日本語には、ともに存在を示す「いる」と「ある」という言葉がありますが、この二つの区別をすることが、外国人には難しいらしい。
日本人は無意識に使い分けていますが、「いる」は人間や動物が存在しているときに使い、「ある」のほうは事物(や植物)が存在しているときに使います。
韓国語はこの二つを区別せず、どちらも「イッタ」ですますということは、以前書いたことがあります。(→リンク)
タイ語にも、存在を表す動詞が二つあります。でも、その使い分けは日本語とは違う。
一つはミー。
「お姉さんがいますか」
「はい、一人います」
のようなときに使うのがミーです。
もう一つはユー。
「お姉さんはいますか」
「いいえ、今、家にいません」
のようなときに使います。
つまり、最初の例では、質問者は姉の存在そのものを聞いているのに対し、後の例では、質問者は姉がいることを知ったうえで、その姉が家にいる場所を聞いています。ミーは存在そのものを話題とし、ユーは存在を前提として場所を話題とするとも言えます。
ミーとユーでは語順も違う。通常、タイ語の語順は「主語+述語」です。ユーの場合、「Aがいる」は「A+ユー」で通常の語順です。しかし、ミーの場合、「Aがいる」は「ミー+A」と、例外的に語順になります。
英語は存在を表すのに「There is ~」という特殊な形態をとる。どの言語も、存在を表す表現は複雑なようです。
日本語で変わっているのは、「いる」の反対語が「いる」の「ナイ形」である「いない」であるのにたいし、「ある」の反対語は「あらない」ではなくて「ない」。そしてこの「ない」は品詞でいうと形容詞だ、ということ。
反対語が、違う品詞になるというのは、他の言語ではなかなかない現象なのではないでしょうか。
他の例として、「違う」(動詞)の反対語は「同じだ」(形容動詞/な形容詞)。
韓国語のイッタ(ある)/オプタ(ない)もまた特殊な活用をするので、文法書によっては「存在詞」という品詞を別に立てています。
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「どこかかゆい所ありますか?」
という問いに
「ないです」
と答えましたが、なんだか自分で言って違和感を覚えてその後は
「ありません」
と答えるようにしてます。
「ないです」は違和感がある程度ですが、「ないでした」は非文と感じられるのも不思議です。
の違いがあり、ミーは存在を表す動詞ではない
と思います。
タイ語は日本語同様、口語では主語を省略する
ので、語順が反対になったわけではないですね。
解説、ありがとうございます。
ミーは「have」と同じなのですね。
確かに「私には姉がいます」のような場合は、構文的にそっくりですし、そのように説明している文法書が多いです。
でも、
この部屋の中には椅子があります。
ナイホンニー ミー カオイー
みたいな場合、ナイホンニー(部屋の中)を主語とみなすより、椅子を主語とみるほうが、少なくとも日本人には理解しやすいと思います。
タイ人に聞くと「ナイホンニー」が主語だと言いますが。
日本で出ている文法書でも、たとえば「やさしいタイ語会話」(山田均)では椅子を主語として説明しています。
ケーシダは人物専用ですね。
イッスシダは敬意を表すべき人物の持ち物につかうということでしょう。
傘、おありですか?