昨年の大みそかは、娘や孫たちが来ていていろんなおもちゃやゲームをするのに忙しく、テレビをいっさいつけませんでした。
考えてみると、これはとても珍しいことかもしれません。
かつて、大みそかと言えば家族そろってNHKの紅白歌合戦を観たものでした。
私は子どものころから歌謡曲(古い? ポップスというべきか)にあまり興味がありませんでしたが、大晦日だけは別でした。
ソウル駐在中も、韓国で観られる日本のテレビ番組は限られていましたから、年末年始に一時帰国をしない年は、やはり子どもたちと一緒に紅白を観ました。
帰国後、チャンネルの主導権は娘たちにありました。いつのころからか、紅白は、娘たちが好きな歌手のところだけみて、あとは裏番組というふうに変わっていったように思います。
紅白は今でもやっていて、ビデオリサーチによると、今回の世帯視聴率は35.3%で歴代ワースト2だそうです。かつては80%をこえることもあったのに。
娘たちのうち、長女は岩手県で育児中心の生活をしており、テレビは子どもに悪影響を与えるという信念を持つようになったようで、持っていたテレビは片付けて、ふだんはいっさいテレビを観ない生活を送っているそうです。
四女は結婚して昨年独立しましたが、家財道具をそろえるとき、テレビを買わなかった。ニュースはネットで観て、映画やドラマもパソコンの大型モニターで観ているようです。
1990年に秋篠宮が紀子様と結婚したとき、紀子様の実家(川嶋家)にはテレビがない、ということを聞いてびっくりしたものですが、今やテレビを持たない家庭も増えているようです。
私が子どもの頃、電気洗濯機、電気冷蔵庫、白黒テレビが三種の神器と言われました。
三種の神器とは、天皇家に伝わる三つの宝物(鏡、剣、勾玉)のこと。
1960年の普及率は洗濯機(40%)、冷蔵庫(10%)、白黒テレビ(50%)だったものが、1970年にはすべてほぼ100%に。テレビはカラーになりました。
出典:厚生労働省
私が生まれたとき(1961年)、7人家族で白黒テレビが1台ありました。いつ買ったのか、わかりませんが、1958年の皇太子ご成婚でテレビが一気に普及したといいますから、わが家もそれがきっかけだったかもしれません。
その後、祖父母が自室にソニーのトリニトロンを購入。さらに父母、伯母が新たにカラーテレビを買って、一家に4台テレビがあるなんてこともありました。
ラジオはというと…。
終戦の玉音放送は、ラジオ(ラヂオ?)で行われました。
新聞よりも速報性があるし、野球や相撲、プロレスなどの実況で、ラジオも普及しましたが、その後テレビにとってかわられました。
単体のラジオは、祖父母の部屋にあったように思いますが、自分が使った記憶があるのはカセットテープレコーダーといっしょになった「ラジカセ」でした。
用途は、巨人戦のテレビ放送が試合途中で終わったときにその続きを聞く、深夜放送、FM放送の音楽のエアチェック(今、こんな言葉使うんだろうか)。それなりにテレビとは住み分けていたように思います。
私が出版社に就職したとき、役員の一人は大映の出身でした。テレビの普及で映画会社が斜陽となり、転職したという話をしていました。テレビに押されて映画はなくなると言われたこともありましたが、生き残りましたね。
新たなメディアの登場で旧来のメディアは大きな影響を受けますが、位置づけを変えながら、生き残っていくことが多いようです。
スマホやタブレットが普及しても、テレビがなくなることはないでしょう。
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