コトバヲツグムモノ

「口を噤む」のか「言葉を紡ぐ」のか…さてどちらの転がっていくのか、リスタートしてみましょう。

余韻と新たな流れ

2008-11-14 00:04:53 | 真宗カウンセリング

先日、9月に行われた「真宗カウンセリング・ワーク・ショップ」の最後の分かち合いを録音したテープを、テープ起こししていた。
手紙やメールによる感想も送ってもらっていたが、実際のワークの最後に、余韻のままに語られる言葉は素晴らしく、このワークショップが充実していたことを思い返すことができた。

このテープを聴いていて感じたことは「何を話してもいいんだ(話さなくてもいいんだ)」ということが、参加者の共通項として浸透していたこと。
ほめたり喜んだりする言葉だけじゃなく、「物足りなさを感じている」ということも無理なく発信され、またみながそれを無理なく受け止めている感じが伝わってくる。
二日間という時間ではあったが、誰かが指導するのでもなく、参加者で作り上げてきた”関係”がそれを可能にしたんだと思う。

私自身は話でしか聴いていないが、このワーク後も参加者の中に残ったものがあり、顔をあわせるとその余韻を語り合ったり、新たなワークを計画・開催する声も出ているようだ。
「響きあい、育ちあい」ということが、波紋のように広がっていることを強く感じる。
その波紋に自分も触れていたいと思うが、なかなかそういう時間が取れない。
私の場合は、普段の親子コミュのことを考えたり、地域若者サポーターの研修などを通じて、そういう外に触れることとカウンセリングを振り返ることで、なんども味わいなおしている感もある。

私は参加できないが、今月にも宿泊のワークがある。
また、1月には新たな試みとして学習会も始まる。
http://homepage1.nifty.com/MANU/counseling/2008ivent.htm

今しばらくはこういう位置関係・距離感でもって、流れにのれば一気に動き出したりすることもあるのだろう。
そういう部分にワクワクを感じている。