少し前に「本音と建前」という記事をアップしました。
本音と建前①
ウィキペディアには、「本音と建前」は、「日本的価値観に固有」で、「英語をはじめとする諸言語でも、しばしば『Honne and tatemae』と表現される」と書かれています。
30年ぐらい前に、私が雇用した韓国人アルバイトから、
「日本に来て驚いたのは、日本人には『本音と建前』があるということだ」
と言われました。その韓国人は、韓国で日本文学を専攻し、日本に留学して大学院で学んでいました。日本語能力試験1級に合格し、日本語はペラペラでした。
「日本人の友だちから、「今度ぜひ家に遊びに来てください」と言われたので、うれしくて、本当に訪ねて行ったら、迷惑そうにされた。韓国人は、そのつもりがないなら、そんなことは言いません」
これが、日本人の本音と建前の例でした。
最近もある韓国人のブログで、本音と建前を説明した記事を読みました。(リンク)
そして、そこにはあるYoutubeの動画がリンクされていました。
とても面白い動画で、中には上とそっくりのケースがありました。ちょっと寄った知り合いに、家に上がってほしくないのに、「どうぞ、どうぞ」と言うんですね。
なお、ブログは韓国人のものですが、引用された動画の作成者は韓国人ではなく、ブラジル人の父と日本人の母をもつ日本人で、日本生まれ日本育ちだそうです。
「日本人あるある」ですけど、はたして、これが「本音と建前」の例として適切かどうか。
韓国語で「本音と建前」は、속마음과 겉(本心とみかけ)、 겉과 속(表と裏)などと訳されます。
韓国語でも、「裏表のある人」というのは、日本語同様、悪口です。
でも、「本音と建前」を「裏と表」と訳すのは正確ではない。
本音と建前は、前の記事で辞書を引用した通り、
本音:本心から出たことば。「本音をはく」
本音と建前①
ウィキペディアには、「本音と建前」は、「日本的価値観に固有」で、「英語をはじめとする諸言語でも、しばしば『Honne and tatemae』と表現される」と書かれています。
30年ぐらい前に、私が雇用した韓国人アルバイトから、
「日本に来て驚いたのは、日本人には『本音と建前』があるということだ」
と言われました。その韓国人は、韓国で日本文学を専攻し、日本に留学して大学院で学んでいました。日本語能力試験1級に合格し、日本語はペラペラでした。
「日本人の友だちから、「今度ぜひ家に遊びに来てください」と言われたので、うれしくて、本当に訪ねて行ったら、迷惑そうにされた。韓国人は、そのつもりがないなら、そんなことは言いません」
これが、日本人の本音と建前の例でした。
最近もある韓国人のブログで、本音と建前を説明した記事を読みました。(リンク)
そして、そこにはあるYoutubeの動画がリンクされていました。
とても面白い動画で、中には上とそっくりのケースがありました。ちょっと寄った知り合いに、家に上がってほしくないのに、「どうぞ、どうぞ」と言うんですね。
なお、ブログは韓国人のものですが、引用された動画の作成者は韓国人ではなく、ブラジル人の父と日本人の母をもつ日本人で、日本生まれ日本育ちだそうです。
「日本人あるある」ですけど、はたして、これが「本音と建前」の例として適切かどうか。
韓国語で「本音と建前」は、속마음과 겉(本心とみかけ)、 겉과 속(表と裏)などと訳されます。
韓国語でも、「裏表のある人」というのは、日本語同様、悪口です。
でも、「本音と建前」を「裏と表」と訳すのは正確ではない。
本音と建前は、前の記事で辞書を引用した通り、
本音:本心から出たことば。「本音をはく」
建て前:表向きの主義・方針。「本音と建て前は別だ」
(三省堂国語辞典)
です。
先の例(動画の中の例も含め)は、建前(表向きの主義・方針)ではなく、むしろ社交辞令というほうがぴったりきます。
社交辞令:社交のための(まともに受け取られると困るような)あいそのいいことば。外交辞令。例、「〔引っ越しの通知で〕近くにお越しの際は、ぜひお立ち寄りください」など。
(同)
社交辞令が、諸外国に比べて日本で「発達」しているとは言えるかもしれません。
ただ、これは「本心を隠して嘘をついている」というより、つきあいを円滑にするための約束事みたいなものですから、それなりの役割があると思います。外国人の場合、慣れていないので「まともに受け取って」不愉快な思いをすることがあるんでしょう。
