コトバヲツグムモノ

「口を噤む」のか「言葉を紡ぐ」のか…さてどちらの転がっていくのか、リスタートしてみましょう。

出会いと別れ

2011-09-22 18:42:39 | 真宗

今回の旅行先は、越後の地。

親鸞聖人御流罪の地として、また”法然門下のひとり”から非僧非俗の宣言により”宗祖”としてひとり立ちされる過程の地として、重要なものであり、そこに思いをはせることで「真宗とわたし」ということをじっくりと味わうことが出来る。

しかし、私自身にとっては別の意味も色濃いものだった。

 

 

実際、ここ数年聞法旅行は欠席したきたのだが、今回参加したのには個人的なわけがある。

ひとつは、親鸞聖人750回大遠忌事業のひとつとして行われる行事としての、大遠忌事務局の担当として。

ただそれだけだと、ほかの担当との振り分けということになるが、この旅行を担当したのはもうひとつのわけの方が強い。

 

この越後の地には、京都在住時に華光会で活躍されたI先生の御自坊がある。

I先生は、私の連れ合いの父親…ということは私の義父ということだ。

布教師として多忙のI先生は、地元上越に居を移されてからはなかなか華光のお座に参加してくださることが少なくなった。

私自身は、お正月やお盆の際に連れ合いの里帰りに同行し、先生のお話を聞かせていただく機会はある。

しかし、諸事情(苦笑)により、華光で聞かせていただけるような核心を突いた部分はなかなかお聞かせいただけない。

なので、先生が華光という場で、華光同人を前にしてどのようなお話を聞かせてもらえるのか、とても楽しみだった。

 

思い返せば、それまで華光会はおろか、浄土真宗にもまったく縁・興味のなかった私が、たまたま今の連れ合いと知り合わなければ、私の人生…いや三世を貫く魂の行き場は大きく変わっていた。

連れ合いとの交際を認めてもらうには、当然連れ合いのお父さんに気に入られることが必須。

私にとっては、聴聞の姿を通じて「なかなかいい青年だな」と認めてもらうこと。

そう、弥陀の大悲よりも、今生の利益が大目的で、聴聞はその手段でしかない。

 

しかし、そういう理由でもなければ仏道に入る輩ではなかった。

 

それだけ大恩のあるI先生だが、体調に不安を抱えておられる。

数年前にペースメーカーを埋め込み、その後ほかの患いも発覚し「余命」ということを口にされる状態だ。

先生の御自坊にみんなで参詣するという案もあり、場合によっては先乗りして準備のお手伝いも必要だと覚悟していた。

残念ながら、同じ上越とはいえ、聞法旅行行程の「居多ヶ浜」や「ゑしんにの里」から先生のお寺まではかなり距離がある(ほとんど長野県境の山中だ)

結局、宿泊地の「赤倉ホテル」にお出でいただき御法話をいただくことになったが、体調のことも考え、上越に着いたら別行動をして送迎をすることも考えた。

が、ある方がお寺と赤倉ホテルを往復して送迎してくださることとなった。

 

結局、私が特別参加する必要はなく、ひとりの参加者としての位置だけでよくなった。

いや、逆にこれだけの縁が整って、この日、この場所で、I先生を通じて仏縁に出会わせてもらったのだ。

 

 

先生のお話は

“一宗の繁盛と申すは、人のおほくあつまり、威のおほきなることにてはなく候ふ。

                     一人なりとも、人の信をとるが、一宗の繁盛に候ふ。“ 

という蓮如上人のお言葉を御讃題に、聴聞中心の生活をされたご当地「赤倉のショウおばあちゃん」の逸話、ご自身の体調のお話をもとに、「信をとる」ということをお話くださいました。

 

今回の出会いを通じて、I先生とのご縁に心は引きずられていきます。

しかし、そのご縁に感謝するのではなく、ご縁を通じて「信」を得ると言う身になれたこと…それが一宗の繁盛であり、弥陀の御本願であるということ。

 

知恵のない私には、人のご縁を通じてしか知りえることができない。

感謝の言葉を並べることは出来ますが、それは望まれていないことでしょう。

先生のお姿を思い返すたびに、お念仏でかえさせていただくだけ。

 

南無阿弥陀仏