落していても領土や質量が巨大な場合がダイと読むわけだ。というわけで、大韓民国というアジアの一半島のちっぽけな国はね、タイカンミンコクと‘日本語では’発音しなければならないのだよ」
「……」(唖然として)
「ついでに言えば、陽の沈むところなしと聞いた大英帝国はダイエイテイコクであるし、大日本帝国もまたダイニッポンテイコクと発音してきたわけだ」
日韓を股にかけ,時代の激変にも超然としてその風格を保った金素雲。氏については,今後何回かにわけて,ご紹介するつもりです。
なお,四方田氏は,2000年に再び半年ほどソウルに滞在したときの印象記を『ソウルの風景』(岩波新書,2001年)にまとめています。(→リンク)
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