これを書いた朴さんは、どんな人だったんでしょう。
朴さんは1905年生まれということですから、日韓併合の少し前。日本の植民地下で教育を受けたと思われます。日記は国漢混用文(=ハングル漢字混じり文)で書かれ、地名や外来語などは日本のカタカナが使われています。
以前の新聞報道で、日記の原文を写真で掲載されていましたが、それを見るとかなりの達筆。文体は、いわゆる漢文の書き下し文のようでした。たとえば「食べる」ことをふつうの韓国語では「モクタ」と言いますが、日記では「シクハダ(食する)」と書いたりしています。
もしかすると、日本が作った新制学校ではなく、書堂(日本の寺子屋)、書院といった儒学系の教育機関で漢文教育を受けたのかもしれません。ただ、日韓併合後30年以上経った1942年時点で、朴さんは完全に皇国臣民になりきっており、日記の随所に皇室の末永き繁栄を祝ったり、皇軍の武運を祈ったりする記述が出てきます。
朴さんの家族関係を、日記からわかる範囲で書くと、ビルマに来たとき(1942年)、朴さんは数えで39歳。故郷の大邱には両親と兄弟、妻と二人の子ども(娘と息子)がいます。韓国の新聞の紹介では慶尚南道出身となっていましたから、出身地は大邱(慶尚北道)ではないのかもしれません。
そして、日記の記述が始まっている1943年の初め、朴さんは奥さんの弟といっしょに慰安所を経営しています。日本語版では「妻の弟」と訳されていますが、韓国語では妻の兄弟を言い分けないので兄かもしれません。経営者が朴さんだったのか、妻の弟のほうだったのかははっきりしていませんが、日記の最初のほうで、妻の弟の許可をもらってラングーンに行き、弟にあずかったお金を送金したりしているので、経営者は妻の弟のほうで、朴さんは主に帳場の仕事をまかされていただけかもしれません。アキャブの慰安所では、もう一人、新井○桓という男性がいますが、この人も遠縁の親戚か何かでしょう。
朴さんは、アキャブを離れた後、ラングーンとシンガポールに行き、それぞれ別の慰安所でも働いていましたが、ここでは日記の記述から、友人が経営する慰安所の帳場の仕事をやっていた、いわば従業員だったようです。
性格はきわめて几帳面。なにしろ1942年と43年の2年間、日記を一日も欠かさずつけているのですから。
日付以外に天気が必ず記録されているのは、朝鮮にいたときからの習慣でしょう。アキャブでは最高気温、最低気温も書かれていますが、ラングーン以降それがなくなったのは手近なところに寒暖計がなかったからか。
日記に天気を記すというのは、世界的には珍しいという話を聞いたことがありますが、雨季と乾期しかない地域では、数か月間連日晴天だったり、長雨が続いたりするので、毎日天気を書く意味がないんだそうです。日本(や朝鮮)で日記に天気を記録するのは、四季折々、天気に多様性があるからかもしれません。
日記の天気を追っていくと、アキャブではずっと晴天が続き、ラングーンでは途中で雨季に入ったようで雨天の連続です。こんな気候の地域で、よく毎日天気を記録し続けたなあと感心します。いっぽうシンガポールでは天気が変わりやすく、天気の記述の仕方も複雑になります。たとえば1944年8月9日水曜日の天気は、
朝暴雨後曇晴天
暴雨というのは朝鮮語風の漢字語。日本語なら豪雨でしょう。朝のうちは豪雨だったがのち曇りになり最後は晴れ上がったということなのでしょう。こんなふうに一日の天候を細かく記すところにも、著者の几帳面な性格が表れています。
日記の内容は、その日の行動の記録を簡潔に記したもの。おもしろいのは、必ず「どこで起きたか」と「何時に寝たか」が記されている点。
たとえば、1943年6月24日は、
朝、インセン(町の名前)の宿舎で起き、村山氏宅で朝飯を食べた。終日村山氏の慰安所で帳場の仕事をし、夜1時頃に宿舎で寝た。
昼御飯を食べた記録はまったくないので、一日二食の生活をしていたのだと思われます。また、「朝食を食べ」とか「夕食を食べ」という記述はあっても、何を食べたかは書かれていない。2年間に食べたものがわかるのは3回だけ。一回は、ラングーン近郊のペグー(現在のバゴー)で茹で鶏。もう一回はビルマからシンガポールに向かう船の上で釣った魚を刺身で、最後は、シンガポールでプルコギ。
毎日代わり映えのしない食生活を送っていたからか、そもそも食にあまり興味がなかったのか。
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