犬鍋のヨロマル漫談

ヨロマルとは韓国語で諸言語の意。日本語、韓国語、英語、ロシア語などの言葉と酒・食・歴史にまつわるエッセー。

洪思翊④~武士の情け

2007-05-31 01:02:19 | 近現代史
 青山墓地の密会で何が話し合われたのか。

 そこに参加した李大永氏によれば,「全員で退学して祖国に帰ろう」という意見も出たが,結局,洪思翊の意見に従った。それは,「今は学ぶだけ学び,吸収するだけ吸収し,さらに実務を,できれば実戦も経験し,十分自信がつくまで隠忍自重し,機を見て事を計ろう」というものでした。
 留学生の中には,その後逃亡し,中国に亡命して独立軍に身を投じた者もいた。そして,洪思翊はじめ日本に残った留学生は,密かに彼らの残された家族を支援するのですね。
 それは,韓国系将校のガリ版刷り会報(発行人洪思翊)に記されています。この会報は別に地下文書ではありませんから,日本の治安当局もそれを知っていたと思われます。しかし,お咎めはなかった。

 また洪思翊の息子さんの洪国善は,父にだまって独立運動家を匿ったりもします。このときは憲兵隊が洪国善の家に踏み込み,家の中からたまたま帰郷中の洪思翊当時少将が出てきたのですごすごと引き上げた。その後はやはりお咎めなし。

 さらに,洪思翊ではありませんが,別の韓国出身士官が,独立運動家に頼まれて軍の拳銃を持ち出し,それが発覚したことも。しかし,このときも日本の指示は「事件を不問に付せ」で,その韓国出身の将校が責任を問われることはありませんでした。

 これについて不審に思った山本七平は「明治の日本人は国士を遇する道を知っていた。また情において忍びずという言葉も知っていた。日本人が道義的に堕落したのは昭和期に入ってからだ。だから当時の日本の軍人がやったことが今の日本人にはわからないのだ」という李鐘賛(陸士49期)の言葉を紹介しています。
 つまり,たとえ日本の支配下の国の独立運動支援という大きな罪であっても,祖国を憂い,そのために働こうとする国士に対しては,「武士の情け」が働いたのだと。

 洪思翊は,青山でも,日本の士官学校に残るという決断をしながら,陰で独立運動家を支援し,後に李青天(三一運動を契機に士官学校から脱走。本名池大亨)から独立軍に来ないかと再三の誘いを受けながらも,それを拒否するという決断を下しました。

 そして,この決断に対し,終戦,処刑のその時まで忠誠を誓ったわけです。

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