コトバヲツグムモノ

「口を噤む」のか「言葉を紡ぐ」のか…さてどちらの転がっていくのか、リスタートしてみましょう。

秋期研修会 8回目

2005-11-17 00:31:35 | ミニカウンセリング

火曜日はミニカン研修会。いよいよあと3回。

逐語録発表はT(α)さんの話をT(β)さんが聞かれたもの。カウンセラー役の方のT(β)さんは1順目で私とペアを組んでくださった方。T(α)さんの話は、法座に関係する話だったので、その背景がわかる私には想像付くのだが、T(β)さんにはわかりにくかったかも。でも、上手に聞かれていたので、T(α)さんの気持ちがどんどん整理されていくのが見えてきた。

ミニカン実践はY先生と。実は前回から通してはじめてのペア。いつもすごい勢いで「今かかえている事」を話される印象があるので少し恐れていました(笑) 今回も「さっきまで2時間話を聞いていたので先に話をさせてください」ということで先にクライアント役をされることになり、始めに「今電話がなるのが怖いんです」ということから始められたので、これは重い話になるなと身構えていました。相手の様子でこちらの気構えが変わるってのはよくない気がしますね。私の課題です。

しかし、お話を聞くうちに最初のシンドイ思いの話から、なにか変化してきている感じが受け取れました。15分で内容を全て聞くことは出来なかったのですが、微妙な状況の変化にY先生の「希望」のようなものを感じ、その話に出てくる「関わりのある方々」のことを受け止めると、なんかこっちがうれしい気持ちになって、なぜか涙ぐんでくる私がいます。

話を聞いているだけなのに、「あぁ、よかった」という感じが伝わってくる…これが「共感的理解」なのかどうかはまだ私には判断つきません。もしかしたら感情に巻き込まれている状態かもしれません。この辺はもっと経験していくことと、心理学の理論的な所を勉強していく必要があると思います。

代わって、私がクライアントになって話したのは、週末の法座前後に本屋で目にしたり話題になったりするところで、不思議と「カウンセリング」を感じさせる出来事が続いたこと。広島の本屋で、心理学のコーナーでいろいろ目にしたり(今まで宗教コーナーはあるけど、心理学はあまり近づかなかった)先に書いたマズローの話を聞いたことなど、今の私がひきつけるのかひきつけられるのか、カウンセリング中心に周りが整っていることを感じる話。それと、その後に家族との間に起こった出来事を通じて感じたこと。この話を聞いてもらって、振り返りでまとめていただいたときに、別々の話題だと思っていることが実は「私」を中心につながっていることを返してもらい、それがすごく「腑に落ち」てびっくり。

一人で考えることから、口に出すことに変わり、それを聞いた人に返してもらう…思わぬ形で今の自分を見つめさせてもらえる。指導的に関わるんじゃなく、クライアント自身の気付きを助長する「真宗カウンセリング」の真髄にまた触れた気がしました。さすがY先生。