連れ合いの実家寺への帰省もふくめて、仕事的には夏季休業の一週間。
その間に、カウンセリングの師とのミーティングを兼ねた話し合う時間とか、富山での法座で聞かせていただいたお話だとか、また法座でごいっしょしたミニカンを共に過ごした仲間とのふれあいだとか、ブログに残しておきたい出来事がいっぱいあった夏です。
また個別にエピソードとして取り上げることができればいいなと。
逆に心を閉じるようなことや、映画や政治のことで思いを募らせることもあったりしました。
そういう意味ではネタはつきませんね。
それらを追って行っても良いのですが、明日にはまた法座がありますし、来週の半ばにはミニカンが、週末にはカウンセリングのワークショップもあります。
時間軸に沿うことにこだわらず、そのとき書きたいことを出来るだけ…
そう思うのが今の私ですね。
なんでもかんでも「開く」のでもなく、「ここには触れないでおこう」という声にも応えて行く…そこに無理が無ければ、これも「一致」ではないかなと。
他人にはしんどく見えるのかもしれませんがね。
(などと、意味深なことばかり書くのはやめときましょう)
その間に、カウンセリングの師とのミーティングを兼ねた話し合う時間とか、富山での法座で聞かせていただいたお話だとか、また法座でごいっしょしたミニカンを共に過ごした仲間とのふれあいだとか、ブログに残しておきたい出来事がいっぱいあった夏です。
また個別にエピソードとして取り上げることができればいいなと。
逆に心を閉じるようなことや、映画や政治のことで思いを募らせることもあったりしました。
そういう意味ではネタはつきませんね。
それらを追って行っても良いのですが、明日にはまた法座がありますし、来週の半ばにはミニカンが、週末にはカウンセリングのワークショップもあります。
時間軸に沿うことにこだわらず、そのとき書きたいことを出来るだけ…
そう思うのが今の私ですね。
なんでもかんでも「開く」のでもなく、「ここには触れないでおこう」という声にも応えて行く…そこに無理が無ければ、これも「一致」ではないかなと。
他人にはしんどく見えるのかもしれませんがね。
(などと、意味深なことばかり書くのはやめときましょう)
そうなんですね 私は自分さえ開けば相手ともつながれるそんな気持ちでいて つい触れなくて良いことにまで 触れてしまったり つっこんでしまうことがあり コミュニケーションに支障をきたしています でもそれ以外の関わりができなくて 人とうまくつながれないと感じています。人って やっぱり そんなにつっこんだところで話をしていないですものね。そういうあっさりとした付き合いができるようになりたいです
昨日 実家へ行ってきました
久しぶりに自分を責める声が束になってかかってきました。
夜遅く帰ってきたけれど あまりにひどい自責で なかなか寝付けず 朝起きても そこに取りつかれたように身動きの取れない日になりそうです
主人が私に向かって お前は何をやっても駄目だな~誰にも影響を与えないし 与えるとしたら嫌な気持ちにさせることだけ・・・
自分を責めるのは こんな自分じゃないという思いが強い裏返し
でた!って感じです
おもいっきり 照らされている
なのに まだ自分を責めている
目に見えない何かが いつも私に向かって おまえは 勝手なことをするな
と いつも監視されているかのようでした
花火をしたんですけど
姪や甥 姉たちと
みんな楽しそうに話をしながら にこにことやっている
そういうところに どういうわけだか溶け込めない
なんとなく 喋れない
じゃ私は私で花火を楽しもう
そう 思ったこと自体 勝手なことだったのかな?
