コトバヲツグムモノ

「口を噤む」のか「言葉を紡ぐ」のか…さてどちらの転がっていくのか、リスタートしてみましょう。

法座で聞いた話

2005-11-14 23:12:22 | 真宗カウンセリング

日曜日は広島で華光会広島支部法座に参加した。
増井信先生のご法話から始まるのだが、前半にマズローのピラミッドを引用して話をしてくださった。
下層のほうから「生理的欲求」「安全の欲求」「所属と愛の欲求」「自尊の欲求」と満たされてきた上に「自己実現」がある。この図式は以前にも別の法話かコミュニケーションのワークで教えていただいてたのは覚えている。しかし、今回はすごく我が身に響くところで聞けていた。

そこには今の私の心境が投影されている。際限なく上を目指すとは言え「衣食住」などの心配はない。いつ何が起こるかわからないとはいえ「無常」を観ずることで安全に対する不安は薄まっている(無くなりはしない)。より上を求めはするが、やりがいのある仕事(会社よりは華光会に対してだが 笑)もあり、家族もいて愛情に渇望している感じもない。むしろ、その辺の所属や愛に関する欲は衰えてきているとさえ感じる。そして、ずっともてなかった「今の自分」に対する満足感が、カウンセリングをすることで開放ざれてきているのを感じる。
その結果、最近すごく楽になり、前向きになり、自由になってきている…これを「自己実現」と言われたらすごくすっきりした気分だ。
「自己実現」を「ありのままの自分になって大満足」と説明してくださった。まさしく最近至った境地…といいつつ「大満足」かというとこれで終わりではないと思うのも事実だが。

しかし、法話ではここで終わりではない。この「自己実現」はあくまで「生き方・生き様」に対してであって、仏法ではまだ「迷い」の域である。ここを超越することが仏願である。ここがすっきり頷けるところがありがたい。

以前の私だと、「超える=転迷開悟」のほうは聞き入っても、「自己実現」というところがピンと来なかったと思う。「所属と愛の欲求」に燃え盛っていたいたし、もちろん「自尊」などありえない「認めて欲しい」思いの塊である。「自己実現」などありようはずが無い。
逆に、仏法に出会わずに、このマズローのトライアングルに出会っていれば、「自己実現の生き様」を求めて終始していただろう。

まさしく、今の私だから腑に落ちる聞き方ができたと言える。

仏法的にはここからまだ話は続くのだが、話を「自己実現」ということに絞って置こうと思う。