日本軍の慰安所制度は女性の人権を侵す非人道的な犯罪であり,日本の政治家がそれを否認するのは遺憾である。しかし,度をすぎた憤りの感情に流されると真実を見誤る。
歴史教科書には慰安婦と挺身隊を同一視しているが,これは別個のものである。勤労奉仕としての「挺身隊」は,朝鮮半島において二千名程度と推定される。
挺身隊と慰安婦の混同は,1960年代までなかった。挺身隊を慰安婦として描写し始めた最初の小説は,金廷漢の『修羅道』である。
小説の中で,「赤紙」によって徴用された「女子挺身隊員」が,「軍慰安婦」にされる様子が描かれる。しかし,「女子挺身隊」は令状によって徴用されたことがなく,赤紙はいうまでもなく「徴兵」である。金廷漢は「赤紙が徴兵に使われたこと」「女たちが挺身隊として出ていったこと」「慰安婦として連れて行かれた女たちがいたこと」という,場所や時間を異にする3つの事柄を,1969年に「一つにまとめた」。
こうして「女子挺身隊員! 日本兵の慰安婦!」という歴史的な「事実」が生まれたのである。
いままで約175人の女性が慰安婦としての不幸な過去を告白したが,「挺身隊として動員された」と証言した人はいない。さまざまな研究者が「挺身隊=慰安婦」を証明しようとしたが成功しなかった。別個のものだったからである。
著者は,日本の藤永壮氏の論文「上海の日本軍慰安所と朝鮮人」ほか,慰安婦を利用した朝鮮人の証言などから,慰安所に朝鮮人の経営者もいたこと,大金をかせいだ慰安婦がそれほど稀ではなかったこと,契約期間を終え帰国したものがいたことなど,これまで韓国では伏せられていた事実を紹介しています。
また,当時の小説を引用し,女衒が慰安婦の集団を率いていく情景は,「見慣れたもの」であり,「とりたてて変わったことではなかった」ことを指摘します。
続いて,著者は,慰安婦問題を世界史的に展望します。人類の長い歴史の中で,戦争が起こるたびに女性が凌辱を受けてきたこと,赤軍によるベルリン女性の強姦,ベトナム,コンゴ,バングラデシュ,ウガンダ,ユーゴスラビアの例。日本軍として戦争を戦った朝鮮人による中国女性強姦の証言,朝鮮戦争時に韓国内に設けられた慰安所を利用した兵士はのべ20万人以上であったこと,アメリカ兵もおおいに利用したこと。駐留米軍の振る舞い,基地村…。
朝鮮時代から相当な程度で売春業が発展しており,国家が公式に運営したキーセンという性奴隷制度もあった。ソウルには単身で上京してくる官僚たちのための妾市場が発達していた。
慰安婦の総数は2万から20万まで諸説あるが,その8~9割が朝鮮人だったということはありえない。強制連行を証言した吉田清治の告白は嘘であったことが明らかになっている。日本人もかなりおり,最も多かったのは中国人だった。
本書に述べられているさまざまな内容からみて,日本で最も詳しい研究書である秦郁彦氏の『戦場の性』(→リンク)を参考にしたことは明らかですが,慰安婦総数とその内訳についてはやや異なるニュアンスで紹介されています。
秦説は,総数2万人,内訳は日本人4割,現地人(中国など)3割,朝鮮人2割,その他1割としており,「日本人が最も多かった」とみています。
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聞いた事がないもので!( ̄▽ ̄σ)σ
慰安所での妊娠はありえないのでは?
八万キロの戦争 語り部が伝える真実
教養文庫 片山正年著
(筆者は広東→ノモンハン→マレー→ガダルカナル→千島と各地を転戦総距離8万キロに及ぶ戦争を経験された方です。その中でほんの一箇所下記のような記述がありました。昭和17年パラオでの記述(P112,113))
引用開始------
綾戸山丸がパラオを出て判ったんですが、いつの間にか二等航海士室に若い女性が二十人ばかり乗っていたんです。みんな二十歳前後の初々しい娘さんでした。女たちは一様に押し黙って、伏目がちでした。
そのとき「梨花女子大学の生徒だ」という一人の女が、「『従軍看護婦に志願しろ』と言われて、信頼して船に乗り込んだら、『お前たちは、最前線におる兵隊にサービスして士気を鼓舞する役目だ』と言われた」
というんです。
あの時、なんとかいう伍長がいて、船室の方へ行ったら、女がね「自分を抱いてくれ」って言ったというんですね。「そんなことできないよ」って、そりゃ言ったちゅうんですよ。
「でも、私たちは、どうせ訳もわからない人に抱かれるよりは、あなたに抱かれて、それがずーっと想い出になるなら・・・」って言われて。
伍長は”オレは抱いた”って言わないけど、私にそういう風な話をして・・・・・・ほとんどが朝鮮の大学生だったようですね。。
女たちは、ラバウルに着いたとき、全員降ろされました。
引用終了------
まぁ、こういった場所で語られる、お涙頂戴話にまんまとだまされたのか(チップもさぞやはずんだことでしょう。)、本当にこのように可愛そうな女性がいたのか?
今となっては(当時もでしょうが)、真偽を確かめることもできませんし、あくまで当時から、そのように話をしていた女性がいたというひとつの証言です。
やむにやまれぬ事情で、意に沿わぬ?仕事に身をやつす、もしくは意に沿わぬ結婚を忍ぶ、という話、こちらの国の皆さんは好きですね。
古くは、「沈清伝」、新しくは「私の名前はキムサムスン」、あ、「宮(グン)」も同じですね。「沈清伝」の「孝」については本当に美談と思いますが、新しいほうの二つについては、女性の割り切りの見事さと、したたかさには感心さざるを得ません。
並みの男であれば、コロコロっと、、、
すみません。品のない話になってしまいました。
あるサイトで見つけた小野田さんの証言です。
またすこし違った角度で語られています。
http://www4.airnet.ne.jp/kawamura/enigma/2005/2005-01-16-onoda_ianhunoshoutai.html
犬鍋先輩のサイトで紹介済みでしたら、なにとぞお許しください。
「なかったことの証明」は難しいですが,なかなか考えにくいですね。
大学を通じて集団募集したんなら,大学に記録が残っているはずでしょう。
そもそもそんなふうに騙さなくても,「慰安婦志願者/親による人身売買」がたくさんいたでしょうから。
小野田さんの記事は未紹介です。内容に説得力がありますね。
活字になると、事実になると信じているようじゃ、とても記者は勤まらないと思いました。
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2012/09/09/2012090900199.html
肩書は朝鮮日報の記事企画エディター。水準の低さにあきれてしまいます。