津島を後にして目的のお寺へ…
の前にもう一つ寄り道
「京介」といういかにもな名前をもらいながら、実は私名古屋生まれ
途中岐阜大垣を挟みつつ、幼稚園卒園までは名古屋人でした
で、産まれた地は記憶にないのですが、幼稚園時代を過ごした場所はおぼろげに記憶がある
とうことで、「又穂団地」に立ち寄りました
近頃のナビは便利ですね
よく考えてみると、幼稚園時代から50年!!!
地名はありましたが果たしてどうなっているのか
思い出は甦るのか
ちゃんとありました~(T_T)
当然、改修や塗り替えなどはあるんでしょうが、イメージはそのままです
住んでいたのは2号館
確か廊下の端から名古屋城が見えてた記憶があるんですが…
外に出れなかったので確認できませんでした
そしてなにより記憶をワサワサさせたのは公園
半分テニスコートになってましたが、記憶にある遊具があります
この砂場の壁にある穴から顔出して他の覚えてます
なぜか、子どものころの妹の顔が思い浮かんできました
この滑り台、前かがみで階段登って、登り切って安心して体を起こしたら毎回このアーチで頭ぶつけてたの思い出します
きっとそのせいで頭が悪くなったんだと思ってます
テニスコートのあたりは広場でした
NHK教育の「手をつなごう」というコーナーが収録に来てて、私も参加
でもオープニングの歌の時こけて、泣きながら部屋に帰りました
オープニング映像は団地屋上から俯瞰で撮ってたんですが、一人だけ輪から走って逃げてく私が映っていたのを鮮明に思いだします
団地の横に床屋がありました
帰りに飴とかキャンディーくれたの覚えてます
お店は残ってたけど、営業してる気配はなし
その横には駄菓子屋があり、夏の暑いときに「キャンディー」買ってきてと言われ、ミルキーを買って帰ったら「頼んだんわアイスキャンディーや」と怒られたのを覚えています
思えば5歳のころからオヤジには萎縮の勧請しか残っていないことを今思い出しました
団地を後にして、通ってた幼稚園へ
「金城幼稚園」
さすがにうろうろして中を覗いたら不審者に思われるので、向かい側に車を停めて
門柱に乗ってる人形、なんとなく覚えがある気が…
でも、幼稚園自体はあんまり覚えてないですね
名古屋時代、当たり前だと思っていて、京都に行ったら当たり前じゃなかったこと
「幽霊城のドボチョン一家」を誰も知らなかったこと
「シロ・クロ・マッチャ・アズキ・コーヒー・ユズ・サクラ~」と歌ってもだれも反応してくれなかったこと
覚えてないこと
私も、ナモ とか ダギャー とか言ってたんだろうか???
50年ぶりの地
結構おもいでの刺激を受けました
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