犬鍋のヨロマル漫談

ヨロマルとは韓国語で諸言語の意。日本語、韓国語、英語、ロシア語などの言葉と酒・食・歴史にまつわるエッセー。

少林寺拳法の起源

2008-05-06 01:18:56 | 日々の暮らし(帰任以後、~2015.4)
 長女がやっている少林寺拳法の関東大会が武道館であり,見に行きました。

 これまで話にだけは聞いていましたが,実際に見るのはこれが初めて。

 関東繚乱というのは大会の名称か?

 娘は高校時代,グランドホッケーで全国大会に出ました。大学にはホッケー部がないので,少林寺拳法を始め,一年で黒帯をとりました。

 競技には二種類あって,対戦するのは「運用」。
「組演武」というのはペアで行う競技。3人の審査員が得点をつける。

 人数の都合で「二段以上の部」に出た長女。ていねいにこなしていましたが,やはり技の切れ,スピードの面で,素人目にも見劣りがする。12ペアの中上位6ペアが本選に進むところ,残念ながら予選落ちでした。

 実は私は中学高校時代に剣道をしていました。それで長女が少林寺拳法をやるといったとき,

「なんで中国の武術なんかやるの?」

と聞くと,

「いやだ,お父さん。少林寺拳法は日本の武道よ」

(えっ? 「拳法」って中国ぽくない?)

 会社の同僚の中国人に

「少林寺拳法って日本のものらしいね?」

「何言ってるんですか。中国のものに決まっているでしょう。だいいち少林寺は中国にある寺ですよ」

(???)

 剣道は韓国起源だなんて言う韓国人のたわごとに腹を立てていたけれど,日本人も同じようなことやっていたわけか…。

 しかし,娘は自信をもって言っていたし,釈然としないのでウィッキってみると…。(以下コピペ)


 少林寺拳法とは太平洋戦争直後の1947年10月、満州から帰国した宗道臣が日本で創始した禅の精神修養と護身を旨とする拳法の流派および宗教団体。日本九大武道(柔道、剣道、居合道、銃剣道、弓道、相撲、合気道、空手道、少林寺拳法)のひとつ。

 明治44年生まれの宗道臣は、昭和初期に「日本民族発展の捨石になろう」という理由で、中国大陸に渡り、陸軍の特務工作員の仕事をしながら、仕事に必要な教育を受ける為に道教の十方叢林(宗教専門学校)に連れて行かれて、陳良という中国人の老師に身柄を預けられて、そのまま弟子になった。陳良老師は,1900年前後に興った義和団事件の生き残りの中国拳法の達人で、その老師に少しずつ拳法の技を学んでいったという。その渦中に、ある任務の為に中国の満州を大旅行する事になり、その際に義和団事件の生き残りの拳法家達に拳法の技術を少しずつ学んでいったという。その中の一人が、陳良老師の師匠であり、北少林義和門拳二十代師父の文太宗老師で、文老師の下で修行を積んだ宗道臣は、その技の全てを習得、昭和11年祖師達磨大師のゆかりの地・嵩山少林寺で義和門拳の法脈継承の儀式を行った。
 そして、終戦の年の昭和20年8月9日当時の満州で、ソ連軍の攻撃に遭遇、それからの約一年間をソ連軍軍政下の満州にて生活する事になる。その生活の中で法律や政治のあり方は、その立場に立つ人の人格や考え方によって大きな差が出る事を発見し、「人、人、人、全ては人の質にある」という事を悟ったという。もし、生きて日本に帰る事が出来れば、私学校を開いて、青少年を集め、道を説いて、勇気と自信と行動力と正義感と慈悲心に満ち溢れた、強くて、優しくて、正しい若者を多く育てたいと念願するようになったという。
 
