ソウルから帰国したあと,中二日おいて,こんどはスペインに出張です。前に行ったのは1981年。実に,28年ぶりの再訪ということになります。
仏文科の学生だった私は,フランスで二カ月間語学学校に通い,そのあと3週間かけてヨーロッパをぐるりと回ったのです。当時,ユーレールパスというのがあって(今もあるのかな?),一カ月間,ヨーロッパ西側諸国の一等車が乗り放題。できるだけたくさんの国に行こうと欲張った結果,それぞれの国に2~3泊という駆け足の旅になりました。
スペインへは,パリから夜行列車でマドリードに入り,次の夜は再び夜行列車でバルセロナへ向かうという強行軍でした。
マドリード訪問のほとんど唯一の目的はプラド美術館。リュックサック一つかついで駅からそのまま美術館へ行くと,バッグは館内に持ち込めないという。普通なら入口で預かってくれるのですが,折悪しくそのころエタ(ETA,バスク民族組織)による爆弾テロがあったらしく,預かってくれない。コインロッカーも同じ理由で使用禁止。
(どうすればいいんだ?)
リュックを背に途方にくれていたとき,一軒のおみやげ物屋さんが目についた。日本人観光客を相手にしているらしく,表示は日本語です。店に入ると,店員も日本人。そこで自分の窮状を訴えてみると,快くリュックを預かってくれました。
(助かった!)
そして,ほぼ丸一日をかけてベラスケス,ゴヤなど,プラドの至宝を堪能することができました。もちろん,おみやげ屋さんでは,お礼の気持ちを込めて予定になかった買い物をしました。そのときに買った闘牛の絵柄の灰皿と皮の小銭入れは,今も私の手許にあります。
次に向かったのはバルセロナ。
駅につくと,観光案内所でまずは宿を予約する。当時のお金で,約1300円の安宿を見つけました。行ってみると,通された部屋はベッドが三つ! 案内してくれたお兄さんは,妙に愛想がいい。部屋の前で鍵を渡してくれながら,私の股間をタッチし,ウインクしてきたではありませんか。
(まずいところに来てしまった…)
南ヨーロッパはホモが多いようです。その夜は,鍵を固くしめて,まんじりともできませんでした。
それはともかく,宿に荷物をおいて,まず向かったのがザグラダファミリア教会。天才建築家ガウディの傑作で,完成まであと百年はかかるという。確かに建築中でしたが,その仕事ぶりたるや…。2~3人の人夫が,手押し車で砂を運んできて,のんびりと小石をよりわけている。
(こりゃ百年かかるわな)
日本の大手ゼネコンにまかせれば,3年で完工するにちがいないと思ったものでした。
その他,ピカソ美術館など,いくつかの名所を回りました。当時,スペインの失業率が相当に高かったのでしょうか。街には暇そうなおじさんたちが何をするでもなくぶらぶらしている。道を聞くと,15分くらいかかる場所を,目的地まで案内してくれたりします。親切というか,暇というか。
スペイン料理はあまり印象にない。金がなかったので,ろくなものは食べなかったと思われます。
最終日,フランスのマルセイユ行き電車に乗るまで時間があったので,カフェのようなところに入ってコーヒーを飲みました。ポケットの小銭が気になり,処分するつもりで店にあったスロットマシンにコインを投入し,レバーをひくと,なんと
777
が出た。
ジャラジャラジャラ
大量の小銭が溢れ出ます。店内のおじさんたちの視線がいっせいにこちらに向く。
(ど,どうしよう。
こういうときは,やっぱり,店に「ご祝儀」を出さないといけないんだろうか。)
いたたまれなくなり,コーヒー代の二倍の小銭をおいて,そそくさと店を出ました。その小銭をどう使ったかはよく覚えていません。
28年前のスペインについて覚えているのは,ざっとこんなところです。
仏文科の学生だった私は,フランスで二カ月間語学学校に通い,そのあと3週間かけてヨーロッパをぐるりと回ったのです。当時,ユーレールパスというのがあって(今もあるのかな?),一カ月間,ヨーロッパ西側諸国の一等車が乗り放題。できるだけたくさんの国に行こうと欲張った結果,それぞれの国に2~3泊という駆け足の旅になりました。
スペインへは,パリから夜行列車でマドリードに入り,次の夜は再び夜行列車でバルセロナへ向かうという強行軍でした。
マドリード訪問のほとんど唯一の目的はプラド美術館。リュックサック一つかついで駅からそのまま美術館へ行くと,バッグは館内に持ち込めないという。普通なら入口で預かってくれるのですが,折悪しくそのころエタ(ETA,バスク民族組織)による爆弾テロがあったらしく,預かってくれない。コインロッカーも同じ理由で使用禁止。
(どうすればいいんだ?)
リュックを背に途方にくれていたとき,一軒のおみやげ物屋さんが目についた。日本人観光客を相手にしているらしく,表示は日本語です。店に入ると,店員も日本人。そこで自分の窮状を訴えてみると,快くリュックを預かってくれました。
(助かった!)
そして,ほぼ丸一日をかけてベラスケス,ゴヤなど,プラドの至宝を堪能することができました。もちろん,おみやげ屋さんでは,お礼の気持ちを込めて予定になかった買い物をしました。そのときに買った闘牛の絵柄の灰皿と皮の小銭入れは,今も私の手許にあります。
次に向かったのはバルセロナ。
駅につくと,観光案内所でまずは宿を予約する。当時のお金で,約1300円の安宿を見つけました。行ってみると,通された部屋はベッドが三つ! 案内してくれたお兄さんは,妙に愛想がいい。部屋の前で鍵を渡してくれながら,私の股間をタッチし,ウインクしてきたではありませんか。
(まずいところに来てしまった…)
南ヨーロッパはホモが多いようです。その夜は,鍵を固くしめて,まんじりともできませんでした。
それはともかく,宿に荷物をおいて,まず向かったのがザグラダファミリア教会。天才建築家ガウディの傑作で,完成まであと百年はかかるという。確かに建築中でしたが,その仕事ぶりたるや…。2~3人の人夫が,手押し車で砂を運んできて,のんびりと小石をよりわけている。
(こりゃ百年かかるわな)
日本の大手ゼネコンにまかせれば,3年で完工するにちがいないと思ったものでした。
その他,ピカソ美術館など,いくつかの名所を回りました。当時,スペインの失業率が相当に高かったのでしょうか。街には暇そうなおじさんたちが何をするでもなくぶらぶらしている。道を聞くと,15分くらいかかる場所を,目的地まで案内してくれたりします。親切というか,暇というか。
スペイン料理はあまり印象にない。金がなかったので,ろくなものは食べなかったと思われます。
最終日,フランスのマルセイユ行き電車に乗るまで時間があったので,カフェのようなところに入ってコーヒーを飲みました。ポケットの小銭が気になり,処分するつもりで店にあったスロットマシンにコインを投入し,レバーをひくと,なんと
777
が出た。
ジャラジャラジャラ
大量の小銭が溢れ出ます。店内のおじさんたちの視線がいっせいにこちらに向く。
(ど,どうしよう。
こういうときは,やっぱり,店に「ご祝儀」を出さないといけないんだろうか。)
いたたまれなくなり,コーヒー代の二倍の小銭をおいて,そそくさと店を出ました。その小銭をどう使ったかはよく覚えていません。
28年前のスペインについて覚えているのは,ざっとこんなところです。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます