コトバヲツグムモノ

「口を噤む」のか「言葉を紡ぐ」のか…さてどちらの転がっていくのか、リスタートしてみましょう。

秋のカウンセリングシーズン

2011-09-27 18:01:41 | 真宗カウンセリング

先週の水曜日に真宗カウンセリング研究会の月例会、土曜日に「聞き方・伝え方の学び」と、私の中のカウンセリングマインドを刺激する集まりが続きました。

 

こういうときは、個別にどうこうというより、継続的にテーマが連なっていく気がします。

特に今回のように、理論と実践という二つの機会があれば、より深まります。

 

月例会でのロジャース氏の論文輪読では、相手の伝えたい”感情”を、聞き手が深く洞察して、表に表れる事柄だけでなく察知していくことの重要性が説かれていました。

話し合いの中でも、その重要性は十分認識できましたが、聞き手の能力が伴わないと「洞察・察知」が「想像・思い込み」になってしまう危険性を私は感じていました。

 

このことは「聞き方・伝え方の学び」において、初めて参加くださった方への説明の中で私の中に大きな位置を占めていたように思います。

 

その学習会では、3人組での聞き方・伝え方の実践をしますが、初めての方には「聞き方」をまず意識してもらうようにしています。

最初に「うなづき」があるかないかでの違いを、ベテラン参加者に実演してもらうことで観てもらいます。

そして、聞くときに「話し手を尊重する」事の大事さをお話し、実践のルール「あなたの時間です・自由にお話ください・秘密はお守りします」という宣言の意味をお話します。

そこに今回は、話しての話の中に”感情”の言葉が出てきたら積極的に「つぶやく」ことを意識してもらうようにお話しました。

 

初めての方には当然難しい注文なんですが、今回初参加のお二人はともに「話を聞く」立場のお仕事を経験されており、今までの経験と照らし合わせて「簡単じゃないこと」ということに気づかれました。

あたりまえのように「出来ている」つもりで居ることと、「出来ていない」と気づくことには大きな違いがあるように思います。

 

月例会での話題にも上がったのですが、私はこの伝え返しのことも「オウム返し」という言葉で通用するのだと思っていました。

しかし、西光先生がこの言葉を「嫌っておられた」という話を聞かせてもらい、単なる言葉返しの「オウム返し」と、相手の話をしっかり聞き、寄り添っていく態度の「伝え返し」とは違うということを認識しました。

もちろん、今私がやっているのは「伝え返し」なんですが、技術的なことだけじゃなく、そのマインドの部分におごりや不誠実があれば、話にとっては「オウム返し」となんら変わることはなくなるでしょう。

 

形から入ることは重要ですし、出来ないよりは出来る方がいいですから、まずは「言葉を伝え返す」ことを意識してもらい、それが技術ではなく相手の”尊重”ということにつながっていけば、コミュニケーションは深まっていくことだと思います。

 

月例会と学習会の両方に参加された方のお話も通じて、「洞察・察知」と「想像・思い込み」の違いを、初めて参加された方とのお話で「オウム返し」と「伝え返し」の違いを、誰よりもこの私がもう一度学ばせてもらう機会でした。

 

 

 

そして、今晩からは「エンカウンターグループ」10週間が始まります。

毎週、カウンセリングを意識させてもらえる機会があるのはとてもうれしいことですね。

 

この流れは、10月後半の「真宗カウンセリングワークショップ」へと続いていきそうです。

こちらはまだ参加者募集しておりますので、興味のある方はぜひ。

第13回 真宗カウンセリングワークショップ