今年の春でひと段落ついたPTA活動
長くやらせていただきました
振り返ってみると、自分の学校や地域での活動がベースの活動だけだと思っていたものが、ある契機で全く違う視点を持つことになりました
それが東北大震災とその被災児童たちに対する活動
同じ「保護者」として何ができるのか
一区切りのこの夏、再び東北を訪れさせていただくことができました
「東北のことを忘れない」
以前から変わったところ、変わってないところを肌で感じてきました
昔のように長時間のPC作業ができないので、とぎれとぎれの投稿になりますが
まずは、これまでを振り返ってみます
小学校のPTA会長を引き受けたのが2011年、同時に区の理事校になっていたので区の代表として小P連の理事会に参加し、様々な研修などの機会をいただく
そんな研修の一つで、仙台を訪問された方々の話を聞かせていただいた
「遠いところでのお話」(2011年)
自分の学校の会長は続けても、理事の活動は任期の一年だけのつもりだったが、魅力的な方々の集まりに感化され、また日P全国大会の京都大会が迫っていたこともあり翌年も小P連に関わらせていただいた
そして、この年に京都のPTA代表として仙台PTAフェスティバルのお手伝いに同行させていただいた
そして、前年は話でしかなかった被災地を肌で感じた
6年前のこと
「仙台訪問(PTAフェスティバル)1」(2012年)
翌年は別の用事のため、夜に仙台入り
被災地訪問された方々と合流して、PTAフェスティバルだけのお手伝い
でも、そこに訪れる人を通して被災後に触れることができた
「仙台PTAフェスティバル 2013」(2013年)
翌年はPTAフェスティバル前日から訪問
この参加は京都市のPTAから予算を捻出していただいての訪問
私の力不足で諸事情から、毎年熱意をもって仙台や他地区のPTAさんと絆をつないでこられた先輩が参加できなくなり、私が唯一の参加経験者となった
ということで、私が同行した皆さんをご案内
「仙台訪問2014」(2014年)
そしてこの年を最後に、京都市PTAとしての仙台PTAフェスティバル参加は終わる
予算的な面もあるので仕方ないし、最初に被災地と関わって、熱く活動されていた先輩方が現役を離れ、顔ぶれも(考え方も)変わった
当時を知る私に力があり、先輩方のように熱意を伝えられれば何かが変わったかもしれないが、そういうキャラではなかったし、なにより力不足だった
立場も変わってしまったし
なので、何らかの形でこうして細々伝えるのが精いっぱい
しかし、この夏、少しまとまった休みが夫婦で合わせられたので、東北の旅行を提案してみた
連れ合いが活きたかった場所を絡めて、宮城も訪問させていただくことにした
ということで、まずは前置き
次回から今の被災地を報告させていただきたい
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