高校の国語の教科書などにもよく載っている『「甘え」の構造』の著者、土居健郎は『表と裏』という本も書いていますが、その中に「本音と建前」という章があります。
そこには建前の用例として、
「本校は全寮制が建前である」
「男女平等の建前を通す」
「日本は建前として戦力を保持できないことになっている」
があがっていますが、いずれも「取り決めによって作られるもの」で、辞書の定義「表向きの主義・方針」に合っています。
これは別に日本人に特有のものではないでしょう。
以前、飛行機の中で見たアメリカ映画(たぶん「しあわせの隠れ場所」)で、黒人差別について建前を述べ立てる白人女性が出てきました。
韓国でも、テレビの街頭インタビューで、「日本製品不買運動に賛成」などと答えながら、私生活ではレクサスに乗ったり、ユニクロで買い物したり、日本のビールを飲みたがったりする人は多い。これなんか、典型的な本音と建前でしょう。
韓国人が、「日本人には裏表がある」というときに引き合いに出すのが、たとえば、日本の政治家が植民地統治期の出来事(慰安婦など)について謝罪するケースです。
(きっと、心の中では悪かったなんて思っていないのだろう)
それで、何度謝罪しても受け入れてもらえないわけです。
その逆に、韓国人の被害当事者は、
「お金の問題じゃない、誠意のこもった謝罪がほしい」
と言ったりしますが、あまりにもしつこいところを見ると、
(心の中ではお金がほしいと思っているんだろう)
と邪推したくもなります。
日本人と韓国人に限って言えば、「社交辞令」は日本人に多いかもしれないけれど、「本音と建前」があるという点では、韓国人にもあり、日本人のほうがその傾向が強いとは必ずしもいえない、というのが私の考えです。
です。
先の例(動画の中の例も含め)は、建前(表向きの主義・方針)ではなく、むしろ社交辞令というほうがぴったりきます。
社交辞令:社交のための(まともに受け取られると困るような)あいそのいいことば。外交辞令。例、「〔引っ越しの通知で〕近くにお越しの際は、ぜひお立ち寄りください」など。
(同)
社交辞令が、諸外国に比べて日本で「発達」しているとは言えるかもしれません。
ただ、これは「本心を隠して嘘をついている」というより、つきあいを円滑にするための約束事みたいなものですから、それなりの役割があると思います。外国人の場合、慣れていないので「まともに受け取って」不愉快な思いをすることがあるんでしょう。
高校の国語の教科書などにもよく載っている『「甘え」の構造』の著者、土居健郎は『表と裏』という本も書いていますが、その中に「本音と建前」という章があります。
そこには建前の用例として、
「本校は全寮制が建前である」
「男女平等の建前を通す」
「日本は建前として戦力を保持できないことになっている」
があがっていますが、いずれも「取り決めによって作られるもの」で、辞書の定義「表向きの主義・方針」に合っています。
これは別に日本人に特有のものではないでしょう。
以前、飛行機の中で見たアメリカ映画(たぶん「しあわせの隠れ場所」)で、黒人差別について建前を述べ立てる白人女性が出てきました。
韓国でも、テレビの街頭インタビューで、「日本製品不買運動に賛成」などと答えながら、私生活ではレクサスに乗ったり、ユニクロで買い物したり、日本のビールを飲みたがったりする人は多い。これなんか、典型的な本音と建前でしょう。
韓国人が、「日本人には裏表がある」というときに引き合いに出すのが、たとえば、日本の政治家が植民地統治期の出来事(慰安婦など)について謝罪するケースです。
(きっと、心の中では悪かったなんて思っていないのだろう)
それで、何度謝罪しても受け入れてもらえないわけです。
その逆に、韓国人の被害当事者は、
「お金の問題じゃない、誠意のこもった謝罪がほしい」
と言ったりしますが、あまりにもしつこいところを見ると、
(心の中ではお金がほしいと思っているんだろう)
と邪推したくもなります。
日本人と韓国人に限って言えば、「社交辞令」は日本人に多いかもしれないけれど、「本音と建前」があるという点では、韓国人にもあり、日本人のほうがその傾向が強いとは必ずしもいえない、というのが私の考えです。
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