昨日の小学校入学に続き、今日は娘の中学校入学式でした。
本人の性格的に、ゆったりと学ぶほうがいいかなと、京都の私立中学を選び、なんとか無事入学です。
私立だけあって、とても広くきれいな講堂での式。
時間ギリギリになった私は、4階の桟敷席まで誘導されてしまいました。
高校と合同の入学式だし、結構両親とも参列している(中には祖父母まで)ので、保護者のほうが多いくらい。
まぁ、おかげで上のほうからゆったりと見せていただきました(壇上の諸先生方の顔は全然見えませんでしたが)
この学校は、東本願寺系の学校です。
最初に(私にとっては)余計な歌の斉唱がありましたが、その次には恩徳讃。
最初の歌は無視しましたが、恩徳讃はどうどうと歌わせていただきました。
もちろん、周りで歌っている人はいませんでしたが…(すぐ前には衣を着た僧侶の方もいたんですけどね)
また、式典の合間合間に合掌礼拝があります。
だからどうということはないのですが、私には大きな安心感があります。
世間的には礼儀作法を重視した学校なので選んだ人も多いのでしょうが、やはり根底に真宗の教えを持っているところで教育してもらえることは大きいです。
私たちが家庭で教えていることと、同じ流れの考え方で教えてもらえる。
いろんな面で大変ですが、この一点だけでも大きな意味があります。
学校長の挨拶にも、真宗の言葉がたびたび現れていました。
校規として「真実心」がうたわれています。
(聞いたときは「真実信」だと思って身震いしましたが…笑)
「慈悲の心」と説明されていました。
思えば、同じような考え方で選んだ真宗寺の保育園に4人の子どもを育てていただき、この3月に最後の子を卒園させて、ひとつのご縁が終わりました。
それが、間をおかずに新しい形で、また真宗に触れるご縁が出来たのです。
形は普通の入学式参列ですが、そこには恩徳讃が歌われ、お念仏(まぁ、周りの人は声に出していませんでしたが)があり、私のまえにこれでもかと真宗の関わりがつながれていきます。
子どもらを通じて、私が育てられているんですね。
学校の入り口には写真の句が張り出してありました。
ほんとうに、油断しているところにいろんな方面から飛び込んできます。
そして気がつけば、今日は「はなまつり」
2500年前から綿密に紡がれたものが、今日また私の前に届けられます。
2500年前というのは、ほんのひとつの(でもとても大きな)通過点ですが、もっともっと昔に、今の私に向けて発せられたメッセージ。
南無阿弥陀仏
私自身は忘れっぱなしのやつですが、南無阿弥陀仏が先回りし、周りを満たし、常に共にあります。
南無阿弥陀仏