昨日、「はぐくみ委員会報告会」と「京都市小学校PTA連絡協議会総会」(小P連)に参加してきました。
はぐくみ委員会と言う言葉は、昨年からPTA役員をしたことで、一緒に役員をしてる方が委員として参加したりしたときの報告を聞いて知っていましたが、その活動に触れるのは初めてです。
しかも今回は小P連の理事として、総会に参加するにあたり、その前に行われた「報告会」に参加させてもらうと言うもの。
つまり、こちらから積極的に知ろうと思っていたわけではなく、よくその委員会のことを知らないままの出会いでした。
その活動報告にあたり、一般的な事業報告などの形式もあったのですが、劇仕立てで学んできたこと(今年は”食育”について)発表してくださり、しっかり活動して学んだことを理解してきていることと、それをわかりやすく「伝えたい」と言う気持ちがあふれてました。
食卓での家族の場面を通して、食事を通してのコミュニケーションを伝えてくれます。
「家族がそろう」ということが、コミュニケーションにとって大事なことが前面に出ているのですが、その報告の渦中に「親から子どもへの伝え方を工夫することで、子どもの態度が変わる」ということを伝えています。
食事の準備を手伝って欲しいときに、「あれをして・これをして」「はやくして」あげくには「手伝えへんならもう食べんでいい!」となってしまうことがあります(耳の痛い話ですね)
それを「お母さんはおなかがすいたなぁ」「手伝ってもらって早く食べたいなぁ」などという風に、子どものほうから動くような伝え方をします。
そうです、これって「私メッセージ」になりますよね。
相手の行動を非難したり、批判するのではなく、「私はこうして欲しい」と言う伝え方。
まぁ、ストレートに「私メッセージ」としては伝えていませんでしたが、「気軽に出来る伝え方の工夫」として、軽く教えていました。
でも、それだけでも「あぁやってみよう」と思わせる効果はあるでしょうから、正面切ったワークじゃなくても、こういう伝え方もいいなと。
感心したことを直接「はぐくみ委員会」の方に伝えたかったのですが、同行した校長の車で帰ってくる予定だったため、時間的に断念しました。
もし、これからのつながりの中で、「はぐくみ委員会」の方がこのブログを見てくださることがあるかもしれません。
ということで、ここで感想を述べときます。
劇仕立ての工夫はとても分かりやすく、勉強してこられたことを報告していただけました。
それから「私メッセージ」をうまく提案してくださったことが、とてもうれしかったです。
その後、小P連の総会になるわけですが、その報告や提案については先日の引き継ぎ会で一通り聞いていた話でした。
その活動の方針もいろいろ共感させられるものがあったんですが、それよりも心に残っていることがあります。
ひとつは挨拶された校長会代表の先生の熱意が伝わってきたこと。
もうひとつは、先日の会議でも感じた、小P連会長の姿勢と考え方。
ともに「一緒にやっていこう」という気を与えてくれるものです。
なんと言えばいいのか、言葉だけじゃなく、そこに実践している態度が伝わってくると申しましょうか。
「伝える」ということが大事にされているのを感じます。
そのあたりで、昨年一年、学校のPTAに関わってきて、上部組織である「小P連」がやろうとしていることがうまく伝わってきていなかったことを感じましたし、このままではもったいないなと。
もちろん、学校単位や、PTAと教師側の温度差は様々あると思います。
しかし、この総会に出て前出の方々と出会えた事、またそういう立場に今収まっていること…ちょっと刺激受けて動いてみたくなってます。
この日の夜は自校のPTA役員会があったので、総会後の交流会には出れなかったのが残念ですが、逆に役員会で話合い、足元の学校単位も大事にしつつ、そこにプラスアルファを持ち込んでみても大丈夫だなって手ごたえを感じてます。
無難に役員をこなすのも1つの選択肢でしょうが…なんか火がついちゃったんですよね。
いや、なにも大きなイベントを立ち上げてこなそうってのじゃありません。
機会をもらって私が知りえた様々な方のことや活動を「伝える」ことをするだけで、あとは伝わった方が意識してくれることです。
その「伝える」のところを私なりに。
もちろん、そういう流れに乗れない人の気持ちも置き去りにしないことを肝に銘じつつ。
だてに「聞き方・伝え方の学び」を継続してるわけじゃありませんから、今こそ実践ですね。
「伝える」ということに執心しておられるようですが、
私にとって「伝える」ということは
舞台と客席の関係のように、一方通行のものです。
私のPTA活動の一年は、それよりむしろ、相互に伝え合う、
つまりコミュニケーションに重きを置いた動きを感じてきました。
でも、折角ですから「伝える」ということに話を戻しますと、
「伝える」というのは技術ではなくて、
「気」によって「伝わる」ものだと思います。
例えばおっしゃっておられるような「熱意」は技術によって伝えるものではなくて
おのずと「伝わる」ものだと思います。
私は寸劇の演出にも口出ししましたが、
何せ主婦中心の素人集団ですので、演技はおろか、発声もままならぬ状態です。
しかも学生演劇部のように練習にさける時間もない。
そうなるともう武器になるのは「気」だけです。
演じる側が楽しみながらやれば少しは楽しさが伝わるかなと。
それは独善的な面白さと紙一重の諸刃の剣ではありましたが、
恥ずかしがったり、イヤイヤ演じたのでは絶対に観客を楽しませることはできません。
思うまま書き散らかしているうちに、
なにやら釈迦に説法のようなことになってしまいました。
お恥ずかしゅうございます。
>寸劇で「お父さん」を演じていた越村と申します。
はい、よく覚えております。
楽しく、そして分かりやすく見せていただきました。
>私のPTA活動の一年は、それよりむしろ、相互に伝え合う、
>つまりコミュニケーションに重きを置いた動きを感じてきました。
コミュニケーションに重きを置いた動きを感じてこられたんですね。
私もそのことが大事だと思っています。
一方的な「伝える」と言うことと「伝わる」という違い。
それはコミュニケーションの質の変化ですし、「相互に伝え合う」というのはとても大事ですよね。
今日付けのブログでもそのあたりのことを書かせていただきました。
>「熱意」は技術によって伝えるものではなくて
>おのずと「伝わる」ものだと思います。
はい、そうですね。
カウンセリングを学んでおりますと、「思い」と「話題」を聞きながらわっけて意識する事が大事になってきます。
逆に言うと、伝える側にもこの二つがあるんですね。
ところが、「話題・内容」を伝えることに一生懸命になって、聞き手がおろそかになってしまう伝達ですと、気持ちも空回りしてし合うことが良くあります。
今回見せていただいた寸劇では、都度都度会場の方へインタビューを交えて、聞き手をとても大事にする「気持ち」も感じさせていただきました。
そんな意識が、寸劇においても「気」として伝わってきましたよ。
そこはおっしゃり通り、技術じゃなく「思い」でしょう。
>演じる側が楽しみながらやれば少しは楽しさが伝わるかなと。
みなさんが楽しんで演じておられたのはなによりです。
そのおすそ分けでこちらも楽しませていただけました。
そして、ちゃんと「食育」についての1年間の活動を伝えていただきました。
出来ることなら、教えていただいたことを、次の人に継続的に伝えて生きたいと思っています。
何かのご縁ですので、これからもお付き合いいただければ幸いです。
どんどん書き散らかしてください。
それが一番うれしいです。