写真:カミュナポレオン(オークションサイトより)
1981年に発表された「成熟社会における生活の質と消費行動」というレポートに、ある調査結果が載っていました。(藤原新也『東京漂流』情報センター出版局1983年、新版新潮文庫1990年)
レポートをまとめたのは環境文化研究所。
「あなたは今、どんなものを身のまわりに持つことによって、幸福感や満足度を得ることができるか?」
対象は、東京都杉並区の典型的な中流住宅地域の主婦。
結果は、
フランスパン、ブランデー、レギュラーコーヒー、百科事典、応接セット
だったそうです。特に最初の三つが多かった。
1950~60年代の「三種の神器」(電気冷蔵庫、電気洗濯機、白黒テレビ)、1960~70年代の「新・三種の神器」(3C:カラーテレビ、カー、クーラー)に続いて、平均的な日本人が何を求めていたかがわかります。
上位の三つ(フランスパン、ブランデー、レギュラーコーヒー)は、金額的には大したことない。買うのにそんなに大きな決心はいらない金額です。
応接セットはそれなりに高いかもしれませんが、百科事典はセット販売ではなく、毎月1巻ずつ配本され、そのつど一巻分だけ払うので、たいした負担にはなりません。
「マイホーム」の中に、三種の神器、新・三種の神器という高額商品をすでに揃えた「中流家庭」は、その次の段階として、廉価だが「文化の香り」のするものを求め始めたんですね。
私の生家を振り返ると、1970年頃に家を改築した際、家のメインスペースにあった10畳ほどの和室が洋風の応接間にリフォームされ、応接3点セットが置かれました。
そのときに新しく買った洋風の大型の戸棚の下段には、刊行後間もない『平凡社世界大百科事典』が並び、上段にはサイフォン式のコーヒーセット、手動式コーヒーミル、ノリタケのコーヒーカップがありました。数年後、兄が初めてのヨーロッパ旅行で買ってきた、「カミュナポレオン 砲台」がここに加わります。
家族7人のうち、3人までが「総入れ歯」だった関係で、あの堅いフランスパンが食卓にのぼることはありませんでした。
さきほどのリストの品々がほぼ勢揃いしているので、『東京漂流』を読んだとき、吹き出しそうになりました。
「百科事典」は当時、流行りだったようです。ブリタニカ国際百科事典(英国ブリタニカの翻訳版)、小学館の日本百科全書(ニッポニカ)、そして平凡社の世界大百科事典が、競うように刊行されました。
「一家に1セット百科事典」といわれ、買わないと中流階級ではなくなるという強迫観念で買ったものの、百科事典を引くなどということは滅多にありませんでした。
購入後、10年ぐらいして、ある項目を調べたら載っていない。落丁があったのです。その巻だけ平凡社に送って、交換してもらいましたが、10年間落丁に気づかなかったというのは、百科事典をいかに使っていなかったかの証拠です。
カミュナポレオンは久しく「飾られて」いましたが、私が成人した後に飲んでみると、コルクの蓋は瓶に癒着して、ブランデーの風味も相当劣化していました。
フランスパン、ブランデー、レギュラーコーヒー、百科事典、応接セット…
これらは「実用品」としてより、中流家庭を象徴する「記号」として消費されていたんでしょう。哲学者ボードリヤールのいう「記号の消費」ですね。
「一家に1セット百科事典」といわれ、買わないと中流階級ではなくなるという強迫観念で買ったものの、百科事典を引くなどということは滅多にありませんでした。
購入後、10年ぐらいして、ある項目を調べたら載っていない。落丁があったのです。その巻だけ平凡社に送って、交換してもらいましたが、10年間落丁に気づかなかったというのは、百科事典をいかに使っていなかったかの証拠です。
カミュナポレオンは久しく「飾られて」いましたが、私が成人した後に飲んでみると、コルクの蓋は瓶に癒着して、ブランデーの風味も相当劣化していました。
フランスパン、ブランデー、レギュラーコーヒー、百科事典、応接セット…
これらは「実用品」としてより、中流家庭を象徴する「記号」として消費されていたんでしょう。哲学者ボードリヤールのいう「記号の消費」ですね。
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