東北の震災、津波、原発被災から2年を迎えた。
テレビのモニター越しに見た被害は、この2年間で私の中の位置づけを大きく変えていった。
2年前、私にとってはその少し前に他界した祖母の事のほうが重大だった。
「あわれというも中々おろかなり」
震災で命を落とした人も、寿命で命を終えた祖母も、私の目の前から消えていった人ということでは同じだ。
いや、何千人の顔を知らない人の命より、私のそばにいてくれた祖母の命の損失感のほうが大きい。
「死 ということ」
そのことが、逆に震災被害一辺倒の報道に嫌悪感を募らせていた気がする。
その後、仙台を訪問してきたPTAの先輩方の言葉に心振るわせた。
「遠いところでのお話」
身近な人による、生の言葉によって、モニター越しでは伝わってこなかった”熱”がそこに加わった。
1年後、いよいよ自分の目で見、肌で感じる機会が訪れた。
「仙台訪問(PTAフェスティバル)1」
「仙台訪問(PTAフェスティバル)2」
「仙台訪問(PTAフェスティバル)3」
1年前に私が感じたように、私の言葉で全部を伝えることは出来ない。
しかし、何かを感じている私が居る事はお伝えできる。
なんどか、写真をお見せしながらお話しする機会をいただいた。
そして、京都にこられていた仙台市PTA会長に再会する機会が訪れた。
また新たに、今の状態を通して東北のことを感じさせていただいた。
「仙台市PTA会長のお話を聞きに行って 1」
「仙台市PTA会長のお話を聞きに行って 2」
仙台を訪問したときに皆さんが話されていた「まだ終わっていません」という言葉、そして仙台市PTA会長の「忘れないでください」という言葉。
せめてそのことはいろんな方にお伝えしたい。
そうして、この3.11に、PTAの南支部「人権学習会」を利用して、再び仙台を訪問させていただいたときのお話をした。
そのことがどのように広がっていくかはわからない。
これだけのことで、私が何か成しえたとも思えない。
でも、ただ黙っているよりは、ほんのわずかでも”伝える”媒介となれたのならば。
少なくとも、この私は、「忘れないでください」の言葉を思い返すご縁はいただけた。
そう、私自身が「忘れない」ように、さまざまな働きかけが私に向かっている。
無力な私は、無力なりに。
またこのことをこうしてブログに残すことで、いつかまた振り返ることが出来る。
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