かわいい花火をやってれば良かったものを みんなが怖がるロケット花火を やってしまった
注目されたかったんだと思う。
思いは的中
最悪の結果で
導火線に火がなかなかつかず それでも火を近ずけていたら なんと棒に火がついてロケットが首から折れて間が悪いことに そんなときに導火線に火が付いてしまい 横を向いてロケットが発射した ロケットは子供たちの間を通り玄関の壁に当たり 跳ね返り私の眼の前を通って 車にあたり また跳ね返って 今度はまた家の方へさっきとはまた横にずれて飛び込み終わった。
え~~~~~~
そんな~~~~~
おまけに最後に飛び込んだところは ビーバーとかがありガソリンタンクがいくつかあった。
一歩間違えば 大惨事だった
私はろくなことをしない
と 私に向かって 私が太鼓判を押した
それからは さらに 肩身の狭い思い
こんな自分 本当に嫌になる
もっと自分を好きになりたいけれど そんな要素どこにもない
ただ害にならないように ひっそりとそこにいるだけで精いっぱいだった
これでも私は人の親なのだ ますます 情けない
夜の9時頃 すぐ上の姉の家族が帰り 一緒に帰りたくなったが なにせ 子供たちがいとこと楽しそうに遊んでいる
だから 子供たちのためにいようかなって
思ったけど
話はないし 話せば 愚痴ばかり
そのうち 私がいたって 迷惑なだけだろうなって思いが 頭を持ち上げてきて
泊っていけば?
の声に
内心
ぶるぶる 何をしていいかわからない 居場所がない 退散退散
と逃げ出す自分がいた
なんで こうなんだろ
どうして 人との会話が
それも身内なのに
なんで こんなに緊張しなきゃいけないの?
ありのままで
ありのままで
阿弥陀様がついていてくださっている
そんなことを 頭で繰り返し言い聞かし
したけれど 所詮 落ち付きたいためだけの自力
お前はだめだという主人が力をますます増長させて 久しぶりに 体中を毒素が巡っているような嫌な気分です
長い長い半日でした
いや 半日で済まない 当分続きそうな憂鬱な出来事でした
ちょっと助けてください
名前しょうこは 今の気持ちではしんどいので かたつむりにでもしてみます
「しんどい」思いをされているんですね。
いろんな出来事があったようですが、そのお気持ちを確認してみますね。
>人とうまくつながれない
と感じておられ、
>あっさりとした付き合いができるようになりたい
と思われているんですね。
これは私が書いたことに反応して書いてくださってるんですね。
私自身は「開く」ということがとても苦手で、未だに周りの人が「開いている」とおっしゃるような応対が出来ていないと思っています。
そして出来ていないから「かたつむり」さんと同じように
>自分さえ開けば相手ともつながれるそんな気持ち
でいました。
でも、出来ない自分がいますし、そこに「無理」があって、開こうと思えば思うほど、そんな自分の方が問題になって、「人とつながる」ことがおろそかになっています。
なので、最近はそういう自分にかまうことをちょっとだけやめようと心がけています。
でも、すぐにそんな自分が出てくる…何とかするほうがいい?…無理がある…無理しないでおこう…の繰り返しです。
そういう意味では、ぜんぜん完成されてないですし、前にも進んでいませんね。
すごく自分に甘く、「無理しない」を旗印に自分を楽にしようとしてます。
書いてみると、やはりまだ「無理してる」自分もいることに気付きますね。
実家に行かれて
>あまりにひどい自責で なかなか寝付けず 朝起きても そこに取りつかれたように
>身動きの取れない日になりそう
なんですね。
>おもいっきり 照らされている
>なのに まだ自分を責めている
のですね。
花火の出来事を通じて
>私はろくなことをしない
>と 私に向かって 私が太鼓判を押した
>それからは さらに 肩身の狭い思い
をされて
>こんな自分 本当に嫌
になられたんですね。
>人との会話が
>それも身内なのに
>なんで こんなに緊張しなきゃいけないの?
