韓国語と日本語はたいへんよく似ているので,他の言語に比べると,翻訳,通訳がとてもラクなのですが,それでも外国語ですから,ピッタリした訳語が見つからないことがあります。
先日,「ありがた迷惑」をどう訳すかで,日本語のできる韓国人と議論になりました。
「どんなときに使うんですか」
「たとえば休日出勤しているとするでしょう。すると韓国の人は,よく他人のぶんまで食べ物買ってきてくれますよね」
「ええ」
「みかんなんかを1袋買ってきて,みんなに配る。で,1個じゃなくて3個もくれるわけですよ」
「そうですね。1個じゃケチくさいから,3個が基本ですね」
「これなんか,日本人にとってはありがた迷惑だなあ。3個も食べられないし,余っても持って帰るの,めんどくさいし…」
「そうなると,韓国語ではクァイン・チンジョルかな」
「過剰親切か…。ちょっと違うような」
ここで国語辞典(新明解国語辞典第4版)を調べてみます。まず「迷惑」。
めいわく:
その人のした事が元になって,相手やまわりの人がとばっちりを受けたり,いやな思いをしたりすること。
次に,「有り難い」。
ありがたい:
①めったに受けることの出来ない恩恵・好意・配慮に接して,身の幸せをしみじみと感じる様子だ。
②かけがえの無い経験をして,心から良かったと思う気持だ。
③物事が自分にとって好都合に運ばれ,うれしい気持だ。
④めったに無い啓示・加護を与えてくれ,自然に手を合わせたくなる気持だ。
新明解の面目躍如みたいな語釈ですね。で,「有難迷惑」は,
ありがためいわく:
相手が好意的にやってくれている事でも,当人にはかえって迷惑に感じられる様子。
一方,韓国語の辞書で,「過剰」は,
クァイン:
予定した数量,必要な数量を上回ること。「超過」「いきすぎ」に醇化。
日本語の「過剰」とほぼいっしょです。醇化語とは,日本語起源の言葉を言い換えたもの。「過剰」が和製漢語として認識され,言い換えが推奨されている(けれども使われ続けている)ことがわかります。
「過剰親切」は「量」を問題にしていますが,日本語の「有難迷惑」は,「量」ではなく,相手の気持ち(好意)と,受け手の気持ち(迷惑)のすれ違いがポイントでしょう。
日韓辞典には「タルガプチアヌン・チンジョル」(ありがたくない親切)というふうな説明的な語釈があり,一語で簡潔に表現することはできないようです。
先日,「ありがた迷惑」をどう訳すかで,日本語のできる韓国人と議論になりました。
「どんなときに使うんですか」
「たとえば休日出勤しているとするでしょう。すると韓国の人は,よく他人のぶんまで食べ物買ってきてくれますよね」
「ええ」
「みかんなんかを1袋買ってきて,みんなに配る。で,1個じゃなくて3個もくれるわけですよ」
「そうですね。1個じゃケチくさいから,3個が基本ですね」
「これなんか,日本人にとってはありがた迷惑だなあ。3個も食べられないし,余っても持って帰るの,めんどくさいし…」
「そうなると,韓国語ではクァイン・チンジョルかな」
「過剰親切か…。ちょっと違うような」
ここで国語辞典(新明解国語辞典第4版)を調べてみます。まず「迷惑」。
めいわく:
その人のした事が元になって,相手やまわりの人がとばっちりを受けたり,いやな思いをしたりすること。
次に,「有り難い」。
ありがたい:
①めったに受けることの出来ない恩恵・好意・配慮に接して,身の幸せをしみじみと感じる様子だ。
②かけがえの無い経験をして,心から良かったと思う気持だ。
③物事が自分にとって好都合に運ばれ,うれしい気持だ。
④めったに無い啓示・加護を与えてくれ,自然に手を合わせたくなる気持だ。
新明解の面目躍如みたいな語釈ですね。で,「有難迷惑」は,
ありがためいわく:
相手が好意的にやってくれている事でも,当人にはかえって迷惑に感じられる様子。
一方,韓国語の辞書で,「過剰」は,
クァイン:
予定した数量,必要な数量を上回ること。「超過」「いきすぎ」に醇化。
日本語の「過剰」とほぼいっしょです。醇化語とは,日本語起源の言葉を言い換えたもの。「過剰」が和製漢語として認識され,言い換えが推奨されている(けれども使われ続けている)ことがわかります。
「過剰親切」は「量」を問題にしていますが,日本語の「有難迷惑」は,「量」ではなく,相手の気持ち(好意)と,受け手の気持ち(迷惑)のすれ違いがポイントでしょう。
日韓辞典には「タルガプチアヌン・チンジョル」(ありがたくない親切)というふうな説明的な語釈があり,一語で簡潔に表現することはできないようです。
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