写真:赤瀬川原平『新解さんの謎』(文藝春秋、1996年)
『三省堂国語辞典』の「視覚語」の項に、〔この辞書の用語〕とあるのを見て、『新明解国語辞典』の「恋愛」の項を思い出しました。
れんあい【恋愛】-する
特定の異性に特別の愛情をいだいて、二人だけで一緒に居たい、出来るなら合体したい、という気持を持ちながら、それが、常にはかなえられないで、ひどく心を苦しめる・(まれにかなえられて歓喜する)状態。
この語釈の中の「合体」を、同辞書で引くと、
がったい【合体】-①(略)②「性交」のこの辞書でのえんきょく表現。
となっていたのです。
『新明解国語辞典』は、恋愛の語釈を婉曲に表現するために、「合体」にこの辞書固有の語釈を加えていたのでした。
新明解の「恋愛」の語釈は、赤瀬川原平『新解さんの謎』(文藝春秋、1996年)に取り上げられて一躍有名になりました。私もこの本を通して知りました。
『新明解国語辞典』初版(1972年)は、
れんあい【恋愛】-する
一組の男女が相互に相手にひかれ、ほかの異性をさしおいて最高の存在としてとらえ、毎日会わないではいられなくなること。
と、おとなしい。
さきほどの記述が現れたのは1981年の第3版。
『新明解』は、前身の『明解国語辞典』(1943年初版、1952年改訂版)で共同の著者だった山田忠雄と見坊豪紀が辞書観の違いから決裂し、山田忠雄主幹の辞書として生まれ変わったもの。一方、見坊豪紀は『三省堂国語辞典』の主幹として、これまた個性的な国語辞典を改訂し続けます。
『新明解』の初版は1972年。第2版はその2年後の1974年の発行。最初の改訂は、発行の間隔の短さから考えて、初版の誤植訂正が主な改訂点だったと思われます(私は持っていないので確認できません)。
そして、第2版の7年後に出た第3版(1981年)で、主幹山田忠雄が主導して「語釈」を一新。先に紹介した「恋愛」の語釈がパワーアップしたのです。
『新明解』の個性的な語釈にはファンも多い一方、「やりすぎだ、主観的にすぎる」という批判もあり、山田忠雄が亡くなってから、少しトーンダウンしました。
第7版(2013年)版の「恋愛」は次のようになっています(第8版は持っていません)。
れんあい【恋愛】-する
特定の異性に対して他の全てを犠牲にしても悔い無いと思いこむような愛情をいだき、常に相手のことを思っては、二人だけでいたい、二人だけの世界を分かち合いたいと願い、それがかなえられたと言っては喜び、ちょっとでも疑念が生じれば不安になるといった状態に身を置くこと。
旧版より記述が長くなり、依然として個性的ではありますが、旧版の「出来るなら合体(性交)したい」という表現は消え、「(まれにかなえられて歓喜する)」という表現はおだやかになりました。
一方、山田と袂を分かった見坊の辞書(三省堂国語辞典第8版)の恋愛は、
れんあい【恋愛】
〔「恋」「愛」をまとめた言い方〕(おたがいに)相手を大切に思い、性的な結びつきも強めたいと思う気持ち。「恋愛感情・年上の人と恋愛する・恋愛結婚(⇔見合い結婚)・恋愛問題〔恋愛に関するいざこざ〕」注意:「二人はお互いに恋愛している」とは言うが、片思いの場合、「相手に恋愛している」とは言いにくい。その場合でも、「相手に恋愛感情を持っている」とは言える。
新明解では消えた性的内容が、三国では「性的な結びつきも強めたいと思う」という表現で復活しています。
三国の第7版に比べると、語釈も用例も充実したことがわかります。
れんあい【恋愛】
(おたがいに)恋をして、愛を感じるようになること。「恋愛感情・恋愛結婚(⇔見合い結婚)・恋愛問題〔恋愛に関するいざこざ〕」(第7版)
第8版で「 年上の人と恋愛する」という用例が追加された理由は何なんでしょうか?
新明解と三国の違いで注目すべきは、新明解が「特定の異性に対して」という表現で、恋愛を「異性愛」に限定しているのに対し、三国は「相手」というぼかした表現を使うことによって、「同性愛」をも含むことを示唆している点。
三国の、この変化は、第7版(2014年)で行われました。第6版(2008年)では、「〔男女の間で〕」というふうに、かっこつきではありますが、異性愛に限定されていたからです。
これは明らかに、性的少数者に対する意識変化を反映していると思われます。
なお、第7版になかった「エルジービーティー」(LGBT)は、第8版で新語として立項されました。
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