犬鍋のヨロマル漫談

ヨロマルとは韓国語で諸言語の意。日本語、韓国語、英語、ロシア語などの言葉と酒・食・歴史にまつわるエッセー。

任文桓②

2007-09-15 14:02:51 | 日帝時代の証言
 任文桓が京都から東京に向かおうとして1923年9月1日,突然,木造二階建てがきしみ始めた。関東大震災である。バウトクは東京行きを断念,京都のある工場で働き始める。そこにはすでに李という職工が働いていた。

 まず,職場の人の呼び名を覚えることから始まった。旦那はん,おくさん,たいしょう(長男),ぼんぼん(次男),伊藤はん,李どん,仙吉どん。かんじんのバウトクは,「にん(任)どん」は呼びにくいから「じん(仁)どん」にしなはれ,というおかみさんの一言で,「じんどん」に決まる。

「彼の故郷では約束にたがえば,姓を変えるというくらいで,改姓は犬畜生にも劣ると見られる。(略)バウトクは顔を真っ赤にして,こんな意味の抗弁を述べてみたけれども,おくさんは「旦那はんのおくさんの命令は,きくもんや」の一言でどんぴしゃりであった。以来バウトクには,このおくさんが好きになれなかった。これ即ち,虐げられた少年の,挑戦に対する応戦の激流から湧き上がる感情のしぶきである。おくさんに,軽蔑など,いささかもないことを承知しながら,このしぶきを押さえられない」

 このようにして始まった日本暮らしだが,主人の家族と従業員合わせて10人の下っぱとして,あらゆる雑用を命じられるがままにこなしつつも,意外にバウトクの精神は安定している。

「支配民族と被支配民族の対峙が,この工場にはないからだ。その証拠に,先任の李どんは,仙吉どんを完全に押さえているではないか。「仙吉,仙吉」で年は同年輩でも,余すところなくこき使っている。バウトクの故郷で,こんな生意気な鮮人が仮りにもあったら,なんらかの口実で直ちに監獄にぶち込まれよう。このような精神的満足に勇気付けられ,バウトクの両頬はりんごのようにふくれ上がり,今までの栄養不足による発育の遅れを取り返すかのように,日ごとに張り切っていった」

 その後,任文桓は新聞配達夫,人力車夫,牛乳配達夫と職を転々としながら予備校に通い,同志社中学への編入学試験に合格。ところが一学期の授業料が納められない。名前が掲示板に貼り出され,恥ずかしくて学校に行けずにいると,数日後,同胞学生が救いの手を差し伸べてくれた。バウトクの人生は,危機が訪れるたびに不思議と誰かが助けてくれる。二学期からは特待生となり授業料を免除され,また良い友や師にもめぐまれた。3年時の担任,原忠雄は特に彼に目をかけ,仕事の世話までしてくれる。医大教授の自宅の庭園と室内掃除夫である。これで,バウトクの生活は一息つく。高校入試のための時間的余裕を得ただけでなく,家の主人の紹介で後にバウトクを幾度も危機から救ってくれることになるさまざまな名士の知遇を得る。

 その後,バウトクは東京帝国大学に進み,高等文官試験合格という,日本人も羨むエリートコースをひたはしり,1935年には故国朝鮮に赴任,38年には京畿道の郡守に着任する。

「一視同仁の新付日本人というのが,日本国における彼の身分であったが,これは体制上の言い分であって,その実は鮮人(賤人に通ず)と呼ばれるのが一般に通用するものであった。鮮人の中にも金持ちはいたので,その息子達の大勢が,文明開化を慕って日本に留学した。しかし鮮人の中にはもちろん,日本人の中にも,彼のような職業に従事しながら,彼のようなエリートコースを突き抜けた若者は,彼の周囲には一人も見当たらなかった。

 新付日本人である朝鮮人のくせにこれができたのは,彼の努力もさることながら,日本人の援助によるものであった。体制にしいたげられながら,その体制に属する人達から恩顧をこうむった。こうした客観に取りまかれて,小骨を太らせた人間の日本に対する思い出と意識は,複雑にならざるを得ない。つまり愛憎がこんがらがって並存するのだ。(略)

 日本の植民地となり,大日本帝国主義の大陸前進基地の役目を果たしていた故国朝鮮に帰り,日本体制の役人になった彼は,1935年から45年までのまる10年間を,深淵の上でのブランコ乗りとして,曲芸の世界で生き抜いた。というのは,日本体制は,その限りなき膨張のために,彼の同胞である植民地人に限りない犠牲と奉仕を追求した。この追求機関に属していた彼としては,同胞と自分に対する情愛から,その政治的自由を回復するために,彼にできる限りの曲芸を演じて,追求の手をゆるめる工夫をしなければならなかったのである。」

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