と思われたんですね。
>ありのままで
>ありのままで
>阿弥陀様がついていてくださっている
>そんなことを 頭で繰り返し言い聞かし
>したけれど 所詮 落ち付きたいためだけの自力
なんだと思われたんですね。
自分のことを責めて、自分が嫌になり、どうしてこんな思いをしなくちゃいけないのか、と思われているんですね。
そのことを通じ、以前やり取りさせていただいたことを受け取ってくださっていて、責めずに「ありのままの私」と受け止めようとしてくださったんですね。
その「ありのままの私」に阿弥陀様が願いをかけてくださっていると。
でも、それは「落ち付きたいだけの自力」だと。
これだけの「しんどい思い」をされているんだなぁと読ませていただきました。
今の自分のありようを見つめてみるというところでは、大変しんどいことだと思います。
そこのところを「阿弥陀様のお目当ての自分」と受けようとしても、自分を落ち付かせるために利用していると思っておられるのならば、それもしんどいことでしょう。
今、ひとつだけ聞いていただくとすれば…
いろんなことを「自分は利用している」だとか「自力で」だとか、考える事があると思います。
仏さまの願いを受け取るためには、少しでも清浄の心で受け止めないといけない…と思いますよね。
でも、そう考えているのは私の「決め付け」であって、せっかく願いを受けていることにフッと気付かされてもそれに蓋をしてしまう心だと思います。
私が「利用しよう」と思おうが、「これは自力」と思おうが、仏さまの願いは私の思いを超えた「事実」として飛び込んでくださいます。
「私はあなたがお目当てです」と、一方的に働いてくださってます。
上手く言葉に出来ているかわかりませんし、一足飛びに仏様の話にしてしまわなくてもいいと思いますので、わからないところがあっても、それは大丈夫ですので、また思われたことをそのまま書いてくだされば嬉しいです。
「かたつむり」さんがこうして問いかけてくださることで、私自身が仏様の願いをいただきなおせる、素敵なご縁になっているのですから。
私がどう思おうと 仏様の願いは届けられているのですね。
それを疑って受け取ろうとしない私なんですね
昨日 夜寝るとき かなり絶望していた
人の中で 馬鹿みたいにストレスを感じる自分がこの先 どう考えても明るい未来を描けないことを。
仲間を得られなかったり 人との関係も楽しいものにならない なにより 私なんかと話をしても相手には迷惑になってしまう かわいげがない
実家に帰った時のように 私の存在がみんなに迷惑かけてるんじゃないかって・・・
この人といると ほんとに楽しいよね とか一緒にいたいとか 私の場合間違っても そんなことはなく 正反対の立場だと・・・
死にたくなりました
もう この世で楽しいことなど 何一つ描けないような そんな気持ちでした
一生懸命 お念仏しました
私の頭で考えることは M先生が言われたように きちがいがきちがいに相談するようなもの だから もう私にはなむあみだぶつしかない そう思って。
朝 目が覚めると 向きが違うっていうことかな と 思いました
この世の辛く悲しい出来事 そこをいくら眺めていても 苦しさは増すだけ
その苦しみは 私の宿業で逃れられないもの過去の清算
だから 私はこの清算をしながら 仏縁に会わせていただくために 生かされているのかな と
この世の楽しみはもう諦めて もうこんな苦しみを 次の後生に持ち越さないために 阿弥陀様にすがるしかない
って私が必死に求めたら 自力になっちゃうものね
>私がどう思おうと 仏様の願いは届けられているのですね。
>それを疑って受け取ろうとしない私なんですね
そうですね、しっかり受け取ってもらえて嬉しいです。
>昨日 夜寝るとき かなり絶望していた
絶望されていたんですね。
>死にたくなりました
そして死にたい気持ちになられたんですね。
そういう気持ちが出てくることを無理に留めようとするのは、またしんどいと思います。
出てくる気持ちは出てくる気持ちでしょうから。
でも、わたし「MANU.」は「かたつむり」さんに死んで欲しくないです。
これだけは伝えておきたいです。