しかし、実際に帰国してみると、祖国は道義も秩序も無い弱肉強食の修羅場のような状況で、特に次代を担う青少年の荒廃は目を覆うばかりだったという。「これではいけない、これからの半生を骨のある青少年の育成に捧げよう」と決心し、四国の香川県・多度津町にて主として釈尊の正統仏教の教えを説きながら、人作りの重要性を訴えたが、中々人々はついてきてくれなかった。肝心の若者達も同じで、ほとんどは長続きはしなかったという。そんな状態で思い悩んでいた時に、歴史上の人物で、中国・河南省・嵩山少林寺に座禅行と易筋行を伝えたとされる菩提達磨の夢を見て、そこからはっと閃くものがあった。「そうか、はるばるインドから中国に正統仏教を伝える為に渡った達磨が、この行を弟子達に学ばせたその故事に倣って、今こそその達磨の行動を日本に再現させよう」と思い立ち、その為に人集めの手段として、餌として、少林寺拳法を開創する事を思い立ったという。これを長期間に渡って教えながら、道を説けば、必ず次代を担う青少年に不屈の精神力と、金剛の肉体とを合わせ持ち、その上で自信と勇気と行動力を与える事が出来ると確信したという。
 こうして、釈尊の自己確立・自他共楽の教えを「力愛不二・拳禅一如」の法門として編成し、中国で学んだ各種の拳法を再編整理して、理論の裏付けを行い、さらには戦中・戦後を通しての貴重な白兵戦の体験と創案を加えて、宗門の行としての形を整えた。こうして少林寺拳法が開創されて、その拳法の修行の合間、合間に口が酸っぱくなるほど、釈尊の教えを中心に祖国愛や民族愛等の人生観・世界観を当時の青少年達に説き続けたという。(以下略)

 どうやら娘の言う通り。起源を詐称したわけではなかったようでほっとしました。

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11 コメント

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Unknown (txm)
2008-05-06 09:49:30
少林寺拳法と言えば日本のもので、少林拳と言えば中国のものって感じですかね。中国人の同僚さんは勘違いされているんでしょう。

でも、少林寺拳法が純粋に日本のものかって言えば、かなりの部分ベースが中国武術なので、どうでしょう。ブラジリアン柔術を純粋にブラジルのものかっていうと、違和感があるのと同じ。まあとにかく、宗道臣は天才であったと思います。中国武術、日本古武道、その他のよいとこどりをして、さらにそれを禅に結びつけました。
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そうですね (犬鍋)
2008-05-08 00:09:29
少林寺拳法の起源は,中国武術なんでしょう。

「中国の少林拳の起源は,日本の少林寺拳法だ」と言わないところが,コムド/剣道との違い。
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Unknown (Unknown)
2008-05-24 03:04:58
いや拳士さんには可哀相だけど、日本少林寺拳法の由来話は有名な法螺噺ですよ。
開祖が学んだという門派が実在してませんので。
それに基本的な身体運用や技法や体系も、大陸のものとは掛け離れてますので。
80年代あたりから大陸側の情報が入って来るようになって、バレバレになってしまった事なのです。
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Unknown (Unknown)
2008-05-24 03:27:42
でも日本少林寺拳法そのものは決して悪いものではないと思いますよ。
開祖があれこれ学んで編み出して、それを更に沢山のお弟子さんたちが研きをかけたものですから。
現に実際に強くなっている人が沢山いるわけです。

ま、往々にして武道武術の由来話なんて箔付けで、そんなもんですから。
特に近代に入ってからのは。
合気道の源流とされる大東流の由来話なんかも結構怪しいものだったりするのです。
でもはっきりしている事は、大東流を名乗った武田師範の武技が尋常ならざるものだった事、それに多くの人が魅了された事、それは事実なのです。
日本少林寺拳法開祖もそうだったのでしょう。
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起源 (犬鍋)
2008-05-26 01:42:47
コメントありがとうございます。

韓国の族譜もそうですが,やはり自分の属している集団が長い伝統を持った由緒正しいものだと信じたいという素朴な気持ちが,起源捏造の根源にあるのでしょうね。
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空手にも (o-tsuka)
2008-07-18 15:47:41
「少林流空手」というのがあります。
こちらは「松林流」「小林流」「ショーリン流」「少林寺流」とバリエーションも豊富。

