18世紀に入ると,アイルランドではカトリックの政治的・経済的権利がさらに奪われていった。カトリックは公職から締めだされ,教師になることを禁じられ,財産・相続についてもさまざまな規制が加えられ,その結果,カトリック地主は全体の7分の1の土地を所有するにすぎなくなくなった。
こうしてプロテスタントの地主(不在地主)とカトリックの小作人という関係が定着する。高い小作料を払う小作人は貧困化し,ジャガイモと脱脂乳を常食とした。また,イギリスと競合する商品の対英輸出が禁じられた。
18世紀後半になると,支配層のアングロ・アイリッシュ(入植したイギリス人=プロテスタント)は自治要求を行い,アイルランド議会は一時的に立法権を獲得,関税の自主権,裁判権が確立し,カトリックに対する諸制限も徐々に撤廃されていった。しかし,18世紀末に独立を求める蜂起が起き,鎮圧されたあと,1801年,議会は廃止されて,アイルランドは完全にイギリスに併合された。
そして,ここから120年に及ぶ植民地支配が始まる。
ここで,その後のアイルランドの歴史で大きな役割を果たすジャガイモについてふれておきましょう。
ジャガイモは,トウモロコシ,トマト,トウガラシ,タバコなどと並ぶ,新大陸原産の作物です。原産地のペルー高地には,たくさんの種類のジャガイモがあったようですが,この中の1種類だけが,全世界に広がりました。
1530年頃,スペインは今のペルーのあたりに栄えていたインカ帝国を滅ぼし,そこで栽培されていたジャガイモをヨーロッパに持ち帰りました。しかし,当初は食用としては普及しませんでした。その理由は二つあって,一つはジャガイモが聖書に食用の作物として出て来なかったこと(当たり前),もう一つは発芽したジャガイモを食べて当たったことから有毒な食べ物であると信じられたことです。そのため,主に鑑賞用として栽培され,中でもフランスのマリー・アントワネットはじゃがいもの花を愛でたということです。
しかし,もともと高地原産のジャガイモは,寒冷な荒れ地でも収穫でき,その収量は小麦よりもはるかに多いという長所がありました。16世紀半ば以降,ヨーロッパは小氷期に入り凶作が相次ぎました。そして絶え間ない戦乱は農地を荒廃させ,飢饉がしばしば発生しました。ジャガイモは特に北の地方で救荒食物として普及し,ドイツやスウェーデン,アイルランドといった国では,主食の準ずる食物になりました。
特にアイルランドでは,ジャガイモへの依存度が高かった。当時,アイルランドの土地はアングロ・アイリッシュまたは英国人不在地主の所有でした。小作人であったアイルランド人は,3分の2の土地を使って年貢用の小麦を栽培し,残りの3分の1の土地でジャガイモを作って自らの食糧としました。ジャガイモはアイルランド人の,文字通り主食だったのです。
そして,このジャガイモの導入によって,アイルランドの人口は60年間で倍増するという恩恵をもたらしたと同時に,それに続く悲劇を準備しました。
こうしてプロテスタントの地主(不在地主)とカトリックの小作人という関係が定着する。高い小作料を払う小作人は貧困化し,ジャガイモと脱脂乳を常食とした。また,イギリスと競合する商品の対英輸出が禁じられた。
18世紀後半になると,支配層のアングロ・アイリッシュ(入植したイギリス人=プロテスタント)は自治要求を行い,アイルランド議会は一時的に立法権を獲得,関税の自主権,裁判権が確立し,カトリックに対する諸制限も徐々に撤廃されていった。しかし,18世紀末に独立を求める蜂起が起き,鎮圧されたあと,1801年,議会は廃止されて,アイルランドは完全にイギリスに併合された。
そして,ここから120年に及ぶ植民地支配が始まる。
ここで,その後のアイルランドの歴史で大きな役割を果たすジャガイモについてふれておきましょう。
ジャガイモは,トウモロコシ,トマト,トウガラシ,タバコなどと並ぶ,新大陸原産の作物です。原産地のペルー高地には,たくさんの種類のジャガイモがあったようですが,この中の1種類だけが,全世界に広がりました。
1530年頃,スペインは今のペルーのあたりに栄えていたインカ帝国を滅ぼし,そこで栽培されていたジャガイモをヨーロッパに持ち帰りました。しかし,当初は食用としては普及しませんでした。その理由は二つあって,一つはジャガイモが聖書に食用の作物として出て来なかったこと(当たり前),もう一つは発芽したジャガイモを食べて当たったことから有毒な食べ物であると信じられたことです。そのため,主に鑑賞用として栽培され,中でもフランスのマリー・アントワネットはじゃがいもの花を愛でたということです。
しかし,もともと高地原産のジャガイモは,寒冷な荒れ地でも収穫でき,その収量は小麦よりもはるかに多いという長所がありました。16世紀半ば以降,ヨーロッパは小氷期に入り凶作が相次ぎました。そして絶え間ない戦乱は農地を荒廃させ,飢饉がしばしば発生しました。ジャガイモは特に北の地方で救荒食物として普及し,ドイツやスウェーデン,アイルランドといった国では,主食の準ずる食物になりました。
特にアイルランドでは,ジャガイモへの依存度が高かった。当時,アイルランドの土地はアングロ・アイリッシュまたは英国人不在地主の所有でした。小作人であったアイルランド人は,3分の2の土地を使って年貢用の小麦を栽培し,残りの3分の1の土地でジャガイモを作って自らの食糧としました。ジャガイモはアイルランド人の,文字通り主食だったのです。
そして,このジャガイモの導入によって,アイルランドの人口は60年間で倍増するという恩恵をもたらしたと同時に,それに続く悲劇を準備しました。
現地諜報員です。リニューアルおめでとうございます。
これからも、勉強させてください。
ジャガイモもそうですが、様々な野菜が新大陸からヨーロッパに、そしてヨーロッパを経由して世界にもたらされましたね。
中国や日本では良質たんぱく質の補給源として大豆がありましたが、ヨーロッパは土質の関係などから、大豆が育たないそうですね。
(今でも、そもそも根粒菌がまった活きられないようですね。)
そうなるとイモがなかったら、ヨーロッパがこのように人口が増えることは容易なことではなかったでしょうね。
PS
先日 犬鍋先輩のサイトで知り一度いってみたいと思っていた。カリボンにいってきました。
今丹飯店で、、、ヤンコッチ、乾豆腐の炒め物、チンタオビール、、、すべて美味しかったです。
相当、、、食べて飲んで、一人頭の勘定が20000Wちょっとだったのはたまげました。
そうだったんですか。そういえば,フランス料理にあまり使われていないか。
>カリボン
カリボンは私が住んでいたところからちょっと遠いので,新村や東大門で羊串焼きの店を見つけてから,足が遠のきましたが,街の雰囲気が一種独特ですね。
またいつか行きたいと思います。
>街の雰囲気が一種独特ですね。
おっしゃるとおりです。
アジの開きのように真っ二つにされて並べられているワンワンや、見たこともない野菜、薄暗い路地、めったやたらと目つきの悪いグループ。。。
ソウルではあまり見かけない種類の町の雰囲気でした。
家族を連れて行くときは、新村や東大門のほうがいいかもしれませんね。
新大久保の店にときどき行きますが,池袋にも一軒できたので,今度行こうと思っています。