> 一生懸命 お念仏しました
私もごいっしょさせていただきたいです。
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏
もしかしたら最初は自分の気持ちが変化したり、なにか見返りがあるかと思ってはじめるお念仏かもしれません。
でも、お念仏させていただくということに尊い意味があります。
私が南無阿弥陀仏を作れるはずがありません。
この口から飛び出してくるものはすべて頂きものです。
自分の知恵ではなかなかそうは思えませんが。
>だから もう私にはなむあみだぶつしかない
南無阿弥陀仏
>向きが違うっていうことかな と 思いました
私もよくそういう表現をしますし、そういう実感をします。
> だから 私はこの清算をしながら 仏縁に会わせていただくために 生かされているのかな と
大事なところですね。
生かされていることに大きな意味があると思います。
>この世の楽しみはもう諦めて もうこんな苦しみを 次の後生に持ち越さないために 阿弥陀様にすがるしかない
うん、感じられていることはよくわかると思います。
ただ、この世の楽しみを「諦める・諦めない」苦しみを後生に「持ち越す・持ち越さない」というところは、きっと私が持ち出していることで、仏様の願いはそういうところを問題にしない、もっと根っこのところで、全部ひっくるめて「すがってきておくれ」と待っておられるんだな、と。
「かたつむり」さんが一生懸命された南無阿弥陀仏、もうすがるしかないと思われた南無阿弥陀仏、この六字に大きな力があります。
なるべくはやく、その聞かせていただいたところをブログにアップさせていただきますので、少しお待ちくださいね。
確かに 私は苦しみから逃れたくて阿弥陀様にすがりつこうとしましたが
その苦しみは やっぱり 娑婆世界で人との関係で悩まなくてもいいように
そんな 思いでした
阿弥陀様 助けてください
人間関係がうまくいきますように
という思いが心の奥底にあったと思います
もうどうする事も出来ない
でも 阿弥陀様がそれを改善してくれる
じゃないんですよね
苦しむ私を もう 自力を頼っていては 苦しみが増すばかり
私に任せておくれ
と 自力から解放してくださるんですよね
今からお念仏を時間が許す限りとなえさせていただきたいと思います
>阿弥陀様 助けてください
>人間関係がうまくいきますように
>という思いが心の奥底にあったと思います
そういう思いがあったんですね。
しっかり見つめておられますね。
そういう気持ちが出たら”駄目”と思ってしまう方が多いのですが、出てくることは問題じゃありません。
それを隠したり、自分でよしあしを決め付ける事が、阿弥陀様のほうを向いていないって事ですよね。
>でも 阿弥陀様がそれを改善してくれる
>じゃないんですよね
そうですね。
私のほうは、もうどうしようもなく”変わらない”んですね。
少しでも善くなりたい…しか思えないんですが、どこまで言ってもそうなれないことに困り・悩み・許せなくなる。
>苦しむ私を もう 自力を頼っていては 苦しみが増すばかり
>私に任せておくれ
そうですよね。
もう、私の行き先は決まってます。
少しくらい気持ちの変化があろうと、ましになったと思えようと、もっと奥底のところにどっしりとしている”罪悪”が種となってます。
それを何とかしようとすることは必要ないんだと。
そのまま、任せておくれと。
>今からお念仏を時間が許す限りとなえさせていただきたいと思います
私も「かたつむり」さんのおかげで、お念仏をさせていただくことを思い出させていただいています。
南無阿弥陀仏
根底に こちらからの願いがあった
人間関係がうまくいきますようにと
それでは いけない駄目 と思っていました
出てきてもいいんですね
こちらからの願いなら 自力だから 他力に飛び込めない
そう思っていました
心の奥底はいつも自力 こちらからの願いばかり
あーなりたい こーはなりたくない
そこは 出るに任せる
ですか?
どこまでいっても 少しでもよくなりたい
それが
そうなれずに 悩み許せなくなる
そんな自力いっぱいの心が毎日罪を造って行っている
ということですか?
