梅棹忠夫氏と相前後して,劇作家つかこうへい氏が亡くなりました。
つかこうへいは在日韓国人ということもあって,韓国でも大きく報道されました。次は7月13日の中央日報の記事です。(→リンク)
戯曲「熱海殺人事件」の作家、金峰雄氏、別世(=逝去)
在日韓国人二世で演劇・映画・小説など多方面に渡って芸術的力量を発揮してきた金峰雄(日本の筆名つかこうへい)氏が10日午前11時頃、日本の千葉県鴨川市の病院で、肺癌で亡くなった。 62歳。金氏は今年1月、末期の肺癌の診断を受けて病院で坑癌治療を続けながら電話で演出の指示をするなど、最後まで創作に対する情熱を燃やしていた。
福岡生まれの金氏は慶応大学仏哲学科に在学中、演劇活動を始めた。彼を世に知らしめた出世作は1974年の「熱海殺人事件」。26歳のときに出たこの作品は、当時の日本の代表的な戯曲賞を総なめにした。同年、「劇団つかこうへい事務所」を設立して「初級革命講座飛竜伝」などのヒット作を次々に送り出し、80年代初めに「つかブーム」をまき起こした。
実際、金氏が登場するまで日本の演劇は特別な舞台装置なしに俳優の台詞と身振りだけに頼る、いわゆる「貧しい演劇」が主流であった。これに対し金氏のスタイルは全く違っていた。テンポが速く、機知に富んでいた。
韓日両国で活動中の公演企画者、木村ノリコ氏は「差別を受けてきた在日韓国人という出自が信じられないほど、金氏は大衆の好みをうまくつかみ、洗練された美と人間の悪魔的な本性を暴き出す洞察力を兼ね備えていた」と評した。「日本の演劇界は「つか以前と以後」に分かれる」、「韓国から日本への贈り物」など、金氏に対して浴びせられた日本演劇界の称賛は決して誇張でなかった。
12日に公開された遺言状で金氏は、「先立つ者はあとに残る人たちに迷惑をかけてはいけないと思う。墓も作らず、葬式も追悼式も一切しないでほしい。しばらくしてから娘が日韓の間の海に私の骨をまいてくれれば」と書いていた。
彼の長女は劇団宝塚で愛原実花の名で活躍している。
チェ・ミンウ記者
日本の新聞によれば、癌に冒されたあと、今年1月に書かれ、死後に公開された遺書は次の通り。
友人、知人の皆様、つかこうへいでございます。
思えば恥の多い人生でございました。
先に逝くものは、後に残る人を煩わせてはならないと思っています。
私には信仰する宗教もありませんし、戒名も墓も作ろうとは思っておりません。
通夜、葬儀、お別れの会等も一切遠慮させて頂きます。
しばらくしたら、娘に日本と韓国の間、対馬海峡あたりで散骨してもらおうと思っています。
今までの過分なる御厚意、本当にありがとうございます。
2010年 1月1日 つかこうへい
私は特別に演劇に興味があったわけではないので,つかこうへいの演劇を見たのは一回だけ。私が韓国駐在中に,「熱海殺人事件」の韓国公演があったときでした。
むしろ,
『人は幸せになるために生まれてきたのです』(光文社、1996年),
『娘に語る祖国「満州駅伝」-従軍慰安婦編』(光文社,1997)
などの書籍のほうが印象に残っています。
特に後者は,在日韓国人でありながら慰安婦問題を「糾弾」以外の手法で描いたところに感銘を受けました。これについては,このブログでも触れたことがあります。(→リンク)
ご冥福をお祈りします。
つかこうへいは在日韓国人ということもあって,韓国でも大きく報道されました。次は7月13日の中央日報の記事です。(→リンク)
戯曲「熱海殺人事件」の作家、金峰雄氏、別世(=逝去)
在日韓国人二世で演劇・映画・小説など多方面に渡って芸術的力量を発揮してきた金峰雄(日本の筆名つかこうへい)氏が10日午前11時頃、日本の千葉県鴨川市の病院で、肺癌で亡くなった。 62歳。金氏は今年1月、末期の肺癌の診断を受けて病院で坑癌治療を続けながら電話で演出の指示をするなど、最後まで創作に対する情熱を燃やしていた。
福岡生まれの金氏は慶応大学仏哲学科に在学中、演劇活動を始めた。彼を世に知らしめた出世作は1974年の「熱海殺人事件」。26歳のときに出たこの作品は、当時の日本の代表的な戯曲賞を総なめにした。同年、「劇団つかこうへい事務所」を設立して「初級革命講座飛竜伝」などのヒット作を次々に送り出し、80年代初めに「つかブーム」をまき起こした。
実際、金氏が登場するまで日本の演劇は特別な舞台装置なしに俳優の台詞と身振りだけに頼る、いわゆる「貧しい演劇」が主流であった。これに対し金氏のスタイルは全く違っていた。テンポが速く、機知に富んでいた。
韓日両国で活動中の公演企画者、木村ノリコ氏は「差別を受けてきた在日韓国人という出自が信じられないほど、金氏は大衆の好みをうまくつかみ、洗練された美と人間の悪魔的な本性を暴き出す洞察力を兼ね備えていた」と評した。「日本の演劇界は「つか以前と以後」に分かれる」、「韓国から日本への贈り物」など、金氏に対して浴びせられた日本演劇界の称賛は決して誇張でなかった。
12日に公開された遺言状で金氏は、「先立つ者はあとに残る人たちに迷惑をかけてはいけないと思う。墓も作らず、葬式も追悼式も一切しないでほしい。しばらくしてから娘が日韓の間の海に私の骨をまいてくれれば」と書いていた。
彼の長女は劇団宝塚で愛原実花の名で活躍している。
チェ・ミンウ記者
日本の新聞によれば、癌に冒されたあと、今年1月に書かれ、死後に公開された遺書は次の通り。
友人、知人の皆様、つかこうへいでございます。
思えば恥の多い人生でございました。
先に逝くものは、後に残る人を煩わせてはならないと思っています。
私には信仰する宗教もありませんし、戒名も墓も作ろうとは思っておりません。
通夜、葬儀、お別れの会等も一切遠慮させて頂きます。
しばらくしたら、娘に日本と韓国の間、対馬海峡あたりで散骨してもらおうと思っています。
今までの過分なる御厚意、本当にありがとうございます。
2010年 1月1日 つかこうへい
私は特別に演劇に興味があったわけではないので,つかこうへいの演劇を見たのは一回だけ。私が韓国駐在中に,「熱海殺人事件」の韓国公演があったときでした。
むしろ,
『人は幸せになるために生まれてきたのです』(光文社、1996年),
『娘に語る祖国「満州駅伝」-従軍慰安婦編』(光文社,1997)
などの書籍のほうが印象に残っています。
特に後者は,在日韓国人でありながら慰安婦問題を「糾弾」以外の手法で描いたところに感銘を受けました。これについては,このブログでも触れたことがあります。(→リンク)
ご冥福をお祈りします。
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