今年の南支部指導者研修会は盲導犬協会の方をお招きしての「盲導犬と私たちの生活」ということでお話を聞きました。
会場はお隣の小学校会議室。
部屋に入ると、今日のゲスト、盲導犬のフェロー君がストーブの前で気持ちよさそうに寝てます。
最初の話題は盲導犬の育て方。
「子育てにも通じますよ」という先生のお話は、「間違ったら叱るのではなく、間違ったら正しい方法を何度でも繰り返し教えます」ということ。
実際に障害物をよけるための訓練を実践しながら、「正しく出来たらほめる」ということをひたすら繰り返しながら、「こうやったらほめてもらえんるんだ」という気持ちにさせることに重点を置かれていました。
次に、白杖や盲導犬を伴っている方々にどう接するのが良いのか。
「困っていることがあるようなら声をかけてあげてください」ということ。
中途半端な関わりや、周りの音などの情報を邪魔することはかえってよくない。
あと、盲導犬は誘導という「仕事」をしているので、興味本位で犬に声かけて邪魔しちゃダメ。
そしてもうひとつ、全然見えない方のほかに、いろいろなパターンの「見えづらい」状態の方がいるという話。
弱視といっても、ぼやけるけど全体が見えている方と、視覚が狭く部分的にしか見えない方では全然違うということ。
実際に「レンズつきでぼやけて見えるゴーグル」と「ふさがっている状態に一点だけ穴が開いているゴーグル」を使って実践。
私は後者の方のゴーグルで体験。
で、分かったことは、ピンポイントしか見えない場合、大きな字より小さな字のままの方が見やすい。
ただ、紙全体が見えないんで少し離したり、大きく顔を動かして文字を追っかける必要がある。
逆にレンズつきの方は、大きな字で書いた紙をめに近づけると読むことが出来るが、小さな字は全然ダメ。
あと、移動するとき、視覚が狭いと前から人が来たときによける必要があるのはわかっても、よけるほうに何があるかはまったく見えていない。
だから前や横や足元を何度も何度も見て確認しないと、一歩も動けない。
逆にぼやけるほうは全体は把握できるんで、すれ違うのは問題ない。
このことを通して、文字を読んでいるから「普通に見えている」というのはこちらの思い込みだということ。
普通にすれ違ってるから、「普通に見えている」というのはこちらの思い込みだということ。
人くくりに視覚に障がいがあるといっても、いろんなパターンがあるから、出来ていることがあるからって「あなたは大丈夫」と決め付けることは怖いんだなと。
これは、自分の状態を把握して説明できる大人だからまだ分かりやすいけど、「普通に見える」ということがどういう状態か知らず、今「どういう風に見えている」か説明できない子どもだと、こちらが判断しづらい。
そして、理解できないまま「ちゃんと見なさい」とか、「どうしてそんな本の読み方するの」とか、自分の「普通」を押し付けてしまってないだろうかってことを考えた。
これまで、いろんな研修会や講習会で学んできたことが、ここでもつながっている。
自分が知っていると思い込んでいること、自分が標準だと思い込んでいること、そういう自分の物差しを一旦横において、「知らない世界」のことを謙虚に受け止めていくことの大事さ。
この日は午後にコミュニケーションに関する研修があったので、そこに話はつながっていく。
その件はまた改めて。
なお、このブログに書いてるのは「高橋はこう聞いた」っていうもので、きっちり記録したりしてないので、抜けてたりポイントがずれてたりすることも多々あると思います。
ご容赦を。