そこは 何とかする必要はない
そのまま 任せてくれ
これからいうことは そのまま任せてしまってよいものか教えてください
良く見られたい自分で それが思い通りにならずに 自分を責めていく
いつも 自分のかっこう みてくればかり
何もやる前にいつも 逃げだしていた
私には 無理
私はこうだから出来ない
私なんか・・
そういって
いつも逃げてきた
もう いつでもかたまって自分を守ることしかしてこなかった
その結果 小さく小さく縮こまり 不安で窒息しそうになっている
自分からは何もしないのだ
出来ない
自信がない
その自信のないところを 自信を持ちたくて お念仏をしていた気がする
これさえあればと
必死で称えていた気がする
自信がないのは
なんとかかんとか言い訳をして 自分からは何も動こうとしなかったから
今日も お祭りで 日赤奉仕団で 車椅子散歩のボランティアがあるのですが
一つの車椅子に3人つくそうで
そんなに ついたって することがないしどうしよう
やることないのに いったって
またカッコ悪い自分に落ち込むにきまっている
と 考えている自分がいる
いつも自分に負けている
自分はだめと先に思うことで 何もしないでおこうと決め込んでいる
こんなんで お念仏を唱えていたら 利用しようとしているだけかもしれないと思った
昨日も時間の許す限り お念仏と思っていましたが いくら称えても 不安は消えないし 不安が消えないことがよけいに 不安になり ますます不信感が出てくる
あたまでは 私を救ってくださるお念仏
そう 理解しているけれど 不安が増すと こんなもの・・・
そんな気持ちにさえなる
「任せておくれ」の声に、今のままで「任せていいの」と思われているんですね。
>それでは いけない駄目 と思っていました
>出てきてもいいんですね
「こういうものが出てきては駄目」という条件があるならば、「そのまま任せておくれ」の願いにはなりませんよね。
>あーなりたい こーはなりたくない
>そこは 出るに任せる
>ですか?
「出るに任せるじゃ駄目」と言われたとして、出なくなればいいんですけど…そうなれない、いやむしろそう意識すればするほど出てくるのが「自分の思い」ですもんね。
それはお見通しですし、それが願いの元ですよね。
>そこは 何とかする必要はない
>そのまま 任せてくれ
わたしの持っている自称は変わりようの無い黒い心ですよね。
>こんなんで お念仏を唱えていたら 利用しようとしているだけかもしれないと思った
私の方は利用しているつもりのお念仏…でもそのお念仏は阿弥陀さまのほうは阿弥陀様のほうからの「南無」の心がこもったもの。
「利用している」とわたしが決めている間は、そういうお念仏でしかないんですが、同じお念仏を「わたしに願ってくださるもの」と聞かせていただくだけど、利用している心なんか吹っ飛ばされると思います。
いつまでもいつまでも、私の方は不安定で、ころころ気持ちも変わりますよね。
そういう「あてにならない」心を少しでもましに…ってどうしても思っちゃうんですけど、もう「あてにならない」という現実を、そおっと認めてあげる事ができれば…そのあとは、そのときのことで。
今はこういうことをお伝えしたいなと思い、ちょっと突っ込んだ形になりましたけれど、わたしの思いに素直にしたがって書いてみます。
あと、同じような疑問に対して先日のワークショップで感じた事があります。
近くアップしますので、また読んでみてくださいね。
私の心はいつも不安定
確かにそうですね
私の心や頭で考えたものがあてにならない
そう 頭では理解しつつ なぜ
自分の頭が作り出す 不安に ずるずると引きずりこまれてゆくのだろう?
私の頭で考えたことがあてにならないのだもの 人のことだって あてにしなくてもいいのに
いつも相手はOKで 私はNO
相手の言うことが合っていて 私の言うことは間違っている
そう自動的に頭が動く
でも動いたときに 意識して
これはあてにならない
と 言い聞かせていきます
ありがとうございます