基本的には沖縄発祥の古流空手で、東洋武道発祥の地と崇められる少林寺に敬意を表してのネーミングだそうです。
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韓国ウィキペディアで (犬鍋)
2008-07-19 12:48:38
「空手」をひくと


空手とは,琉球王国が発祥の地で,拳と足による打撃技術を特徴とする武道・格闘技だ。20世紀に入って,空手は日本本土に伝わり,韓国にも伝えられたが,これはテコンドーが生まれる起源にもなった。
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少林寺拳法とは (少林寺拳法と合気道をたしなみます)
2012-08-30 23:32:00
2012年になって書き込むのも、いまさらという感じですが、気になったので。
少林寺拳法は日本で作られた武道です。
その技の多くの源流は、いわゆる柔術です(柔術にもいろいろありますが、ここでは割愛します)。合気道も柔術が元になっており、少林寺拳法と相通じる技がいくつもあります。
少林寺拳法の開祖は、日本国を非常に愛していた方で、常に日本の為に働くという意志に燃えていた方の様です。
しかし、日本が戦争に負け、開祖が支那から日本に戻ってきたら、そこには、敗戦にうちひしがれた人々がいた。特に、これからの日本を背負って立たねばならぬ若者たちの荒廃はひどいモノだった様です。そこで、最初、そこら辺を歩いている若者に片っ端から、説法をしていた様ですが、誰もまともに聞こうとしないし、相手にもされない。そこで、思いついたのが、幼い頃から習い覚えた体術を教える事です。すると、面白いように若者が寄ってくる。そして、体術の稽古の傍ら、説法をしたのが少林寺拳法の始まりです。
 少林寺という名前は、支那で少林寺で武道を稽古している様子を描いた壁画前で、開祖がインスピレーションを受けたために、少林寺の名前をつけたとあります。また、少林寺という名前が当時、えもいわれぬミステリアスなイメージを持っていたということも有るようです。
 言い方はちょっと悪いですが、とにかく人を引きつける名前は?と考えた際に、当時「少林寺」という名前が一番最適だったと開祖は考えたんだと思います。思うに、開祖は非常に目先が利いた方だったんでしょう。
現在では、「少林寺拳法」に関しては、本場支那の少林寺とは、長年の交流で信頼関係を築いており、商標権をめぐる対立はありません。韓国の日本武道の詐称とは、次元が違います。
 少林寺拳法の技は柔術が元ではありますが、開祖の創意工夫もかなり入っており、特に体系化し、システムとして運用することをまとめたという点で非常にすごいなと私は思っています。支那の武術を私は知りませんが、本などで確認する限りでは、少林寺拳法の中に、支那の武道の影響は、ほとんどないと思ってます(前足の進行にリンクさせて後ろ足も進める。というのは、支那の武術の唯一の影響部分かなと思ったりしてます)。よく混同される少林拳とは、映画などで見る限りでは、原理はともかく、見た目はまったく異なる武術と思っています。支那の人が、少林寺拳法の演武を見た感想は、「少林寺拳法は直線的過ぎる」とのことです。勁(けい)等の概念も少林寺拳法にはありません。
 名称ともかく、日本の柔術を発展させた武道ということで、新しい日本の武道の一つの形だと思います。
 したがって、日本武道競技会にも他の7武道とともに、加盟しております。(支那の武術であれば、加盟できないでしょ。おそらく)。
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ありがとうございました (犬鍋)
2012-09-02 12:28:03
詳しく解説していただいたおかげで、少林寺拳法の起源と特徴がよくわかりました。

長女がやっていたこと、演武を一度だけ見たことがあるだけで、何も知らなかったので、勉強になりました。
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Unknown (少林寺拳法と合気道をたしなみます)
2012-11-29 11:57:30
既に長女様は、卒業されたのでしょうね。社会人になるとなかなか続けられませんが、30歳になっても、40歳になってでも、また続ける事ができると思います。私も高校、大学と少林寺拳法を習い、社会人で一度離れましたが、30歳からまた習い始めました。転勤があって、40代からは合気道になりましたが、ここで初めて少林寺拳法と合気道が根を同じくする武道だと分かった次第です。
 それでは失礼します。
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